Top» トピックス» 掲載日:2023.6.19

4・5月月報

二度の現地訪問を終えて

皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。
昨年12月と今年3月にアフガニスタンの活動地に行って参りました。
昨年末の訪問では、日本から視察に行けなかった12年間の中村先生(PMS)の活動地とその成果を見ることに集中しました。2000年に顕在化した干ばつの様子をダラエヌールやシェイワ郡、ベスード郡の村々で目にしていた私にとって驚くべき光景でした。干上がっていた畑には小麦が一面に芽吹き、カリフラワーが白い実を付け、トマトの苗つくりも始まっています。人参、大根、カリフラワーはバザール以外の路上でも売られ、多くの作物の収穫が可能になっていることを実証しています。

今年3、4月は、12月同様にPMS支援室から私(藤田)と籾井、山下が現地へ行きました。現地は3月23日から始まった一か月間の断食中でしたが、ジア先生と話し合い「支援室員の現地理解には断食月も経験すべきであろう」ということで、この期間の渡航を決行しました。断食と言っても一か月何も飲み食いしないというわけではありません。午前3時に方々のモスクが鳴らすサイレンで起床し、一時間の間に飲食を済ませ4時の礼拝のあとから日没のアザーン(祈りの時を告げる呼び声)まで一切飲み食いをしないのです。PMSでは断食の間は勤務時間を5時間に短縮していますが、ダラエヌール診療所、ガンベリ農場、バラコット用水路現場では職員はもちろんのこと地域から働きに来ている作業員たちは精力的に働いています。現地は2月末から暑くなり始め、3月には気温も30度近くになります。4月には室内気温が36度になっていましたので、涼しい日本から行った私たちは、断食中にも関わらずいつも通り働く彼らに、ただただ驚きと感謝の気持ちで一杯になりました。

現地を支え続けるために
私は現地の治安の急激な悪化で2008年に取るものも取りあえず現地から退避してきました。治安改善は見通しがつかず、翌年の2009年ペシャワールのPMS病院を当時共に働いていたイクラムラ事務長に譲渡し、病院や宿舎を片付けて帰国をしました。ペシャワールだけでなくアフガニスタンの活動も、多くの日本人ワーカーが中村先生や現地職員たちと密着して協働していましたが、中村先生が一人残られることになりました。それまで日本人が手分けして行っていた用水路現場の仕事はもとより、会計、資機材の調達・供給、薬品管理、政府への報告書作成等々、全てが中村先生の肩にのしかかるようになりました。退避帰国した私を含む4名にとって、日本からどのように現地のPMSを支えるかが課題となりました。中村先生からは「干ばつの進行が激しいため用水路現場に集中したい」、「現地の事務側の諸々の問題は日本からPMSの職員たちと相談しながら解決していってくれ」との強い要望もありました。 そこで、日本人ワーカーが現地でPMS職員たちと共に働きながら確認しあっていたことを、日本にいながら一つ一つ彼らと共有できるように、また常に彼らと共に働いていた私たち20人近くの日本人が、彼らを見捨てて戻ったわけではないことを分かって欲しく、離れていればこそ繋がりを強固にしていく必要がありました。

それから長い月日がたちました。ペシャワール会事務局の現地連絡班としてPMSと繋がりながら、2017年には中村先生のお考えで「PMS支援室」と名称も変更されました。「PMSの医療、灌漑、農業事業がスムーズに進められるように、更に現地と緊密に連絡をとること」と中村先生からの要望も増えていきました。

共に働くことを目標に
現在、ペシャワール会事務局のPMS支援室では4名の青年たちが働いています。既存灌漑施設の維持管理や新規用水路の建設、農業のPMSの担当者らとほぼ毎日連絡を取り合い、週2回ほどは電話で直接話し、月2回はオンラインで顔を見ながら協議をしています。日本と同じように現地でも日常では英語を話す必要がないため、電話連絡時にこちらが英語で話そうとすると彼らの緊張感が伝わって来るほどです。お互いに流暢ではない英語でコミュニケーションを取ろうとすると、多くの情報を共有することが難しくなります。

「現地で何が問題なのか、そしてどのような支援が必要なのかを知るには、困っている地の人々と直に話し状況を把握する必要がある」との中村先生の長年の経験から、支援室では現地の人々が喋る言葉を習得し、職員だけでなく活動地の住民と直に会話が出来ることを目指しています。

さて、2回目の訪問では、視察だけではなく出来るだけPMSの通常の作業に入りこみ職員や地域の人たちと共に働くことを目的の一つにしました。朝礼後の運営会議では各事業の責任者が当日の作業内容、必要な資機材のリクエスト、現場での問題等を協議し全員で共有します。驚いたのは私たちが退避帰国するまで行われていたこの会議が変わりなく継続されていたことです。気が付くと、まるで10数年の隔たりが無かったかのように私もこの打ち合わせで職員の一員として協議していました。

支援室の籾井と山下は会計室で給料の準備、大量に購入される燃料の質の確認、ガンベリ農場でトウモロコシの種蒔きや畜産用の草刈り等々、職員や作業員たちと一緒に行いました。PMS支援室のメンバーたちがこうやって少しずつ現地に慣れ、現地が手薄なところを手伝えるようになることを願っています。

技術の伝承
現在建設中のバラコット用水路の現場では、まさしく技術の伝承が行われていました。ヤールジャン、彼は用水路両壁の蛇籠積みの班長です。バラコットの村から働きに来ている作業員たち20名ほどと、鉄線で編まれた面状の網を箱型に組立ながら石を積みあげ蛇籠を用水路の両側に並べる作業を行っています。彼に作業の感想を尋ねると「みんな下手だけど時間がたつとだんだん上手になってくるから」と気長でした。同じく用水路壁をレンガで造る場所は石工のカーヘルジャンが等間隔に見本を造り、それを村の人たちが真似てレンガを積んで行きます。彼らの作業をカーヘルジャンも気長に見守りながら指導をしているのです。全体的にまだまだ下手とのことでしたが、PMSの職員たちは、初めは自分もそうだったからとあきらめないのです。中村先生が「職能団体」と話していたPMSの職員たちが、その地域の村人たちに現場で技術を伝え、ゆくゆくはその村人たちが用水路の維持、修復を担えるという希望が感じとれる現場でした。つい最近まで戦争期にあり国際支援からも取り残されていた、このバラコット用水路周辺の村々の人々は、PMSから初めて労賃が支払われた時、「これは、何ですか?」と問いました。「アフガニ(現地通貨)を初めて手にした」と話してPMSの職員をびっくりさせました。現在ここではPMSと現地の住民たちが一体となり、集中豪雨や地滑り等の問題を解決しながら日本のPMS支援室技術支援チームの方々に自分たちの考えを伝え、教えを請いながら今年9月末の用水路完成を目指して作業を進めています。

ハム ナダール マリゾンキ…
PMSにはジア先生をはじめペシャワールの病院で働いていた職員やパキスタンに難民化していた職員たちも多いので、殆どがパキスタンの公用語であるウルドゥ語も話します。今回、ペシャワールの病院の朝礼で唱和していた4つの文章を彼らが思い出し、突然「ハム ナダール マリゾンキ マダッツカルケ…(我々は、貧しい患者を助けることで、神様に仕えます。我々は、国籍や宗教を越え互いに協力して働きます…)」を、唱えだしました。私は所々しか覚えておりませんでしたがジア先生は良く覚えていて、ある日職員たちとガンベリ農場の中村先生の記念塔で休息していると、突然唱和し始めいつの間にか皆で声を揃え唱和し感動に包まれました。PMSの職員はアフガンでは多数派民族であるパシュトゥンが多いですが、パシャーイ、タジク、ハザラと様々です。ペシャワール時代からの人、アフガニスタンで採用された人もいます。やはり彼らには中村先生が活動十五年目の結論と方針として、考えつくした真髄がしっかりと彼らの中に染みとおっているように感じました。この事だけではなく、毎朝のミーティングや普通の会話の中に、中村先生はこう言っていた、こう話していたと、「中村哲医師の言葉」が日常会話の中にまるでコーランの一節を彼らが暗唱するようにスラスラと出てきます。あたかも中村先生が事務所の近くの宿舎にでもいて、彼らといつものように接しておられるような錯覚を覚えるほどでした。

現場を支える事務所内の出来事や診療所、農業のことなど、まだお伝えをしたいことがありますが、またの機会にさせて頂きたいと思います。
皆さまのご支援に心から感謝しますとともに、今後とも応援をお願い申し上げます。

私事ではありますが、昨年8月にナイチンゲール紀章を授与されました。まさか私が、と思う気持ちではございましたが、日本から長い間有形無形のご支援を賜りましたこと、パキスタンとアフガニスタン両国でともに働き常に励ましてくれた職員や地域の人々との受章であることを思いながら頂きました。この場をお借りして心からの感謝を申し上げます。
2023年5月31日

現地渡航記
3月末から4月末までの約1ヵ月、PMS支援室の三人が現地を再訪問。長期滞在を見据え、年に数回渡航し現地の文化、気候、仕事に体を徐々に順応させていく。(写真:バラコット事業工事現場 2023年4月18日)


▼バラコット事業工事現場の視察。現地滞在中はラマダン期(断食月)で、作業員たちは朝4時頃から、夕方6時頃まで飲み食いを一切していない中、仕事をこなしていた。2023年4月9日


▼イード前の給料日。イード前になるとアフガン人は服を新調したり、来客を迎えるためご馳走を準備するので、毎年イード前は給与と祝い金が支給される。2023年4月18日


▼ファヒーム技師と2020年に入職したファイズラ技師。熟練の技師から若い世代へ、PMS方式の継承が進んでいる。2023年4月9日


▼PMS支援室員が現地に滞在していることを耳にしたバラコット村の長老達が、片道約2時間を掛けジャララバード事務所まで挨拶にみえた。長老方から羊一頭を頂戴し、小イード明けに皆で美味しく頂いた。2023年4月10日


▼現地会計担当のハニフラさんとカービルさん。この日は給料の封筒詰めを一緒に行った。2023年4月17日


▼ナカムラ・スーパーストア。店主は中村先生のことを皆が忘れないようにこの名前にし、中村先生の名前を冠しているので品質が良い商品を置くように心掛けているとのこと。2023年4月11日


▼6月8日までのクナール河の水位グラフ。今年(ピンク線)は3月下旬頃まで例年より高い水位を保っていたが、それ以降は上がり方が鈍く、却って現時点では、昨年(赤線)の異常低水位を除いて、例年よりも低水位。
KUNAR RIVER HYDROGRAPH
Flow = CUM/sec


▼現在のシェイワ堰。2月には堰下流端に巨石を投入して補修を行っている。下流端を緩やかに弧を描かせることで、流れが中央に集まり水勢を相殺している。2023年5月16日


▼2月の堰下流端の補修工事の様子。乱れた石積みを修復している。2023年2月20日


▼補修後のシェイワ堰を下流側から。2023年5月16日


▼5月14日のミラーン堰。冬季水量は例年のようには低下せずに高いまま推移し、まもなく高水期を迎える。


▼櫓から撮影した分岐点の2月と5月の比較。それぞれの河道が流量を増し中央の砂州が少し小さくなったように見える。


▼砂州1、土砂吐き1を取水門横から。砂州1に植えられたシーシャムはガッチリと活着し安泰のように見える。2023年5月14日


▼カブール河、カシマバード堰上流の砂州の状態を 2月と5月で比較。左岸よりの砂利は増水に伴い徐々に流されているようだ。中央の河道は著しく流量を増しているように見え、前回月報で報告した大和技師の助言どおり、同河道に巨石積みの導流堤(低めの堰)の造成は有効なようだ。
上写真の直線矢印が「左岸よりの砂利」


▼堰全景を高所から。斜め堰の形状に沿って綺麗に越流線が確認できる。幾度の洪水を経ても健在。右岸の護岸沿いでは重機で建築資材用に砂利の掘削が行われ、深掘れが進んでしまっている。2023年5月14日


▼カシマバード用水路内の水位は約50cm。2023年5月14日


▼マルワリード用水路L区は、4月18日の夜半に降雨があり鉄砲水が流れ下った。20~25分間の局所的な豪雨であった。土砂が幅3m、距離30~40mにわたって堆積した。掘削機1台、ダンプトラック1台を稼働し、4日間で補修が完了した。2023年4月19日


▼補修工事前、どこからともなく現場に集まってきた子供たち。2023年4月19日


▼鉄砲水が流れた谷では、被害を受けた家屋もあった。新規で移り住んだ人々が、鉄砲水の流路などを知らず家を建て、こういった被害を受けることがしばしばある。幸い負傷者はなく、住民は避難している。 2023年4月19日


▼マルワリード用水路S区。30人ほどの子ども達が集まり、用水路に飛び込み、水遊びをしていた。用水路では至る所でこのような光景が見られた。2023年4月19日


▼子ども達が遊んでいる近くで、涼むクーチィ(遊牧民)。羊たちも暑さでぐったりしているように見える。2023年4月19日


▼ガンベリ農場の畜産では、牛を40頭以上飼育している。乳しぼりの実習をするPMS支援室の籾井。PMSでは毎朝80~100kgの新鮮な牛乳をバザールへ出荷している。2023年4月11日


▼シャフタル(アルファルファに似た、現地で一般的な牧草)を刈り取るPMS支援室の山下。ガンベリ農場では牧草も自給しており、畜産の担当者たちが自分たちで作り刈り取る。2023年4月19日


▼畜産で働くメンバー。2023年4月19日


▼イチゴの栽培。2021年に栽培を開始したが、日差しが強すぎてその年は枯れてしまった。2022年は果樹園の日陰を利用して栽培し、収穫をすることができた。まだ試験栽培の段階であり、バザールへ出荷できるほど作っていないため、PMS職員たちで味わわれた。2023年4月19日


▼ガンベリの春は瞬く間に過ぎる。公園は農業事業の職員たちが年間を通して隅々までメンテナンスを行っている。写真(左上)はラマダン月(断食月)明けのイード休暇に備え、公園を整備するPMS職員のベラさん。2023年4月11日


▼ラマダン月(断食月)明けのイード休暇は、アフガン各地から多くの訪問者がガンベリ公園を訪れた。訪れる人々は食材、調理器具の一切を持ち込み、思い思いにくつろぐ。2023年4月23日


2023年3月~4月
バラコット用水路事業
取水部工事から水路造成まで、各エリアで様々な仕事が一気に進み始めた。作業員も大幅に増え、現場は慌ただしく、活気に溢れる。2023年3月21日  


2023年3月中旬~4月中旬の工事 (3/23-4/20ラマダン時間勤務、作業員数60~100人)
【1】護岸工事_取水部付近両岸の護岸
【2】取水部工事_川からの導水部→堰・取水門
【3】湧水用水路工事_湧水からの導水部
【4】横断排水路工事_崖上からの鉄砲水対策、計11ヵ所
【5】用水路工事_二次掘削→用水路造成


【1】護岸工事/右岸護岸線、下流端
右岸護岸線を対岸(湧水エリア付近)から臨む。取水点から下流500m近くで、この辺りが護岸線の下流端にあたる。


【1】護岸工事/右岸護岸線、植樹工
重機で巨礫を整然と敷き詰めた後、人の手によって植樹工が行われている。ここでは柳を植えている。


【1】護岸工事/左岸、護岸開始
右岸が終了し、今度は左岸上流側の石積みを始めている。河際が切り立った崖状になっており、洪水期に、いかに激しい流れにさらされているかが覗える。


【1】護岸工事/左岸、護岸開始
左岸上流側を臨む。取水口を護るため、後に小規模な石出し水制を数か所設置する予定。3月の増水期に入ってから、だいぶ河らしくなってきた。特に3月末からは例年あまり見られないような激しい降雨が度々あり、水量が増えている。


【2】取水部工事/堰・取水門
日本技術チームからの意見で採用された(川の流れに対して)直角の導水。山麓の急流河川にて、取水門や用水路に洪水が直撃しない為の配慮。
堰や護岸線に敷設している巨大な岩はこの川に転がっているものを現地調達で賄えているが、洪水時にはこのような巨礫が流れて来る程の急勾配の川だという証明でもある。どの堰でも補修しながら使っていくのは同じ事だが、今回の堰が年間を通してどの程度維持出来るのか、しっかりと経過観察して行く必要がある。


【2】取水部工事/堰
PMSの腕の見せ所とも言うべき、堰の工事。勿論ただ石を並べているだけではなく、度々ファヒーム技師やポーパル技師が測量しながら、慎重に造成を進めている様子が確認できる。近づいた写真だといかに大きな巨礫を扱っているかがよく分かる。因みに、中心に見える巨大な岩は、計画段階から取水ポイント(0.0km地点)の目印にしていた。


【2】取水部工事/取水門
取水門が形になり始め、全体像もだいぶ見えてきた。崖上の灌漑目的地の標高が約1320m。当初はそこから1/1000勾配で水平距離4.3km程を上流側にさかのぼった標高1325mの場所を取水点として定めていたが、工事を進める中で取水点の定め方を見直す必要があり、取水門床面レベルを2m高い標高1327mの位置に造る方針となった。


【2】取水部工事/取水門、レベル設定と落差工



【2】取水部工事/取水門、レベル設定と測量(縦断測量、横断測量)


【3】湧水用水路工事
崖側の蛇籠積みと川側のレンガ積みが終わり、湧水用水路が形になって来た。用水路と平行して、上流側の湧水用水路-1と下流側の湧水用水路-2の二カ所に分けて設置され、いずれも100m前後の長さ。


【3】湧水用水路工事
上流側の湧水用水路-1。蛇籠の隙間から浸透してきた湧水がこの水路に溜まり、その後、用水路側に導水される。


【3】湧水用水路工事


【4】横断排水路工事
鉄砲水から水路と交通路を護る為の横断排水路。蛇籠や現地流の素材で造られてはいるが、日本の山道で見られるものと仕組みは同じだ。


【5】用水路工事/上層ソイルセメントライニング
下層ソイルセメントが出来上がった後、上層のソイルセメントを造成している段階。これが水路床面になる。左官によって水平が出されている。


【5】用水路工事/上層ソイルセメントライニング、水養生
打設後、ひび割れを防ぐ為に水養生が欠かせない。PMS所有のウォータータンカーで水を運んできている。


【5】用水路工事/レンガ壁
湧水エリア(600m地点)以降から、水路壁のレンガ積みが始まった。写真右はレンタルしているウォータータンカー。レンガを接着するモルタルづくりから植栽の水やりまで、色々な工事で水が必要だ。


【5】用水路工事


大雨被害
3月24日(金)にはジャララバードやコットなど複数地で、局所的な大雨に見舞われた。二次掘削箇所には水が溜まり、交通路部分の地盤もぬかるんでいる。これ以降しばらく雨の日が続き、溜まった泥水の処理や、交通路の水はけ対応などに追われた。4月頃の一ヶ月間はラマダン(断食)にあたり、今年は3/23~4/20だった。PMS職員によると、例年は気温が上がり日差しが強くなる中での断食月を経験しているが、今年は雨天で気温も下がり過ごしやすくて有難かった、との事だった。しかし3月、4月に山岳部で異例の降雪もあったり、今回のような極端な雨はあまり手放しで喜べるものではないかもしれない。


大雨被害/土砂掻き出し
水路部分に砂利を撒いてぬかるんだ土を置換しているところ。工事責任者であるディダール技師もジャララバード事務所とコット現場を行き来しながら、対応に追われた。


大雨被害/表層崩壊
3月31日に2300m地点で20mに渡り、崖の表層崩壊が起こった。幸いこの区間だけの小規模なもので、またこの日は休日(金曜日)で現場が動いていなかったこともあり、怪我人が出るような事もなかった。


大雨被害/表層崩壊
表層崩壊後の処理として、4月5日のオンライン会議にて日本側と現地側からの意見をまとめ、崩れた地層を一度除去し石積みによって被覆する、という事になった。石積みについては、切土時に急傾斜だった箇所を土留めしたのと同じ要領で行えばよい。この頃ちょうどPMS支援室メンバーが渡航中で、崩壊した地表を現場で視察したり、表層崩壊が起きる前後のタイミングで天候が不安定だった様子を実際に体感している。


大雨被害/表層崩壊箇所、去年の工事状況
昨年末、切土を行っていた時の同地近く。掘削作業中に湧水が見られたが、ごく少量で溢れるようなレベルではなかった。また村人によると、昔ここには湧き水があったが、土積を繰り返しているうちに地表から水は消えていた…ような場所だったらしい。今後の経過を慎重に観ていきたい。
因みに切土をしていた頃は、元々あった崖の状況を記録しておく為、当日掘り進めた先端部の傾斜角度を測定していた。この日の傾斜は35度という大変な急勾配。大部分が30度を超えるような険しい崖を、よく事故やトラブルもなく切り拓いたものだと、改めて感服する。


2023年4月~5月
バラコット用水路事業
着工から8ヶ月、1500m地点までの用水路造成が完了し、試験通水の日。ファヒーム技師らが取水門の堰板を掲げ、水路に水が注がれる。2023年5月17日  


2023年4月下旬~5月下旬の工事 (4/21-4/23イード休暇、作業員数150~180人)
【1】護岸工事_取水部付近両岸の護岸
【2】取水部工事_川からの導水部→堰・取水門
【3】落差工_取水門レベル設定により発生した2m高低差の処理
【4】湧水用水路工事_湧水からの導水部
【5】用水路工事_二次掘削→用水路造成→セメントライニング
【6】横断排水路工事_崖上からの鉄砲水対策、計11ヵ所
【7】植樹工
【8】貯水池工事


【1】護岸工事
両岸の護岸石積みが概ね完了し、植樹とその水やりが続けられている。先に植樹が行われていた右岸の柳は、早速成長してきたようだ。


【2】取水部工事/堰、取水門
3月下旬からの度々の降雨・増水によって砂利を被って見づらくなってしまったが、4月末には堰の造成がひと段落した。夏の増水期を経てどの程度形状を保ち続けるだろうか。取水門はいつものPMS方式に沿った二重堰板式の造りをしている。


【2】取水部工事/取水門
川の水量が増えてきた。取水門には堰板を巻き上げる為の滑車「チャルハ」を取り付ける。井戸事業の頃に培われたPMS流の作り方。


【3】落差工
取水門床が当初計画より2m高い配置となってしまったが、その高低差を解消する為の段差。200m地点で1m、250m地点で1mを処理する。それぞれに50cm高の巨礫を置き、落ちる水の衝撃から水路床を護る。


【4】湧水用水路工事
湧水用水路-1(320-430m地点)と湧水用水路-2(500-590m地点)の工事がおよそ完了した。川からの取水と湧水を併せて、末端の4.3km地点まで運ばれる。


【4】湧水用水路工事
澄み切った水が用水路に注がれる。この湧水は年間を通して確保出来ると言われているが、継続的に安定した水量を供給してくれる事を願う。


【5】用水路工事
取水側から進められていた用水路床面のソイルセメント工も終盤に差し掛かり、崖上の大地がかなり近づいてきた。写真は3km地点付近。


【5】用水路工事
ソイルセメントで固められた床面に、両レンガ壁を建ち上げていく。左官が施されて用水路の完成形である。その後急激に乾燥してひび割れしないよう、しっかりと水養生を行う。


【6】横断排水路工事
2600m地点の横断排水路。11ヵ所中、残すところあと2ヵ所ほど。


【7】植樹工
3月頃より少しずつ進められていた崖の土留めの為の植樹が、現在は広範囲に渡って進められている。ここでは活着率の高いユーカリを植えている。


【8】貯水池工事
いよいよ用水路末端、台地の上の貯水池工事が始まった。用水路によって届けられる水を使って、この土地を共同で持っているバラコットのラガールジューイ村、パルチャオヘイル村、シーピヤオ村の人達がここで農業を行う事になる。稲作等と比較して水量が少なくて済む果汁園等が想定されている。


大雨被害/表層崩壊後の処理
3月31日に2300m地点で起きた表層崩壊箇所の補修作業。まずは崩れた地層を一度除去し、地盤を締め固めた後に、表面を石積みによって土留めする、という方針の元で作業が行われた。


大雨被害/表層崩壊後の処理
しかし石積みした地表ごと亀裂が入ってしまい、再度表層崩壊を招く危険性が出てきた。石積みを一度撤去し、土を削り取ってから蛇籠を設置していき、より強固に土留めするという方針に切り替えられた。他の箇所で同様の事が起こらないかも含め、今後の経過を注意深く見ていく必要がある。


5月17日、試験通水日
この日はジア先生始めジャララバード事務所で働くサーブルジャンや会計担当のハニフラさん、ダラエヌール診療所のハフィーズ医師、ガンベリ農園からアジマルジャンらも駆けつけ、試験通水が実施された。事業を成功に導く上で一つの節目で、祝い日でもある。ジア先生の配慮で、作業に従事しているバラコットの村人達にはお菓子が配られ、労われた。9月にこの用水路が完成すれば、彼らがその水で畑を耕す事になる。


5月17日、試験通水日
チャルハで堰板が引き上げられ、水路に水が入る。水に先導されるように、工事責任者のディダール技師とファヒーム技師、ジア先生やPMSメンバーが続く。


5月17日、試験通水日
取水門から250m地点の落差工を水が流れ、約300m-600m地点の湧水用水路エリアを越える。トラックの荷台で水を追いかけているのは1050m地点。最後1500m地点付近で記念撮影するPMS職員達。ジア先生やディダール技師も「いつも日本から支えてくださる皆様に感謝しています!」と笑顔を浮かべていた。