アフガンいのちの基金No.84
「 ジャララバードからの報告」

PMS院長 中村哲
2002年02月15日(金)

その後のジャララバードでの仕事の経過を報告します。

 昨日(2月14日)カルザイ氏がジャララバードを訪問し、アブドゥル・ハクの墓にお参りしたそうです。このため、大勢の内外の諸団体が大挙して儀式に参列しました。しかし表通りだけで極めてものものしい警備態勢が敷かれ、ペシャワール会=PMSのバイク5台も、北部同盟の民兵がやってきて、徴用されました。人々は「カルザイがアメリカと共に来た」と噂していました。治安が乱れに乱れて、北部同盟の軍民が一応治安を守っていることになっていますが、夜は強盗に豹変するケースが少なくありません。これは、治安部隊の給料がないので、傭兵としても自給自足せざるを得ないからです。

 さて、この4日間、ペシャワール会=PMSの東部診療所を見て回りましたが、何事もなく運営されています。ヌーリスタンのワマ地方、クナール州のダラエ・ピーチでは、地域の長老会が決定して、診療所の建て替えを積極的に支持、犠牲祭の祝日明けにスタートします。

 食糧配給の方は、北部同盟軍の略奪が激しくなったために、2月10日にこれを停止、イード(犠牲祭の祝日)明けから新方式をとります。手の届く範囲の公共事業を興して日当として貧民に配給するのが早道です。水源確保計画のほうは、少しずつ再編成が進んでいるようです。農業関係では、ダラエ・ヌールを「モデル地域」に指定し、とりあえず十六万平方メートルの農地を「試験農場」として借り受けて待っています。

 現在、東部ではジャララバードの都市近郊、サルシャヒ難民キャンプでわずかな活動が散見されるだけで、ほとんど外国人はいないようです。クナール州はほぼ独立状態で、以前私たちPMSの車両を襲撃した地域の指導者、ナジュムッディーンが「防衛隊長」として取り仕切っている状態です。しかし、彼とは古いつき合いなので、かえってクナール州の方がPMSにとっては安全と言えます。ヌーリスタンに至っては「ヌーリスタン州」を名乗り、全く別の動きをしていました。

 それでも、長老会を主体とする地方権力の構造は変わらないので、今度の一連の爆撃や政権交代劇はほとんどの人々にとって影響がなかったと言えるでしょう。ただもたらされた「自由」とは、強盗・略奪の自由、麻薬栽培の自由、餓死の自由であって、事態はタリバンの出現した1992年に戻ったとしても過言ではありません。

 まもなくカブールに発ちます。とりあえず、私たちの仕事がつつがなく進行していることを、急いで連絡しておきます。さようなら。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
No.83を読む  ○報告一覧へ○  No.85を読む
ホームへ 連絡先 入会案内