朽ち果てる富に振り回されるのは自滅の元
――河川工事も沙漠開拓も佳境に

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報109号より
(2011年10月19日)

左:ガンベリ砂漠の試験農場に広がる麦畑/右:砂嵐により荒野に帰った試験農場。長さ1.3km給水路3本と本水路約3kmが埋まり、浚渫を繰り返す。


河川工事の季節
みなさん、お元気でしょうか。今や現地は「冬の陣」を前に、てんてこ舞いです。再び多忙な河川工事の季節が巡ってきました。クナール河の水位がぐんと下がり、渇水期の河川敷が現れ始めました。これまでの工事の結果が目前に突きつけられます。概ね昨年度の護岸・取水堰工事は成功で、多くの人々が恩恵に浴したのはこれまでの報告通りです。

しかし、一筋縄ではいきません。昨年の工事の後始末に加え、今年はベスード第一堰(4頁地図)の完成を期し、大規模な仕事が始まろうとしています。同取水堰で生活する農民は約10万人、2,000数百ヘクタールを潤します(PMSがカバーしようとする農地一万四千ヘクタール、60万農民のうち、約6分の1)。実際にはPMSが2006年から仮工事で一時しのぎをくり返してきましたが、今回は数百年使える堅牢なものを作ろうという訳です。六月から交通路敷設、工事期間中の一時灌漑路の造成を行い、10月を期して本工事に突入いたします。
一方、ガンベリ沙漠開拓は佳境に入り、今春の砂嵐対策の砂防林造成、湿害処理の排水路網整備が休むことなく続けられています。灌漑は、単に水を送って大地を潤せば済むものでなく、取水から排水まで、一貫した工事が求められます。脚光を浴びませんが、実は排水路工事は数十キロメートルに及び、今後も努力が続けられます。用水路沿いと開拓地に植えられた木は六十万本を超えました。
みなさんが日常目にする何でもない田畑も山林も、長い長い年月をかけ、日本人の先祖たちが築いた血と汗の成果であることに気づきます。それを経済発展の名の下に、いとも簡単に反故にし、荒れるにまかせては、バチ当たりというものです。単に「儲かる・儲からない」という低レベルでの話ではありません。幾多の渇水、洪水、飢饉をくり返し、治水・治山は、日本人の生きる根拠を提供し、自然との同居の知恵を育んできました。

今年の夏の洪水から村を守ったクナール河ベスード側の護岸


大自然の壮大なドラマ
さて、現場での役得の一つは、大自然の壮大なドラマが身近に実感されることです。河は生きており、文字通り生々流転、長い地球の歴史を刻み続けているようです。毎年述べる「河川工事」など、けし粒のように小さなものだといつも思います。

仕事上、地勢を詳しく観察しますが、知れば知るほど、気の遠くなる自然史に思いが行きます。インド亜大陸とユーラシア大陸がぶつかって盛り上がり、ヒンズークッシュ、カラコルム、ヒマラヤ山脈ができ、この山々を氷河が削り、降雪と降雨が谷をえぐり、無数の河川を作ります。くり返す洪水で土砂が流されて平野ができ、その平野を大河川が貫いて、はるかインド洋に流れ注ぎます。インド洋からはモンスーンが押し寄せて雨を降らせ、西からはアフリカ=中央アジアに連続して乾燥化が押し寄せる――その隙間の瞬時に私たちは生かされています。

農業が営める沖積層は、その歴史約一万年、四六億年の地球史では、「ごく最近のもの」だそうです。数十万年ごとに来る氷河期のはざまのうち、現在は第四間氷期と呼ばれ、最近取りざたされる「温暖化」は、この自然周期とは無関係で、産業革命以後、化石燃料を大量使用し始めた時期と一致するそうです。
数十億年かけ、植物の光合成で大気の炭素が地下に収まって酸素が増え、生物が住める絶妙な環境が築かれた。近代の経済活動は、それを瞬時に打ち壊してしまった。自然が地下に眠らせたものを人工的に呼び覚まし、応分の報いを受けたということです。恐ろしい話ですが、科学が立証ずみなのに、何故か大きな倫理・自然観として人の意識に反映されない。ここに問題があるような気がしてなりません。
原子力に至っては、亡国的という以上に反生物的。他生物も巻き込む無理心中としか思えない――化石燃料から放射性物質に至るまで、組織された人の業欲は恐ろしいと思いました。

カーブル河側のベスード取水口の基礎工事の開始


いかにその日の糧を得るか
ここアフガンで毎日戦争の犠牲を聞かぬ日はありません。だが、大きな目で見ると、自然の摂理から遊離して、傷つけ殺し合いながら、ひたすら自滅の道を驀進する恐怖の戯画が、見えるような気がします。
それでも、人はその日の営みを続けなければなりません。だが問題はここでは単純、いかにその日の糧を得るかです。生きるため、ひたすら水を引き、木を植えて緑を増やし、営々と田畑と林を作る。言葉にすればそれだけのことですが、これが過たぬ人の営みであり、全ての人が協力すべきことであり、郷土の安全の基礎だと思います。

ガンベリ沙漠に続々と集まる遊牧の群、すくすくと成長する木々の緑、水を求めて虫や魚や鳥たちが集まり、人が住み着き、この生命の饗宴に参加する。かつて避けられた死の沙漠は、確実に緑の楽園に変化しています。奇跡でも魔術でもありません。「想定外」は悪いことばかりでもありません。実のところ、これほどの変化は、工事を進めたPMSでさえ予測しませんでした。ここには理屈ぬきに訴える平和があり、心和むものを皆が共有できます。これが希望をかき立てる自然からのメッセージなのでしょう。水と緑は人を落ち着かせます。おそらく自然に根ざす本能的な郷愁だからです。人為の過信から自然への回帰! 新時代への萌芽を、ここに見ることができます。

野の花の育つのを見よ。栄華を極めたソロモンも、その一輪の装いに及かざりき。(汝らへの恵み、既に備えてあり。)――ここでは実感です。2,000年前の知恵と倫理に、近代は遥かに及びません。
朽ち果てる富に振り回されるのは自滅の元。毎日、自然と格闘しながらも、分け隔てない恩恵を知り、遠い故郷に哀しい思いを馳せるこの頃であります。
末尾になりましたが、日本が大変な時であるにもかかわらず、この事業を変わりなく支え続けて下さる、その温かい共感と志に心から感謝し、さらに力を尽くしたいと思います。

遊牧民対策で引き込み水路は幅を広く取り、穏やかな岸辺を造成中。これは遊牧民対策で、作物や植樹を守り、家畜の糞を集めるため。


ジャララバードにて
ケシュマンド山系に記録的集中豪雨。ジャリババ渓谷からの洪水・土石流が用水路を破壊。緊急復旧工事を開始。ベスード取水口は安全位置を確認

ゲリラ集中豪雨がケシュマンド山麓一帯を襲いました。最後の夏季モンスーンですが、この時期は異例です。10月に入っても日中の気温35℃以上、蒸し暑い日が続いていました。
降雨は高地を中心に10月4日夜半に始まり、洪水路の氾濫が4日夜から翌5日早朝にかけて始まりました。ダラエヌール、ラグマン共に激しく、マルワリード用水路沿いも、至る所で危険にさらされました。ジャリババ渓谷のものが最大級、取水口から500m地点が派手に破壊され、用水路は途絶えています。
同地点の洪水通過路は、拡張が痛感されていて、2006年、2008年、2010年と、大量の土砂が流れ込み、沈砂池が埋まっていたのです。昨年、本格改修を予定、洪水通過路の幅15mを40m以上にする予定でありました。復旧工事はすでに始まっていますが、シェイワ堰河道回復などを一時中断、10月8日から機械力を集中し、最後の改修のつもりでやります。この時期を逃すと、麦まき時期となり、工事ができないでしょう。
工事中のベスード第一取水口も一部冠水しました。しかし、岩盤背後の防御位置と構造物の高さが適切であることが分かり、却って正しい設計が確認されました。
工事に相当な影響を避けられませんが、いつもの話。何とかやります。人も自然もずいぶんと穏やかではなく、うまい話はありません。ベスードからジャリババまで45q、作業地の分散を避けたつもりでしたが、全て「想定外」。自然相手に短気は損気。かなり忍耐力が要ります。だが相当な物量も要るので、よろしくご協力願います。

中村 哲/平成23年10月5日 記

サツマイモ栽培(2011年8月撮影)