アフガンいのちの基金No.75
「ダラエ・ヌール近況」

現地連絡員 目黒 丞
2002年01月17日(木)
ダラエ・ヌールのクリニックに数日間滞在しましたので、それを中心にアフガニスタンの近況を報告します。

中村先生と共に訪問した1月9日には、ダラエ・ヌール渓谷上流のヒンドゥークッシュ山脈には雪は全くと言って良いほど見えませんでしたが、1月13日にはジャララバードに雨が降り(数ヶ月ぶり)、渓谷上流部には雪が降っていました。1月15日に私がダラエ・ヌールを訪れた時も山脈には雲がかかり降雪が見えました。ただ積もっている雪の量は例年の夏の残雪程度しかないとの事です。

タリバン撤退時について聞き込んでみましたが、戦闘や混乱等はなく、撤退が完了してから北部同盟側の兵士が来たそうです。空爆を避けるために多くの人々がダラエ・ヌールに来ており徐々に都市部へ帰還していますが、パキスタン側から戻って来た人も多く、人口はだいぶ増えています。

カレーズも涸れ始めており、昨年8月の調査で100本程の井戸(合計)が必要と計算していましたが、このままだと足りなくなると思われます。村人の生活は以前と殆ど変わらず落ち着いていました。女児向けの学校も開かれたそうです。4ヶ月近くも留守にしていたので殆どの人からお茶や食事に誘われますが、忙しいと断っても真剣に「久し振りなんだから少しぐらい・・」と怒られてしまいます。殆どの村人が無事だったのは何よりの報告です。

戦死していたのは1人だけでした。彼は体も大きく働き者だったので、幾つかの場所で私自身が特別に依頼して派遣していた者でした。北部同盟の徴募に応じて志願し、トラボーラで戦死したそうです。以前に「タリバンは好きだがアラブ人は良くない」と言っていたのを思い出します。1月15日に彼の家を弔問しました。家族は志願に反対していたそうですが、生活費のためと言って出て行ったそうです。

渓谷の雰囲気も少し変わりました。以前、ダラエ・ヌールで銃を持っているのはタリバンか協力している村人だけだったので、治安も良く何も心配なかったのですが、今は多くの若者が肩に銃を掛けており威圧感を感じます。

髪の長い者が多く(タリバン支配下では宗教上の地位のある者以外は長髪は認められていなかった)、恐らく北部同盟側の兵士として戦っていた者が帰還したのでしょう。農作業を手伝うでもなく、手持ち無沙汰でたむろしている姿は異様です。

ダラエ・ヌールで銃を持っているのは全てハズラットアリの配下の兵士と言いますが、味方の司令官同士があまり仲が良くないそうなので村人も恐れています。私自身も銃声に慣れており、以前なら銃声を聞いても「ああ、タリバンの演習か・・・」で済んでいたのですが、今は「誰が何のために撃ったのだろう・・・」と不安になります。

それでも子供達は変わりませんでした。私を覚えている子供も多く、「ジャパニー、パカェラァリー!!」(日本人、ようこそ)と握手を求めてきます。テロ事件以前から何も変わらない人たちが我々の作業の対象であり、我々の仲間です。彼らが何も変わらず一生懸命生活しているのですから、我々の活動も変わりません。今まで通り彼らと一緒に生きていきましょう。
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