Top» 事務局からのお知らせ» 掲載日:2025.9.8

地震被災者への食糧・
生活支援に向けて

 被害の大きかったナンガルハル州に隣接するクナール州の被災地へ、PMSスタッフによる調査が始まっている。現地に滞在中の藤田PMS支援室長の報告をダイジェストしてお届けする。現場では地震が連続する中、被災地支援を行なっている。
PMS総院長/ペシャワール会長 村上優


地震被災地へのPMSによる支援経過(2025年9月5日、6日)
※追加・修正 2025年9月9日
PMS支援室長 藤田千代子
 9月4日夜の地震では、ジャララバードは8月31日の地震より揺れは軽かったが恐怖を感じた。その後5日、6日と余震が断続的に続いたため、31日に被災した地域は更に悪化したに違いないと心配は尽きなかった。

 9月5日、支援が遅れているマザールダラ上流の高地に居住する二つの集落アレクとシェマッシュへの山道の整備が可能かどうかを判断するため、休日(金曜日)を返上してPMSのエンジニアたちが出かけた。巨礫の落石やひび割れ、崖崩れが多いうえに車が一台やっと通れるくらいの狭い道路だが、この道路が整備されると2集落への支援がしやすくなるのは確実と思われた。

 現場に到着すると、驚いたことに道路は整備され4輪駆動車の通行が可能となっていた。地域住民の話では9月3日、4日の2日間でタリバン兵により集中的な作業が行われたとのこと。早速上流へ向かおうとするPMS職員たちにワディール村(ヘリの発着所でもあった)の人々が「アレクとシェマシュには既にヘリで支援物資が十分届けられた。集落の住民たちは他の地へ移動して誰も残っていない」と情報をくれた。確認するために上流へ約10キロ進むと行く手を阻む高い岸壁にぶち当たり、そこからⅠ時間半ほどは徒歩で急な岩場を登ったり下ったりして集落に到着。

実際に2集落へ来て分かったこと;
・集落は夏季のための住居ではなく定住地であり誰も村を出ていない。
・アレクはパシャイー族、約23,000家族。死傷者約500人。シェマッシュはパシュトゥ族居住地である
・地震の負傷者はヘリで救助された
・支援物資;シェマッシュの住民の話では、ヘリで数回物資を少量受け取ったが、アレクの方は更に少ない支援であった。
・届けられた支援物資のほとんどが、下流域のマザールダラで半壊、全壊した家屋にとどまり、車両が入りやすいワディール(被災地ではある)で配給されている。

 PMSは6日早朝5時、最も支援を必要としている奥地のアレクとシェマッシュの集落に絞り支援物資の配給を前提に、農業や灌漑事業の若い青年たちを交えた職員総勢25名が現地へ向け出発した。

 谷に入り集落へ向かう山道を走行中、前方から老若男女の大勢の人々が下って来た。杖をついた老人、背負われた女性、赤ちゃんを抱いた母親、木製の揺りかごや椅子、満杯の大型バッグを頭に載せて運ぶ女性や子供たちが下ってくる。中には羊や山羊を連れて、また鶏を抱いている人たちもいた。すれ違う彼らに状況を尋ねると次のような事情だった。

 昨夜(5日)政府から住民はクナール州ヌールガル郡に設けられた広大な避難キャンプ(旧米軍基地)に移動するよう通達があった。4日夜のマグニチュード4.7のあとも連日余震が続いており、高地にある当集落へのヘリでの支援の継続は難しいとのこと。毎日毎夜の地震に怯えていた住民たちは充分な家財道具も準備できないまま早朝4時過ぎに村を出て指定された避難キャンプに向かったそうだ。

 PMSはまずアレク、シェマッシュでの被災者への支援に絞ったが、集落のほとんどの住民がしばらく避難所での生活になるため、その間に他の被災地であるナンガラハル州ダラエヌール郡、クナール州ソウケイ郡への支援を強化することにした。

被災地支援物資について 1家族(10名)当たりの食糧支援を計画し準備に入った。

1. 小麦粉   50kg
2. 米     24kg
3. 食用油  10リットル
4. 豆(ルビア)7kg
5. 茶    1kg
6. 砂糖  7kg
7. 塩   10袋
8. 石鹸  10個
9. 毛布  1枚
以上の物資、1家族約7,000アフガニ(14,000円)で計上。

●配給予定地
ダラエヌール郡 200家族
ソウケイ郡 200家族
アレク、シェマッシュ集落 600家族
以上。
※追加・修正 2025年9月9日