アフガンいのちの基金No.71
「アフガン復興一問一答」

PMS病院長 中村哲
2002年01月04日(金)
今戦争の話題から復興に話が移りつつあるが、国内の治安や安全性はどうなのか?
カブールなどのいくつかの大都市では外国人は活動可能だ。しかし当分「治安維持」は点と線だろう。広大な農村部や山岳部は今までと変わらないだろう。


新政権への信頼性はどうなのか?
複雑な要素がある。農村部と都市部では異なる。都市部でも貧困層とエリート層では異なる。一般のアフガン人は、これまで様々な権力の変遷を体験しており、よほどの善政を敷かないと崩壊する。アフガン人にとっての共通の善政とは、以下に尽きる。
1)外国人勢力に後押しされない「独立アフガニスタン」の権力であること。
2)十分な衣食住、その基盤である国内治安を保証すること。
3)各地域のアフガン人の文化や慣習を尊重すること。


「外国人勢力に後押しされない」とは、今の多国籍軍隊の派遣と矛盾しないか?
矛盾する。元タリバン政府のザイーフ駐パキスタン大使が「占領は容易だが、維持は困難だ」と初めから述べている。アフガニスタン史上、一時的に外国人に押されて成立した政権は、直ぐに崩壊し、永続した例がない。北部同盟系の人々でさえ、内心現在の英軍駐留に敵意を抱いているのが真相だ。力関係が変化すれば、今度は英米軍に襲いかかる。多国籍軍主力の英国は、かつて2回の英国アフガン戦争で同様な負け方をしている。過去の敗北の歴史から、「今度は見放さない」と述べているが、実情を知らぬはずがない。


国内治安は暫定政権だけで守れるだろうか?
そこに、暫定政権統治と多国籍軍存在との撞着がある。英米なき権力では反乱が防げないし、英米を頼みとすれば心からのアフガン民衆の支持が得られない。タリバン政権が外国たるパキスタンの支持を背景に成立していたのは、そこに民心をつかむ術があったからだ。即ち、イスラム教的なアフガン文化の背景を尊重したからだ。


では、どうすればよいのか。日本に今考えられる方策があるのか。
ある。先ず軍事や政治権力に関わるところで表に出て、墓穴を掘らぬことだ。そもそも日本はアフガニスタンとは何の利害関係もなかった。後始末は散らかした張本人たちにやらせればよい。平和を欲する民衆は争いを好まないだろう。現在彼らが急務なのは生存することである。いずれ地縁血縁を軸にする「無秩序な安定」が来るだろう。とりあえず民衆の生存さえ保証されれば、今はどんな形でも悪いことではない。日本はひたすら「内政干渉」と取られぬ支援を実行し、あくまで地域の文化や伝統を尊重する態度を貫くことだ。


「教育援助」が取り沙汰されているが・・・
これは、ある意味で戦争以上に重要である。但し忘れてはならぬ重大な点がある。この際、都市と農村伝統社会の併存を許す寛容性を取り戻すことが一つのカギである。旧ソ連と欧米はアフガン農村生活を無視し、旧タリバン政権は都市生活を無視してきた。だが、西欧的な価値観をある程度受け入れる素地は限られた大都市の、限られた階層にしかない。教育は地域の文化や宗教に触れる問題である。文化的二重性を承知のうえでしないと、とんでもないことになる。昔日本が失った伝統的な教育は農村でまだ息づいていて、それがアフガニスタンの底力を提供している。そして、アフガン人の9割以上が農民なのだ。アフガニスタンの古い教科書にはこう書いてある。 「アフガニスタンは農業国です。様々な仕事がありますが、農業が最高の職業です」農業という生産基盤は今も変わらない。今後も、変わらないだろう。また、わざわざ変える必要もなかろう。農業の滅亡はアフガニスタンの滅亡である。
 日本方式の丸写しは失敗するだろう。第一、日本自身が「教育問題」を抱えているではないか。むしろ日本の失敗を省みることだ。脱亜入欧を掲げた明治政府でさえ、廃仏毀釈の愚を知って、漸進的な方策をとらざるを得なかった。日本的価値観は温存したのだ。戦後は、もっとひどかった。占領軍に「好戦的・封建的」と烙印を押された伝統を、良し悪しにかかわらず根こそぎ葬り去ってしまった。日本人の道徳的変質や誇りのなさはそのツケである。その功罪を論ずるのは政治的と取られ、アフガンの教育と無関係なようだが、そうではない。これは国家の進路にかかわる問題である。自給自足の循環型農業を基盤とする農業立国を目指すのか、商業・工業社会に変えてしまうのか、或いは第三の道=それらの適度の並存を目指すのか、国家の進路は教育によって大きく左右される。
 世界の画一化を進めるグローバリズムの奔流に陰りが見え始めた今、単なる復古主義でもなく、文明の反省とも言うべき「平和な脱グローバリズム」の台頭と共鳴する社会建設は、地域循環型農業と連動して、アフガニスタンで可能性を秘めている。そのことが射程に入れられている限り、「アフガン教育支援」は、我々の未来をも占い、重大な国際的意義を担っているとしても誇張ではない。日本自身の見識が試される重要な協力である。
 

地雷撤去については?
1千万発という地雷埋設に、米軍のまいた厄介なクラスター爆弾が加わった。除去作業は難航を極めるだろう。しかし、いくつか頭に入れておくべき特殊事情がある。
1.埋設地雷の事故は、このところ激減してきている。直接の脅威にさらされる農民自身が埋設場所をこの10年で熟知しており、かなりのものが住民自身の手で処理されてきた。
2.日本とアフガン現地とでは、安全感覚が異なる。完全性を目指せば目指すほど、コストは莫大なものになる。撤去方法の適当な妥協は避けられない。ある程度の試行錯誤を経て、現地に合う方法が確立してゆくだろう。技術の誇示や押し付けはいけない。


医療については?
これも単に高度技術の輸出や、維持困難な機械の診断に過度に頼る診療は避け、受益者負担を減らす方式を構ずべきである。アフガニスタンの大半が無医地区であることを忘れてはならない。アフガン人医師は沢山いるが、技術的には数十年前のものである。先進国で教育を受けたアフガン人医師は、ごく限られた場面で、多数の進んだ検査や器具のあるところだけで腕を発揮できるだけだろう。しかも、先進技術を学んだ医師たちは、やがて外国に行けることを望んでいるのが現状である。
 大衆の大半の病気は、感染症と外傷だけで8割以上を占め、アフガニスタン全土の農村部が無医地区に近く、まともな医療施設のある所を探すほうが簡単だ。WHOなどの活動も奥地までは及ばない。このことは知っておかねばならない。
 感染症治療のノウハウは現地医師の方が詳しい。ただ、改善すべき点は、医師を初めとする医療従事者のモラル、基礎的臨床技術の改善である。大都市の病院建設は意義があるが、既設の病院運営はロシアが人材もノウハウも心得ていて、既に動き始めている。
 PMS=ペシャワール会としては、農村部の診療を重視し、基礎的な臨床教育を施し、簡単な検査で診断と治療ができるオーソドックスなやり方を大幅に取り入れようとしている。また、現在の診療所運営方式は、ひとつのモデルとなり得るだろう。インド・パキスタンで見られる方式(Basic Health Unit)は、構想としては良かったが、事実上機能しないのは20年以上を経て実証済みである。一時流行したコミュニティ・ヘルス・ケアも、伝統的農村社会の理解を捨象したために、ほぼ行き詰まりが見られるのが実情だ。繰り返すが、アフガンはアフガンに適した方策を模索せねばならない。


農業復興支援は?
大干ばつというハンディの中で行われるので、簡単ではない。基本的には地域単位の小規模な循環型農業(自給自足)であるべきだ。ただ、地下水利用も限界がある。国家的規模としては、貯水ダムと運河の建設が干ばつ対策として大きな力になるだろう。(急峻な地形を利用する水力発電もダムによって可能となる。アフガニスタンを石油依存体質にしてはいけない)
 農村の再建こそ、アフガニスタンの活力を回復する。ペシャワール会=PMS(ペシャワール会医療サービス)はこれを最大の課題として、東部の限定された地域で総合的な農村復興のモデルを実施しようとしている。これは医療や教育とも切り離せない。かと言って、昔のままで良いという訳でもない。息長い取り組みが必要である。「寛容な地域主義」と「自給自足」はアフガン農村の特質である。これこそ、世界が失い、先進諸国を筆頭に、心ある多くの人々が回復を求めているものだ。大資本を投下せねば成り立たぬ農業の商品化は、封建的地主制度よりも有害である。村人が自力で出来る最低限の投資、地域別の密な支援とケアが最も適している。
 尤も、根本的な旱魃対策は、先進諸国の工業化、大型消費経済の抑制、すなわち地球温暖化防止対策と切り離せない。その意味でも、アフガン農村の復興は、世界的な経済動向と密接に関わっている。こうして、アフガン農村の回復が人と自然、人と人の関係を根本から問うものであることを考えると、人間の未来を担う前哨戦だと述べても決して過言ではない。私たちもこの支援を通じて自分たちの足許をも見つめることが出来るからだ。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
No.70を読む  ○報告一覧へ○  No.72を読む
ホームへ 連絡先 入会案内