百年に一度の大洪水
〜今秋より取水口の大改修

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報105号より
(2010年09月29日)
決壊寸前まで増水したカマ第二取水口

世紀の大洪水
 みなさん、お元気でしょうか。8月初旬に帰国してから5週間、やっと現地に戻る直前です。既に報ぜられたように、今年の夏、アフガニスタン・パキスタンは未曽有の大洪水に襲われました。そのため、ぎりぎりまで予定を延期し、後ろ髪を引かれるように帰国、現地との連絡を絶やさず、今秋・今冬の大規模な改修計画を立てていました。
 マルワリード用水路の開通が成り、「今後は農業計画=ガンベリ沙漠開拓が主な仕事になる」と信じていた矢先でした。
 帰国直前の7月27日に降り始めた雨は、断続的な集中豪雨を伴い、厚い雨雲が幾日も留まって梅雨のような状態でした。乾燥地ですから、初日は皆喜びました。しかし、例年と違うのです。

 アフガンには雨季が2度あり、冬季と夏季にやってきます。このうち、土地を潤して農業の支えとなるのが冬の雨です。梅雨のような小雨日が多く、小麦を育てるだけでなく、高山に雪を降らせ、万年雪を絶えず補充していきます。

「アフガニスタンではカネがなくとも暮らせるが、雪がなければ生きられない」という諺をいつも紹介しますが、この積雪が夏に解けだして河沿いに豊かな実りを約束してくれるのです。白い山の雪は巨大な貯水槽の役目を果たし、恵みの象徴です。近年の温暖化で、この雪が一気に解けて洪水と渇水が同居し、農地の沙漠化が急速に拡大していることは訴え続けてきた通りです。

 対照的に夏の雨は、局地的な集中豪雨が大半で、恵みより被害の方が多いように思われます。しかし、普通は夕立に近い通り雨で、長雨にはなりません。
 ところが、今年は違っていました。インド洋に発する夏のモンスーンが巨大化して北上、カラコルム・ヒンズークッシュ山脈の北部と東部に大量の降雨を起こしました。インダス河の流域は、ことごとく大洪水となり、厚い雨雲が去りません。

 私たちが関わってきたクナール河やカーブル河も例外ではありませんでした。降雨2日目から河の水位がぐんぐん上がり始めました。マルワリード用水路の取水口では、2005年の最高水位を1mも上回り、激流が襲いかかりました。幸い5年の歳月をかけた改修の成果で難を免れましたが、恐るべき水勢です。頑丈な堰は残ったものの、対岸の広大な中洲が7月29日、一挙に洗い流されて消えてしまいました。

守られたマルワリード用水路
決壊寸前まで増水したマルワリード用水路の取水口»


 25kmの用水路内でも、至る所で鉄砲水に遭遇、特に新しくできた場所の決壊が危ぶまれましたが、殆ど無傷でした。大きな貯水池をいくつも作ったのが幸いして、水害を起こしませんでした。
 特に、ガンベリ沙漠の岩盤周りにある通称「Q2大池」の決壊は悪夢で、流入する水量は並みのものではありません。普段なら30cm(水門付近)の水深で流れるのが、最高80cmに達しました。実に35,000トンが一日で貯留したことになります。

 このため、各区の排水門を緊急に開放しましたが、排水路網の整備が役立ち、水害は起きませんでした。目立たず2年間積み重ねられてきた努力が真価を発揮したのです。用水路に頼る3,000ヘクタールの農地は守られました。私たちのガンベリ試験農場の田畑も影響なく、水田の稲が青々と育っています。

穀倉地・カマ郡の被害
 他の取水口のうち、シェイワ用水路は完璧に守られていました。最も被害を受けたのはカマ取水口です。カマ郡は面積7,000ヘクタール、人口30万、ニングラハル州で最大の耕地と人口を抱えています。「カマ郡の豊作・不作がジャララバードの穀物価格を決める」と言われるほどです。しかし、ここでも渇水による沙漠化が進み、歴代の政権の手によって多くの取り組みが行われたものの、成果が上がりませんでした。このため、一時は人口が半減したと云われています。最も多くのアフガン難民を出したのも、この地域でした。「カマの取水口は絶対に成功しない」というジンクスができ上っていたのです。

 さて、ここに2008年12月にPMSが着手した2つの取水口があります。仮工事に近いものでしたが、一時は全カマ郡を潤し、多くの避難民たち(約10万人)が帰農しました。PMSがマルワリード用水路で日本の堰の技術を会得、その成果が確かめられると、次々と他の取水口に応用されていきました。なかでも、カマ郡の取水堰建設は最大のものだったのです。

 この貴重な取水口が、今回の大洪水で相当な被害を受けました。第一取水口では、急上昇した河の水位が土手を越えて流入、主幹用水路を土砂が埋めつぶしてしまいました。
 第二取水口は、7月30日、仮工事中の水門を破壊して濁流が滔々と流れ込み、手のつけられぬ状態となりました。カマ郡村落の一部も浸水しましたが、7月31日、PMSが突貫工事を開始、水路内に流入した洪水路を切り崩し、辛うじて犠牲を避けました。

 しかし、対岸のベスード郡低地は浸水が激しく、多くの村落が孤立しました。周辺の地域を入れると、約80名が犠牲になったと報ぜられました。その後も断続的に豪雨が襲い、水がようやく引き始めたのは8月中旬のことでした。クナール河は、九州の3倍以上の流域面積があります。ヒンズークッシュ山脈東部・北部全域の降雨が一度に起これば、恐るべき状態になることを、身を以って知りました。

大洪水下の空爆
 それでも、アフガニスタンの被害はパキスタンに比べると小さなものでした。その後の報道は胸を痛めることばかりでした。日を追って発表される犠牲者の数が増え、「パキスタン全体で被災者2,000万人、死亡確認1,500名、建国以来の犠牲」と伝えられました。
 しかし、最大の打撃を受けたペシャワール付近、東部アフガン、カイバル・パクトゥンクワ州(旧北西辺境州)は、天災に加えて人災です。こともあろうに、米軍の空爆が休むことなく続けられ、「危険地帯」とされて救援の手が届かない状態が続いています。ある地域では、遺体を収容しているところを爆撃され、罪のない村民20数名が即死、多くの負傷者を出しました。こうして、復讐を誓う者たちが日々激増していきます。欧米軍は道義的に既に敗北しました。

 数百年に一度とも言われる大洪水に対して、私たちは人の無力さを覚えるだけでなく、天災さえ利用して殺戮をほしいままにする精神の荒廃、力に屈して弱者の立場に立てぬ臆病と無関心の蔓延を見ます。同じことが欧米諸国で起きたら、連日の大騒ぎとなったことでしょう。
 同じ頃、コレラ大流行の危険が迫り、わがダラエヌール診療所でも死亡者が発生、現在まで約200名が治療されています。アフガン東部とパキスタン北西部で大流行するのは確実と見られています。昨年日本で「新型インフルエンザ」騒ぎがありました。その時を思い浮かべ、格差は仕方ないとは思っても、何だか悲しくなります。

最大の挑戦
 さて、今秋から私たちは大きな挑戦に乗り出します。「数百年は使える用水路」と豪語しても、取水口と取水堰は自然の猛威に充分に耐えるものでなければなりません。また、今回のような大出水の際、対岸の被害を増すものであってはなりません。そこで、

1) マルワリード取水堰・水門の全面改修
2) カマ第一取水門補修
3) カマ第二取水口の全面改修
4) カマ第二用水路・主幹1q建設
5) カマ対岸の護岸工事1,8q
6) ベスード取水堰(カブール河)建設

 以上を2〜3年をかけて実行します。ガンベリ沙漠の農地開墾は、もちろんPMSの手で営々と続けられますが、先ずは取水を万全にするのが先決です。このため、1)、2)についてはPMSの単独事業とし、他については、地域行政に協力、抜本的な解決に乗り出しました。しかも、工事は河の水かさが下がる時期を狙って一挙に進めねばなりません。

 本当は明るい話題、「8年がかりで引いた水、沙漠で秋の実り」を伝えたかったのですが、次回お伝えします。未曽有の大洪水の後始末で、しばらく河から離れられません。一般に大河川の工事は物量が必要で、マルワリード用水路でも予算の半分近くが河周りの工事に充てられました。自然と人為との危うい接点が取水堰と護岸です。相当な努力と協力が欠かせません。

 今回の災いを福に転ずべく、同農村地帯で生活する60万農民の生存を賭け、文字通り死力を尽くしたいと思います。平和は戦争よりも努力が要ります。遠からず外国軍は疲弊して去り、アフガンの話題も遠のくでしょう。しかし、そこで暮らす人々はどこにも行き場がありません。どんな戦争熱も、憎悪をあおるヒステリックな政治宣伝も、私たちにはあまりに縁遠いものです。ひたすら豊かで平和な緑野を夢見て、汗を流すだけです。
 変わらぬ温かいご支援、ご関心に感謝いたします。