Top» トピックス» 掲載日:2023.3.27

記録者としてアフガニスタンを再訪して

谷津賢二(日本電波ニュース社)
 私は映像制作会社、日本電波ニュース社の谷津賢二と申します。これまで中村先生とPMSの活動を長く映像で記録させていただき、こうした縁で2022年12月にペシャワール会の皆さんと共にアフガニスタンを訪問、現地で映像記録を行ってきました。今回の訪問は、私にとって2019年5月以来3年7か月ぶりのものでした。陸路でパキスタンからアフガニスタンへ入国、国境ではPMSアフガン人スタッフの皆さん、そして変わらぬ茶褐色の大地が私たちを出迎えてくれました。それはとても嬉しいアフガニスタンとの再会でしたが、そこに中村先生の姿が無いことも動かぬ事実、悲しみと空白も同時に感じました。ただ、こうした私の気持ちは現地で心動かされる事を見聞し、少しずつ変化していきました。気持ちを変化させた「見聞」を皆さんにお伝えすることで、私の訪問記としたいと思います。

 まず私が心動かされたのは、PMSの皆さんが持つ中村先生への敬愛と信頼が、少しも揺らいでいないことでした。例えば技師のディダールさんとファヒームさんはバラコット用水路建設現場を率いて難しい工事に挑戦していました。難事に挑むこと、他者のために生きること、一つの事を続ける大切さといった中村先生から授かったであろう薫陶が、彼らの中に見事に息づいていました。

「木の葉の様に、あちらに流れこちらに流れる人もいるが、あなたは大きな岩のように川底でじっと動かず、一つの事に打ち込む人になってください」。これはかつてファヒーム技師が中村先生から直接言われたことだといいます。そしてPMSスタッフを統括し、全ての事業を責任持って進める医師のジア先生も私にこんなことを話してくれました。「中村先生は私たちの師であり、兄弟であり、慈父でした。私たちは中村先生が遺してくれた道を進み、困っている人や苦難にある人のために活動を続けて行きます」。PMSアフガン人スタッフ皆さんの心の中に「それぞれの中村先生」がいることを改めて知った時、私の心は動いていました。

 そして、中村先生が手掛けたカマ用水路のほとりに立った時、私の心はさらに深く動かされたのです。3年7か月ぶりに目にする用水路は、変わらずに静かに水を運んでいました。取水口近く、大きく成長した柳の下に敷物を広げくつろぐ男たちがおり、目が合うと笑顔で「お茶を飲んでいかないか?」と声をかけてくれました。彼らの目前を流れる水が人々の命を支え、命を支えられる人たちが用水路を大切に守っている。中村先生は生前、後継者のことを問われた時に「私の後継者は用水路です」とおっしゃったと聞いていました。私はその話を聞いた時に、先生の言葉を実感を持って理解することは出来ませんでした。しかし、今回再び接したカマ用水路の姿に、誤解を恐れずに言えば、人格のようなものすら感じたのです。美しさと威厳を備え、静かに水を運ぶ用水路を目にした時に「私の後継者は用水路です」の意味が心から実感でき、私は万感胸に迫る思いでした。こうした心動かされることを見聞したことで、中村先生が薫陶を授けたPMSの皆さんと用水路こそが苦難の最中の「希望の灯」となっているのだと実感できたのです。

▲カマ第2(1)


▲カマ第2(2)

 一方、用水路の水が届かぬ地域に行くと、そこには今も干ばつに苛まれる世界が広がっていました。その厳しい事実を目の当たりにし、中村先生がペシャワール会報に遺された下記の言葉を、今こそ再認識しなければと強く思いながらアフガンを後にしました。そして、その事を、読者の皆さまにお伝えし、短い訪問記を終わりたいと思います。
『水が善人、悪人を区別しないように、誰とでも協力し、よそに逃れようのない人々が、人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います』 ―ペシャワール会報126号より
▲ガンベリ農園の記念塔