「最大規模」の復旧作業と自然の恵み
大洪水の後始末はこの春までが勝負です

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報106号より
(2010年12月8日)
大洪水の爪痕―急務の取水口復旧
 みなさん、お元気でしょうか。
 アフガニスタンは間もなく冬に入ります。河の水が急に下がり始め、例年のことながら、あちこちの取水堰の補修が必要な季節です。今年はまた特別です。

 去る7、8月にアフガニスタンとパキスタンを襲った「世紀の大洪水」は、あちこちに爪痕を残しました。災害直後は大きなニュースとして伝えられましたが、本当の後始末はこれからなのです。

 私たちはアフガン東部・クナール河沿いで用水路工事を進めてきましたが、冬になって河川敷が見え始め、改めて洪水の凄まじさに驚いています。PMS(Peace(Japan) Medical Services)が手掛けた全ての取水堰が影響を受けました。

 開通して多くの農民たちに恩恵を与えてきたマルワリード用水路の取水口も、対岸中洲が流されてしまい、充分な取水が困難になっています。最低水位になる厳冬期を待って一挙に改修せねば、灌漑域3,000ヘクタールの小麦が壊滅してしまいます。

マルワリード取水堰。洪水により堰対岸の中州が流失した

 この他にも、シェイワ、ベスード、カマの各取水口も一時は水が途切れました。9月から復旧工事を始めたものの、青息吐息です。特に東部ニングラハル州で最大の穀倉地帯、カマ郡の2つの取水口は、仮工事に近い状態でしたが、対岸の村落と同様、水路そのものが水没するほど激しいものでした。

地元の悲願、カマ取水口を新設・増強
 カマの広大な耕地、7,000ヘクタールを潤す取水堰は2つあり、うち第二取水堰が全体の70パーセントを受け持っています。PMSが2008年12月に仮工事を始めると、続々と帰農する者が増え、カマは往時の繁栄を取り戻したかのように見えました。PMSも、数年がかりで完成する積りでいました。それが洪水の影響を相当受けて新設を余儀なくされ、取水堰改修、水門と主幹水路1キロメートルの新設、対岸の護岸(約4キロメートル)の建設に追われています。この辺りは、ちょうど北部ヒンズークッシュ山脈から来るクナール河が本流のカーブル河に合流する場所に当たります。といっても、九州の3〜4倍の流域面積ですから、暴れだすと手がつけられません。昔から氾濫原として有名で、歴代のアフガン政府が手を焼いてきた場所だそうです。

「カマ取水口建設は不可能」というジンクスがあり、その完成は長い間住民たちの悲願となっていました。今回地方行政とも協力し、本格的な新設に乗り出したのです。

 さらに対岸ベスード側の護岸工事をも同時に進めないと、住民が不安がります。こちらの方も相当な洪水被害を受け、多くの村々が水没しました。クナール河の主流がベスード側に年々移動していて、今夏の大洪水で岸辺が、幅数10メートル、長さ4キロメートルにわたって破壊されました。

 このままでは、来夏に数100ヘクタールの農地と家々が押し流されてしまいます。PMSとしては、異例の決断で直ちに工事を始めました。

過去最大規模の精力を投入
カマの第二取水口

 かくて、洪水被害の影響は、私たちを三正面、四正面の仕事に直面させることになりました。ワーカーOBの方々も駈けつけてくれ、PMSを支えるペシャワール会も、必死の国内活動を続けています。

 カマ側の護岸工事が外国の支援で行われていましたが、それが元来遊水地であったところを囲い、対岸ベスード側に洪水を押しやったと思われます。このことを住民たちはよく知っていて、直ちに対岸同士の話し合いとなりました。世界中「対岸」は不仲です。両者を円く治めるためには、やはり行政がしっかりしていなくてはなりません(そのことも勘定に入れてやりかけの護岸工事をPMSが引き受けるつもりでしたが、さすがに大洪水は予測できませんでした)。

 しかし、「2月下旬まで」という自然が決める時間制限には逆らいようがなく、見切り発車となりました。おそらく今冬が、PMSとしては過去最大規模の仕事となるでしょう。
 毎年、「最大規模」が繰り返されますが、要するに仕事が年々大きくなるということです。最近気づいたのは、話ばかりが多くて、誰も本格的に実行する者がいなかったということです。

死の谷<Kンベリは着々と緑化
今秋、試験農場では水稲の収穫も行われた

 でも、暗いことばかりではありません。「ガンベリ沙漠開拓」は着々と進んでおり、今年は30ヘクタールに小麦畑が出現しました。周辺農家を入れると、100ヘクタールを超えていると思います。沙漠の面影は少しずつ消え、緑が広がっています。アフガン人は根っからの農民である上、小麦が主食ですから、職員・作業員がみな立ち止まり、うっとりと眺めます。昔日本でも見られた若麦の鮮やかな緑の絨毯は、苦労しただけ美しく輝いて見えます。

 かつての「死の谷」は、今や生命の躍動する場所となりました。鳥や昆虫たちの姿が増えました。牧畜や養蜂も、来年から始まります。大きな貯水池では、養魚も計画されています。遊牧民たちのメッカともなり、続々と羊の群が集まってきます。

 この光景は、どんな言葉にも優り、「平和」の何たるかについて、実感を与えてくれるようです。緑の絨毯の背景には茶褐色の岩山がそびえています。地球の歴史を刻む荒々しい岩肌は、自然の前には人の営みがいかに小さいかを示しているようです。

 蝸牛角上、何事をか争う
 石火光中、この身を寄す
(カタツムリの角のようにちっぽけな世界で、何を人間たちはいがみ争い合うのか。火打石の火花のように短い時間を生きているのだ)

 昔の詩人の言葉ですが、ここでは実感です。人に許された僅かな時をおろそかにせず、平和と相互扶助で生かされていることを思い、何だか豊かな気分に浸れるのでした。政治と宗教を超え、平和を願う気持ちは何処も同じです。

 猛々しい「対テロ戦争」も、ここでは作為的に思えます。私たちは怯えなくてもいいものに怯え、人に与えられた恵みを忘れがちです。武力で立つ者は、必ず武力で倒されます。もうとっくの昔に、戦争に関心がなくなりました。政治的に正しいかどうかは問題ではありません。ここでは日々の糧と天の恵みに感謝できることが、もっと大切なことのように思えます。

 確かに厳しい局面ではありますが、皆さんの支えと祈り、生死を分ける水の恵み、人々の平和への願い、良心的なアフガン人の協力らによって本事業が成り立っていることを思い、励みとしております。このような仕事に携われることに感謝し、併せてご協力を引き続きお願い申し上げます。
 良きお正月をお迎え下さい。