Top» 事務局からのお知らせ» 掲載日:2025.11.11
2025年10月29日
―10月地震被災地支援
の報告
8月31日深夜(現地時間)に東部アフガニスタンで起きたマグニチュード6.0の地震により死者が2,200人を超える大きな被害が生じました。被災地はクナール州・ナンガラハル州にまたがり、私たちPMSの活動地域と重なります。PMSスタッフもこの危機に立ち向かって被災者への支援活動を展開し、最も被害が大きかったダラエヌール渓谷上流域を中心に1千家族(1万人)への3か月分の食糧の支援に加えて、本格的な冬の到来を前に仮設住宅としてのテント3千張りを配布しました。当会は「アフガン命の基金」より70万ドル(1億500万円)相当を緊急支出しました。これも皆様からの支援のおかげです。ありがとうございました。
第1期の支援はこれで終了として、PMSは通常の医療・農業・用水路事業に邁進しますが、現地の被害状況をみて、必要に応じて今後も震災支援を検討してまいります。今回は藤田千代子PMS支援室長ら第10次訪問団がアフガニスタンに滞在しており、詳しく現地の状況と支援活動についてHPに掲載することができました。藤田室長の第1期支援活動の最終報告と現地動画をご覧ください。
第1期の支援はこれで終了として、PMSは通常の医療・農業・用水路事業に邁進しますが、現地の被害状況をみて、必要に応じて今後も震災支援を検討してまいります。今回は藤田千代子PMS支援室長ら第10次訪問団がアフガニスタンに滞在しており、詳しく現地の状況と支援活動についてHPに掲載することができました。藤田室長の第1期支援活動の最終報告と現地動画をご覧ください。
ペシャワール会会長 村上優
2025年11月7日 HP掲載
2025年11月7日 HP掲載
テント配布を決定
冬が迫っている9月末、PMSはダラエヌール北部の最奥地へのテントの支援を決定した。丈夫で雨風をしのげ、寒さから村人を守れるようなテントを買いそろえる一方で、調査チームは村落の一軒一軒を訪ねて住民の話を聞き、本当に困っている人にテントを配布するための配給カード(引換券)を手渡した。山の冬は早く厳しい。急がなければならない。
PMSが目指す地域はナンガラハル州最北部4,000m級のケシュマンド山脈の麓から中腹の村々で、おおまかにスータン、シェマール、ワイガルの3つの谷に分けられる(地図あり)。標高約900mにあるPMSのダラエヌール診療所から更に上流へ2kmほど進むと左側にワイガルへの分岐路があり、更に上流へ5㎞ほど進むとシェマールへの山道、6kmのところにスータンへの道が続く。
ダラエヌールの郡長から提供された被災地の情報を参考に、冬が迫る標高の高い地域から、
① スータンやシェマール方面 10カ村 1,100家族
②ワイガル方面 9カ村 1050家族
③カライシャヒ、アムラ 500家族
の順に調査と配給作業を進めることを決定した(のちに配給数は増加)。
被災地の調査
4チームに編成されたPMSの調査団は一回目の配給を10月5日と定め、10月1日にスータン、シェマール方面の10カ村を分担して巡回した。PMSの職員の中で当地に踏み入った経験のある職員は僅か2名で(1990年に中村先生がダラエヌールに診療所を開設する時の調査に同行していた)、ほとんどの職員にとって初めての地であった。
山の斜面に居住している住民の家屋調査は険しい山道を登ったり下ったりしながらの作業であったため時間がかかり、調査チームがジャララバード事務所に戻ってきたのは夜8時過ぎであった。彼らが言うには、「余震が続いているために住民たちは畑を生活の基地にしている。ある半壊した家では女性たちが瓦礫の下敷きになっている衣類や寝具を取り出そうとしていたが、亀裂の入った泥壁や天井は脆く崩れやすくなっていて、とても危険な状況であった。どの村々でも同じであった」。
今回のテント配給支援計画を日本側へ連絡をした際、村上会長の返事に「冬はそこまで来ている、急ぎましょう」との言葉があった。ジア医師はじめ職員たちはこの言葉に励まされ、士気が高まったようである。
ジャララバード事務所では、配給日の5日(日)までに、1,100家族分のテントを確実に手に入れることに力を注いだ。被災者に渡される配給カードには配給日時と場所が記入されており、多くの村人が遠い山から下って来るのである。9月29日、ジャララバードの卸屋へ発注直後、店主が所持していた500張が事務所に届けられた。残すは600。少なくない。卸屋は3日までに全量を届けると約束をしたが、PMSの事務職員たちは静かに待つことはできない。輸入されたテントがカブールからジャララバードに輸送されているのを確認すると、毎日店に出向いて倉庫の状態を見る者、電話を定期的にかけてせかせる者もいる。幸いテントは2日(木)夜遅くに不足分が届けられ一回目の1,100張が揃った。アフガニスタンは週休1.5日制で木曜半日、金曜が1日休みであるが、休みを返上してテントの部品に欠陥や不足がないかの確認作業が行われた。そして2回目・3回目の配給用に1550張を発注した。
2回目の配給を10月11日に設定し、8日、9日に調査が行われた。1回目の調査の反省から、職員たちの安全を図るために今回は2日間で調査を実施することになり、チームは早朝にワイガル側の村に向かった。ありがたいことにペシャワール会より予算増加の話をもらっていたので配給数を増やし、調査チームは予備の配給カードを持って行くようにした。前回調査をした村では、どの家屋も酷いひび割れが生じており、次の余震では崩れ落ちそうな状態であるにもかかわらず、「自分たちは畑ではなく庭に寝ることができるので隣の家にテントを渡して欲しい」と数家族が譲りあった。心を打たれた職員たちが改めて村々を見渡すと実際にはどの家も支援が必要であることは明白であった。しかし自分たちのポケットには限られた数の配給カードしかない、申し訳ない・・そういう思いがみんなの心の中にあった。これまでも彼らからしばしば聞いてきた胸のうちだ。
最後の3回目の調査は、13日に実施され翌14日に配給作業が行われた。ダラエヌール地方の地震被災地では最下流域に位置するカライシャヒとアムラである。配給は630家族。
調査前日の打ち合わせ時、当地の調査で中心的な役割を担った、ダラエヌール診療所責任者のドクター・ハフィズラーから明朝の出発を少し遅らせたいとのリクエストがあった。8月31日の地震発生以降、PMSは調査と配給を繰り返し行い、職員たちに疲れが出てきているので当然の要望であった。実は、被災地支援をする傍らで、ハンセン病診療所開設の準備もゆっくりではあるが併行して進められていた。医療従事者8名の募集に対して600人もの応募があり、書類審査に時間を要した。そして9月23日、24日には書類審査を通過した80名の採用試験を行い、その結果を受けて25名の面接を10月6日に実施した。主な職員はこの仕事にも動員されたのである。
配給作業
10月4日、トラック10台に10カ村、1,100家族分のテントが積み込まれ、準備は整った。翌5日早朝6時、ダラエヌールへ向けてジャララバード事務所からトラックが車列を組んで出発した。数台のトラックには「PMSドクターナカムラの日本の支援者から 地震に被災した方々へのお悔やみと支援」と書かれたバナーが取り付けられた。中村先生の名前を見聞きするだけでも慰めになる人が多いのである──。
私たちはトラックが配給所に到着する時刻を見込んで現場へ向かった。配給カードを持った女性や年配者には付添人が同行していたので1,100人を遥かに越える人々が集まっていた。大人も子ども(10歳未満)も50キロはあると思われるテントを担いで受け取っている。重くて大変そうではあったが、どこか嬉しそうにしていた(配給動画参照)。
通りすがりに、ジャパン ジンダバード(日本、万歳)、ジャパン ハルコータ デーラ、デーラマナナ!(日本の皆さん、本当に、本当にありがとう!)と叫んでいる人たちもいた。彼らの感謝をそのままお伝えしたい。
10月11日、2回目の配給は、11カ村の1,320家族が対象であった。早朝にテントを満載したトラック12台が次々とPMS事務所のゲートから出発するのを見送っていると、日本からの支援のありがたさに心が震えた。そしてこの大切なテントがダラエヌール上流の配給所までどうか無事に到着するようにと祈った。
今朝は、ケシュマンド山脈の最高峰の山頂に雪が見えた。9台目のトラックのテント配給の頃から周辺の山々に雨雲が発生し風も吹き始め、10台目で空を雲が覆って暗くなり、今にも雨が落ちてきそうになった。職員たちは配給カードとリスト上の名前の確認作業を加速し、受取人をトラックへ急がせた。11台目、12台目になるとPMSのエンジニアもトラックに乗り込んで村人の肩にテントを乗せた。ポツポツと降り始めた頃には配給をすべて終了し、受け取った人たちも村々へ急いで帰って行った。
3回目の配給は10月14日、ダラエヌール地方の被災地では最下流域に位置するカライシャヒとアムラである。当初この2地域では合計500家族への配給が予定されていたが、前日11日の配給作業時に副郡長からカライシャヒとアムラ地区は人口が多いため可能ならテントを500ほど増やして欲しいとの依頼があった。しかしながら130ほどしか増やせる手持ちがなかったので、その旨を伝えると、それでも嬉しいと満面の笑顔でPMSと日本の支援者の方々への感謝が伝えられた。
ここでの配給時、汚れて破れた服を着た男性が、どうしてもテントが欲しいと職員たちの間を行ったり来たりして涙ながらに訴えていた。しかしPMSは配給カード数に合わせてテントを積み込んでいるため余裕の物資は持っておらず、断らざるを得ない。言動を観察したところ、心身に少し障害を持っているようであった。男性は配給作業が終わるまでの5時間もの間、あっちへこっちへと歩き回った挙句、諦めてふらふらしながら道を下って行った。その姿を遠くから見ても胸が詰まる思いであった。そして誰もが同じ気持であった。「彼にテントを渡そう」と言ったとたん、職員がリキシャの運転手に彼を追いかけさせて、下流にあるPMS診療所に連れて行くよう料金を渡した。診療所でこの男性にテントを持ち帰るように伝えた瞬間、彼は子どものように声をあげて泣き出した。立ち会った職員や私たちがもらい泣きをするほどに・・・。支援物資の配給日に来られなかった村人は、後日診療所で受け取れるのだが、この日は二家族のテントが私たちの手元に残っていたのが幸いであった。
3回目の配給で支援活動はいったん終了するものの、PMSは継続して地震被災地の観察を実施することに決め、職員たちそれぞれ従来の作業地へ戻っていった。
PMS支援室長 藤田千代子
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▲タイトル:【マグニチュード6.0】アフガニスタン東部地震の被災地へ物資の配給を行いました【緊急支援 2/2】
配信開始:2025年11月4日
配信元:ペシャワール会 / PMS
概要:
2025年9月~10月にわたり、震災の被災地へ支援物資の配給が行われました。
①9月8日:ナンガラハル州ダラエヌール郡
②9月9日:クナール州ディワガルダラ
③9月14日:クナール州ヌールガル郡
④9月24日:ナンガラハル州ダラエヌール郡
⑤10月5日:ナンガラハル州ダラエヌール郡
⑥10月11日:ナンガラハル州ダラエヌール郡
この動画では主に③⑤の様子を紹介しています。