ペシャワール会 現地報告No.103
「道路工事、住民が合意」

ジャララバードPMS支部・水源事業責任者 目黒 丞
2002年11月29日(金)

地元長老会との話合い(中央がディダール技師)

懸案のバンバコート村=スータン村間(5キロメートル)の道路工事、住民が合意

ダラエ・ヌールは最も旱魃被害のひどかった地域のひとつである。同地は1992年にPMS診療所が開かれてから、いかなる状況でも活動が止んだことはなかった。

現在、中下流域の村落が水源事業の中心だが、清潔な飲料水欠乏は、上流でも多くの犠牲者を生み出した。ダラエ・ヌール5万人の人口のうち、半分以上が上流域に住むパシャイ民族である。患者たちは最奥の村々から、5時間、6時間かけて、徒歩で診療所にやってくる。


スータン村への道調査(先頭二人目から、シャラフ医師、ディダール、目黒)
2001年夏から、PMSは徐々に上流へ活動を拡大している。その最前線がビンバコート村(人口約2000)で、住民は有史以来、井戸を掘った経験がなく、流れてくる
小川だけを全ての生活用水にしてきた。バンバコート村の井戸は、苦心惨憺して一年がかりで完成(深さ26メートル)、これによって小児の腸管感染症の犠牲を激減せしめた。

この成功はさらに上流の住民に伝わり、嘆願書が続々と届けられた。しかし、同村が自動車の入れる最終地点。これより上流は機材搬送が困難で、井戸掘り経験のある村人がいない。そこで、バンバコートからスータン村(人口約1500以上)まで、ジープが通れるくらいの道を作って、あわせて患者たちが診療所に来やすいようにするという計画であった。

中途の険路

しかし、カーブル陥落後の軍閥割拠の影響で、話し合いが難航していた。今秋、住民の方から長老会の受入れを申し出てきて、工事が始められようとしている。現在、ダラエ・ヌールでは、GAA(ドイツ救援会)が一部で道路事業に着手。だが、実態はPMSが陰で技術協力、道具を貸し出し、ドイツ側が地元民に労賃だけ払うという形になっている。PMSとしては、「為になることなら誰がやっても構わない」という方針で、ドイツ側の事業を背後から支えている。



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