アフガンいのちの基金No.33
「 ぎりぎりの時まで食糧配布活動」

PMS看護部長 藤田千代子
2001年11月13日(火)

11月13日夜にカブールよりジャララバードを経てペシャワールに戻ったジア副院長の話の報告。 昨日(12日)は、夕方6時過ぎまで食糧配布を行い、トラックの借り賃を支払い終わったのが午後8時だった。タリバン兵が来て今夜はあなた達にとって良くない事が起こるだろう、気をつけよと忠告をした。午後8時過ぎからすさまじい爆撃がカブール市内で行われた。スタッフが寝泊りしていた事務所の数メートル四方にも6発の爆撃があり事務所がぐらぐら揺れた。煙の中をくぐり抜け避難した。スタッフは皆無事だった。

 明けて今日13日ワジールアクバルハーン(クリニックから2,3メートルの所)が爆撃されたので、スタッフはミクロヤンに避難した。クリニックのスタッフと会議を開き、まだ配り終えていなかった小麦粉と食用油の残りを保管する私有の倉庫を探して、8つの小さな倉庫に入れた。 PMSの5つのカブールクリニックでは、カブール在住のスタッフはそのまま活動を続けることを希望。ペシャワールから派遣している3名のナース(看護士)も自発的に残り勤務を続行。前夜よりカブールからタリバンが撤退している事が判り、パシュトウン系住民の殆どが他の地へ移動し始めた。タジク系とハザラ系の人たちはカブールにそのまま残っている。住民はターバンを脱ぎ髭をそり落とし、ある者はブルカを脱ぎ、ある者はシャルワルカミーズを脱ぎ洋装に変え始めた。その後国連や NGO、赤十字などの倉庫を開け援助物資等の略奪を始めた。 

 今日13日午後2時頃、北部同盟はサロビ(カブールに入る渓谷の入り口)をおさえ、カブールとジャララバードの幹線道路を封鎖した。それからカブールへ入った。その少し前に、ジア副院長と食糧配布活動をしていたスタッフ20名は、クリニックや食糧配布計画のアレンジを済ませカブールを出た。危険を避けるためPMSの車両3台に分乗しジャララバードへ向かったが、車両1台が途中武器を持った住民に略奪された。
 
 カブールからジャララバードヘ向かう車を空からヘリコプターが銃撃し、ジア副院長達は20数台がやられてゆくのを見た。まるでヘリコプターがゲームをしているように見えた。ヘリコプターが来るとジア副院長達は車から降りてターバンや帽子を脱ぎタリバンではない事を表現した。路上にはたくさんの死体があったため、車から降り遺体を道路脇に寄せながら前進してジャララバードにたどり着いた。ジャララバードのドライサシャイーキャンプ(タリバンが国内難民の為に設置した)にはカブールからの避難民が押し寄せている。今日中に北部同盟がジャララバードに来るのは確実である。 ジア副院長達は カブールへ行く前に"We do up to we can ."と言ったとおりに、連日連夜米国が爆撃を続けるカブールでぎりぎりの時まで食糧配布活動を続けた。 13日夕方5時トルハム国境へジア副院長一行を迎えに行ったイクラムラ事務長の手助けで、無事に国境を越え午後7時病院へ着いた。


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