アフガンいのちの基金No.73
「ジャララバード報告」

PMS院長 中村 哲
2002年01月13日(日)
昨日(1月12日)ジャララバードから戻りました。 町は現在平静ですが、バザールはまだ半分ほどは閉じられていました。外国人はほとんど見かけませんでしたが「国境なき医師団」のオランダ人1名、カナダ人1名が一時滞在して会いに来ただけでした。新しい州知事、ハジ・カディール氏の所に一応挨拶に行き、協力を取り付けておきました。権力の動向はまだ流動的らしく、重要ポストは次々と変化しています。全体として、パシュトー民族系の復権が進んでいるように思われました。

 しかし、武装集団はダラエ・ヌール出身のパシャイー部族の手にあるため、今ひとつ安定を欠いているようです。幸か不幸か、PMSの最も充実した協力がダラエ・ヌール渓谷で行われてきたため、私たちについてだけは、例外的に便宜を図ってくれているようです。

 現在、蓮岡、目黒、藤井の日本人スタッフが滞在、ジア院長補佐の指揮下で「緑の大地」計画の統合事務所設立を始めました。食糧配給は、PMS病院から派遣されたシャラフ医師以下十数名が、現在アチン郡の飢餓地帯を綿密に調査し、10日に大規模な配給が始まりました。私も現場を見ましたが、思ったより整然と配給が行われ、北部同盟兵士も非常に協力的でした。これは2月末までにニングラハル州全域で完了いたします。

 水源確保事業の方は、ジャララバード統合事務所ができるまで現在の態勢を維持し、管理体制が確立した後、更に拡大発展を予定しています。農業計画も同様に、作業地を選定した後に行われます。

 よい知らせは、間もなくアフガン新政権とパキスタン政府との外交関係が今週中に正式に発足、ジャララバード、ペシャワール双方に領事館が置かれます。現在、流動的な権力を、私たちも含めて、一般住民は様子を見ている状態ですが、基本的な生活は殆ど変わっていません。旧タリバンのメンバーも何事もなかったように住民の間に溶け込んでいます。米兵がチャプラハル郡で狙撃され、1名が死亡、1名が負傷しました。誰が狙撃したか分からないそうです。おそらく、欧米人はまともに町を歩ける状態ではないようです。

 ダラエ・ヌール渓谷では感激しました。ほとんど無傷のまま、診療も、水計画も、灌漑計画も、進行中です。目黒君が長く滞在していたので、まるで谷中の人が再開を喜んでいるようでした。ローガル州は現在三重権力、しばらく時間がかかりますが、誰も入りたがらぬ所なので、カブール診療所を閉鎖した後に、その分だけこちらに医療活動を移す計画でおります。

 みんな元気です。山崎さんも縁の下の力持ちでたくましくやっています。藤田看護部長の役割も今後ますます重みを増して来ます。中山さんはペシャワールのPMS病院で会計担当として、活躍が期待されます。また連絡しますが、とりあえず。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
No.72を読む  ○報告一覧へ○  No.74を読む
ホームへ 連絡先 入会案内