アフガンいのちの基金No.24
「 全力をカブール輸送に集中」

PMS病院長 中村哲
2001年11月02日(金)

11月1日、カブールに10月23日から31日まで食糧配給計画で留まっていたPMS副院長、ペシャワールへ帰る。報告によれば、鬼気迫る状況。
夜間爆撃による死傷者が連日出る中、粛々と日常診療が行われているのは、まさに我々の医療最前線なのだ。5ヶ所の各PMS診療所は通常の業務をこなして、市民たちに励ましを与えている。

 カブールでの食糧輸送第一便は10月23日に到着。餓鬼のように押し寄せる人々を整理しながら、1814家族分(18,140人の3ヶ月分、小麦363トン、食用油28,800リットル)が配給された。カブール市の東西南北、4グループが、周辺から配給しながら中心地に向かった。群がる市民たちはタリバン兵士たちによって整理され、列を作らされた。副院長以下20数名の吾がPMSスタッフは群集にもまれながら勇敢に任務を遂行した。ある医師は、この最中に顔面に警棒を食らって負傷したがひるまず任務を終えた。

 夜は爆撃で市民たちは不安でまともに眠れず、心理的な圧迫感があった。カネのある市民はジャララバードやラグマン方面に逃れたが、現在残る者は迫り来る飢餓に怯えながら、連夜の爆撃に耐えている。爆撃は現在、カンダハルほど激しくはないが、「次はカブールだ」と皆思っている。吾がPMS職員が全滅すると計画が中断するので、職員は一ヶ所に集めて宿泊させず、市内に分散して泊まらせている。職員は強制配備せず、各人の自発的な意思に任せている。

 今回のものはいわば「偵察行動」で、配給計画の実地の試みであったが、これが有効なことを確認したことが成果である。わがPMSでは、この約10倍量を2週間のうちに配給する。既にジャララバードに倉庫を設け、ペシャワールから国境を越えて約4,800家族分、小麦約1,000トンがアフガン内に送付された。さらに隔日に食用油20トン、小麦252トン(2,500家族分)のペースで輸送が行われる。PMS病院は現在、総力をあげて輸送に取り組んでいる。

 現在少数のNGO(カナダ救援基金、アラブ系組織、パキスタンの人々からの寄付)以外に食糧計画はなく、それも少量である。PMSがほぼ単独で悪戦苦闘に近い状態。厳冬を直前に、計画は本格的段階に入った。

 副院長の報告によって、以下を今後の方針とした。

1)
事態は日ごとに悪化している。飢餓市民は爆撃で逃げまどい、相当な圧迫感を受けている。家族(10名)当たり3ヶ月(小麦200キロ、食用油16リットル)を配給してきたが、なるべく多くの市民に行き渡らせるように、各家族6週間分(小麦100キロ、食糧油8リットル)とする。

2)
定期的な安定輸送のため、二段階輸送方式をとる。即ち、常にジャララバードに一定量を貯え、ジャララバードからカブールへの輸送量に応じて、ペシャワールからジャララバードへ補給を続ける。

3)
ジャララバードでの配給は被災地のみに限定し、ほとんどをカブールへ急遽輸送。

4)
第一期輸送を含め、総額100万ドルをもって、一つの区切りとする。
これによって、カブールの約半分近くの人口、50万人の飢餓を一時的に抑えることができる。

5)
次の段階は、11月16日に始まるラマザン(断食月)中の状態を見て決定する。次の選択肢がある。
  @募金状況に応じて更にカブールへの食糧補給を続ける。
  A不幸にして市民の大量移動が始まる場合、ジャララバードで
   大規模な支援活動を行う。
  B他の救援団体が殺到する場合、食糧計画の停止、水と医療関係に力を注ぐ。



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