自然とは人の運命をも支配する摂理である
――2011年度現地事業報告

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報112号より
(2012年7月4日)

2011年度を振り返って
ペシャワール会の結成が1983年9月、現地活動の開始が翌年5月、「アフガニスタン」は日本から遠い存在だった。
当時、アフガン戦争(1979―89)とソ連軍撤退が一時的に世界を沸かせ、忘れ去られていった。その後の経過を回顧するのは、気が進まない。恐れた破局が確実に現実化してゆく過程は、人間の愚かさをたどるだけで、元気の出ないものである。
大国の利のために武力や謀略が横行し、無数の犠牲を出した。そして、犠牲の殆どが罪のない弱者であった。この愚行が正当化され、拡大して現在に連続している。信ずべき「正義」は死んだ。
怪しげな進歩発展を謳歌する時代は終わった。だが、今だに人がカネを使うのではなく、カネが人を動かしているように見える。一国が滅びようと、生命が犠牲にされようと、利のためならなりふり構わない姿は、自滅の道を驀進する恐怖の戯画だ。
そして、この破滅への運動は、容易に私たちを誘惑する。刹那的な繁栄で物欲が刺激され、人為の架空が独り歩きする。この「注文の多い料理店」にとどまる限り、表裏にある暗い不安も消えないだろう。
医学を含め、今日私たちに突きつけられている最大の課題は、「自然と人間の共存」である。私たちは自然を操作し、人の意に従えるよう努力してきた。それが文明の発展であり、豊かさをもたらす最善の道だと教えられてきた。
だが、アフガニスタンで見る限り、事態はそうでもない。自然とは人の命運をも支配する摂理であり、人の意識の触れることができない一線を画して厳存する。

沙漠横断水路。木々の成長で、主幹水路が砂で埋めつぶされることがなくなり、年を重ねるごとに用水路は強くなっている(2012年4月)


私たちは荒唐無稽なカルト集団の考えを笑うが、時代が共有する迷信や倒錯から誰も自由ではない。近代技術が長足の進歩を遂げた今日、ともすれば、科学技術が万能で、人間の至福を約束するかのような錯覚に陥りがちではなかっただろうか。また自然を無限大に搾取できる対象として生活を考え、謙虚さを失っていなかっただろうか。自然はそれ自身の理によって動き、人間同士の合意や決まり事と無関係である。

大震災を経て、市場経済の破たんが世界中でささやかれる今、命はただ単に経済発展や技術進歩だけで守られないというのが、ささやかな確信である。
その一方で、新たな模索もまた、あらゆる分野で静かに始まっている。その声は今でこそ小さくとも、やがては人類生存をかけた大きな潮流にならざるを得ないだろう。
必要なものは多くはない。恐らく、変わらずに輝き続けるのは、命を愛惜し、身を削って弱者に与える配慮、自然に対する謙虚さである。現地事業がその思いに支えられる限り、恐れるものは何もない。
この一年間、立場を超えて人の温もりと良心に励まされ、無事経過したことを、感謝を以て報告し、12年度も更に力を尽くしてゆきたい。

マルワリード用水路流域の変化。
上はガンベリ沙漠横断路開通直後(2009年8月)

下は2年半後(2012年4月)

2011年度の概況
●気候変動

10年8月に発生した空前の大洪水はインダス河流域で甚大な被害を与えた。PMSの取水設備も至る所で改修を余儀なくされた。しかし、11年秋から河の水位が急速に下降、逆に渇水状態に見舞われた。このため、小麦の作付けを断念した農家が多かった。

ヒンズークッシュ山麓全体で、従来はなかった気候変化が明らかに進行している。秋10月の局地的豪雨や春5月の台風並みの砂嵐などは、以前は見られなかった。全体に動きが大きく、予測しがたいものになっている。
12年2月には渇水から一転、久々の豪雪と寒気がヒンズークッシュ山脈の東南部を襲った。だが、これは旱魃の終息を意味しない。気温上昇や夏の長雨で容易に河川が氾濫する。主にカーブル河本川で春の雪解けが洪水を成し、12年4月20日、ジャララバードが記録的な洪水に襲われた。同市は10年8月の洪水にも影響がなかった地域である。
アフガニスタン全土の気候変化=渇水と洪水の極端な同居、それに伴う取水困難と農業生産の低下が、直面する最大問題であることを改めて印象づけた。

ベスード第一取水口。カーブル政府灌漑局の調査団は、これを完全に新しいシステムと評価した(2012年2月)


●復興と撤退
11年は欧米軍撤退への動きが加速した。民間人の犠牲者が急増する一方で、外国軍兵士も規律の弛緩や自殺が目立ち、末期状態を印象づけた。欧州軍を中心に撤退ムードが徐々に高まり、「治安権限移譲」地域が更に増えた。東部アフガンのナンガラハル州では、PMSの活動地の殆どが対象地区となった。
しかし、地上軍の移動が減っても、「誤爆」は日常的に続いており、市民の犠牲は減っていない。また、イスラム教を冒涜する心ない事件が相次ぎ、外国兵に対する反感はいっそう強くなっている。
国軍や警察、官僚の育成は、欧米軍が浮き足立ち、即席にはできない現実がある。少なくとも東部農村では、国家機能がマヒ状態に近く、都市部の治安も更に悪化している。東部農村のプロジェクトは更に少なくなった。

●無人機攻撃、パキスタン北西部の混乱
11年5月、ビンラディン被疑者が殺害される頃、パキスタン国境沿いを中心に無人機爆撃が活発となった。反政府指導者が潜む場所だと判断されると、家屋や集落ごと葬り去るもので、巻き添えを食らった家族や市民の犠牲は膨大になると思われる。
11年秋、「友軍」であるはずのパキスタン部隊が国境付近で無人機に攻撃され、多大の犠牲を出した。パキスタン政府はNATO(北大西洋条約機構)の軍需物資の輸送拒否を以て応じ、無人機に対する抗議の声を強めた。これによってNATOの軍事行動が著しく制約され、代ってタジキスタン経由の輸送が増加した。カイバル峠を越える補給路をめぐって、NATOとパキスタン政府との関係が一時緊張した。

●無政府状態の拡大と農村自治
反政府勢力との交渉では、米軍が一転してアフガン政府の頭越しにタリバン代表と交渉し始め、情勢を複雑にした。もともと和平交渉はアフガン政府が以前から提唱していて、このための定期委員会も発足させていたが、この渦中で政府側代表(前大統領ラバニ師)が暗殺された。タリバン側は「外国軍引き上げを条件」とする姿勢を崩していない。

軍規も弛緩しがちで、外国兵による猟奇的な殺人事件、日常的な誤爆、無意味な虐待などが横行した。これに対し、激怒したアフガン軍兵士や警察官が、欧米兵を狙撃する事件も相次いだ。
一般農民とタリバン兵を区別するのはもはや不可能であり、「タリバン対国際軍」という図式も不明確である。反政府勢力は、アフガン系、パキスタン系が入り乱れた上、旧軍閥や犯罪者、タリバンを名乗る謀略が加わり、分かりにくいものになっている。「要するに秩序と平和が欲しい」と述べる者が普通で、外国の軍事干渉が混乱の元凶だと皆思っている。

この中で東部アフガン農村は、従来からあった自治性(=地縁による結束)を一層強める傾向にある。各自治会を中心に、この地縁関係は党派を超えて成立し、農村秩序の唯一の拠り所となっている。都市近郊では大っぴらな買収工作、投機的な土地の売買などで富裕層が潤って格差が広がり、自治の力が弱まっているものの、大半の農村では長老会が健在である。PMS現地活動の実質的な安全保障もまた、地域自治会との関係を抜きに考えられない。

ガンベリ沙漠の排水路敷設工事。排水路が整備されると、湿害の心配がなくなり、農場の開墾地を増やすことができる(2012年4月)


PMS事業の概況
東日本大震災の影響で、ペシャワール会=PMSの予算は縮小を余儀なくされたが、10年度からのJICA共同事業の河川工事が継続されたため、規模は発足以来最大となった。治安悪化は事業進行に殆ど影響しなかった。
ダラエヌール診療所は変わらずに続けられ、ハンセン病患者の治療の場を再建することが課題になってきた。
灌漑事業は、マルワリード用水路の最終段階である保全態勢に着手すると共に、隣接地域の安定灌漑をめざし、取水堰及び一連の取水システム(取水門・主幹水路・調節池・送排水門・関連護岸など)の建設が次々と進められた。

ガンベリ沙漠開墾は、11年5月の砂嵐と同年10月の鉄砲水、11月のクナール河渇水で一時中断を余儀なくされたが、防砂林の植樹を活発化し、給排水路の整備が更に行われた。用水路は事実上シギ村落まで延長されることになり、12年4月、洪水路横断工事が始められた。
長い対立が続いていたマルワリード対岸・カシコート地域は、11年10月に和解が実現し、12年2月、大洪水で破壊された主幹水路復旧と取水堰と一連の取水システム建設をめざして護岸工事が開始された。この結果、ジャララバード北部穀倉地帯(耕地一万6500ヘクタール、65万人)の復活と安定灌漑をめざす「緑の大地計画」は、ほぼ仕上げの段階に入った。

1.医療事業
最後の拠点

PMSに残った唯一の診療所がダラエヌールである。ダラエピーチ(クナール州)、ワマ(ヌーリスタン州)は戦場となって久しく、再開の目途は立っていない。
12年、同渓谷は「ダラエヌール郡」として、独立した行政区画となった。旧シェイワ郡の人口が爆発的に増え、管理が行き届かなくなったためである。このため、診療所から小病院への格上げが問題になったが、行政手続きが煩瑣な割に実が伴わないと判断、時期をうかがっている。

ハンセン病問題
ペシャワールの旧PMS病院は、唯一残されたハンセン病診療施設として重きをなしていた。だが、戦乱で同病院をも失った現在、同病の治療は大きな課題である。
12年3月、ペシャワール側から照会があり、未治療の患者が送られてきた。アフガン東部、とくにクナール州はハンセン病最多発地帯の一つである。しかし、無政府状態で本格的な動きができず、とりあえずダラエヌール診療所の一角を使用するよう検討された。
治療薬はナンガラハル州保健省の倉庫に眠っている状態だったが、行政側に訴え、その出方を見ている。アフガン側では、結核と統合した対策が表向き掲げられているが、診断・治療できる医療関係者が皆無で、事実上放置されている。カーブルとバーミヤンで長く活動していたドイツ系医療団体は既になく、期待がPMSに集中した。
州保健省は興味を示し、その主催で指導的な医師層を対象に私中村が講義を行ったものの、実態は殆ど知られていない。しかし、この政情下で「ハンセン病どころでない」というのも本当で、PMSとて下手に動けば現地活動全局に影響が出る。
しばらくダラエヌール診療所で小規模な診療を始めて静観し、患者数が無視できない状態になれば、再度行政側に打診、何らかの方策を立てる。

未治療患者の菌検査をする中村医師ジャララバード宿舎にて)


2.灌漑事業
A:取水堰と護岸

10年の大洪水に引き続き、季節外れの集中豪雨、記録的な砂嵐被害、渇水、豪雪、春先の洪水と、目まぐるしい自然の変化に振り回され、昨年度以上の努力を余儀なくされた。
10年9月に立てた計画は以下の通りで、マルワリード取水堰だけを除き、11年度末までに予定工事を全て完了した。
1.マルワリード取水堰・水門の全面改修
2.カマ第一取水門補修・堰の全面改修
3.カマ第二取水口の建設
4.カマ第二用水路・主幹1km建設
5.カマ用水路対岸の護岸工事と取水堰
6.ベスード第一取水堰及び一連の取水システム(カーブル河)建設
7.シェイワ取水堰の河道回復工事
8.ダラエヌール土石流路の護岸工事

ガンベリ沙漠の給水塔(平和ヶ丘)。用水路の水を15m揚水し、傾斜を利用した水やりは防砂林の保全を容易にした(2012年4月)


カマ郡・ベスード郡の安定灌漑
この結果、カマ郡とベスード郡全域で安定灌漑を実現した。これは長年の悲願であったが、難航すると見られたカマ第二、ベスード第一取水堰及び一連の取水システムの建設は、JICA共同事業として実現したものである。
ベスード郡のうちクナール河沿いでは、3.5kmの護岸工事が完了した。河道変遷で日常的に洪水にさらされていたタプー地域が守られ、タプー堰の建設で安定灌漑をも保障した。
「渇水・洪水の両者に耐える堰」は、現地農民の夢であり、緑の大地計画発足以来の最大の課題であった。だが、これら一連の工事によって、日本の伝統技術を範として完成度が高くなり、現在の程度の水位変動なら十分に機能することが立証された。
今後、この取水システムを他の場所に拡大すれば、相当の農業復興が期待できると思われる。


カシコート取水堰・用水路計画
11年10月、長く対立が続いた対岸・カシコート自治会との和解が成立した。対立の原因は河川工事をめぐるもので、クナール河右岸のマルワリード側ばかりが恩恵に及ぶ不公平感があった。実際、カシコートは最貧困地帯の一つで、緑の大地計画の筆頭に挙げられていたが、著しい交通不便もあって、事業が開始できないでいた。
10年の大洪水は、カシコートでも猛威をふるった。加えて前年09年、PRT(米軍地域復興チーム)の橋がクナール河の極めて狭い場所に架けられたため、激しい堰上がりを生じて広範囲が冠水、橋は折れ、主幹水路が濁流に消えた。主要河道が大きく村落に侵入し、年々浸食が進んでいたうえ、自力で取水口や主幹水路の復旧を行うのは不可能であった。10ヶ村のうち6ケ村がパキスタンへの難民化を決定していた。 11年10月、窮したカシコート自治会がPMSに救援を求めて謝罪、PMS側が支援を確約した。翌12年2月、予備工事の河道回復が大々的に開始され、取水堰、主幹水路の本工事は12年10月に始められる。これによって難民化を決めていた村々は、留まるに至った。

その後の再調査で、マルワリード取水堰と連結して堰を築き、約1.5kmの主幹水路を建設すれば、10ヶ村・約3千ヘクタールの安定灌漑が実現することを確認した。
実現すれば、ジャララバード北部3郡(ベスード・カマ・クズクナール)計1万6500ヘクタール全域の安定を保障すると共に、対岸工事に悩んできたマルワリード堰の保全も容易になる。ここに「緑の大地計画」が大詰めを迎えた。




B:マルワリード用水路
マルワリード用水路流域の保全態勢

用水路は完成しても、保全態勢の確立が最大の難関だと見ている。11年度は、マルワリードを襲ったジャリババ渓谷(取水口から約550m地点)の鉄砲水で用水路約20mが破壊され、送水が3週間中断した。
洪水通過路の幅を倍増し、積年の懸案を払拭した。だが、この災害で流域農民は危機感を共有し、協力態勢を強めた。25.5km全域で、浚渫作業を各村が担い、定例行事として定着させようとしている。
また、貧しい村々を主眼に分水路の整備、揚水水車の設置などが計画され、各村会と協力が進んでいる。この背景には、政治に対するあきらめと、支援が及ばぬ現実がある。皮肉なことに、外国支援の期待感が薄れるにつれ、自力更生の意欲が高まっている。
当分はPMSが水主の役割を担い、小水利施設などを整備し、流量調整や村落間抗争を収める。公的機関による管理は時期尚早である。

カシコート護岸。川幅を狭めていた旧堤防を撤去し、2段階の新堤防を築造中。9基の水制を護岸壁に密着させる(2012年4月)

シギ地域の灌漑
シギ村落群はクズクナール郡の約半分を占める。シギ取水口は長く荒廃していたが、マルワリード用水路が開通すると大半の農地を回復したものの、隣接するシェイワ村落群との抗争が頻発するようになった。
これは地勢上、平皿状の低地を通過して送水されるため、湿害の発生が起きやすいのである。そこで、シギ上流側はクナール河の小取水口から直接潤し、下流側はマルワリード用水路末端からガンベリ沙漠経由で送水すれば解決する。だが、沙漠西端の幅広い自然洪水路に阻まれて、計画が棚上げされていた。

11年11月、クナール河沿いで渇水が深刻となり、マルワリード用水路も一時水不足に陥った。PMSが手掛けたシェイワ取水口も河道変化で涸れ、シェイワ・シギ間で激しい対立が起きた。
元来、この取水口はマルワリード用水路を補足するために修復され、シギなどの他の村落も恩恵に浴する筈であった。しかし、シェイワの水番が適切な水量調節を行わず、他の村々を考慮しなかったので、気まぐれな送水で湿害が起き、渇水となれば真っ先に被害を受けた。

11年11月、PMSは多大の労力を割いて旧河道約800mを、4回目の工事で回復し、シェイワ取水口をPMSの直接管理下に置いた。しかし、対立は根深く、シギ住民はシェイワ取水口の共有を頑なに拒否、河道さえも別にすることを主張した。PMSは、現場に集結して圧力をかける住民を一喝、河道を共有して無駄を省くべく説得、予定工事を断行したが、取水門は、やむを得ずシェイワ取水口に隣接して新設する計画を立てた。一方で、12年4月、ガンベリ沙漠経由の送水のため、250mの洪水路横断サイフォンが着工した。
これによって地域同士の対立は解消したが、アフガン農村を束ねることが容易でないことを改めて痛感した。今後もPMSが現地と一体化し、地縁社会の重要な構成員となる以外に道はない。だが、このような実際的な処置を通じてのみ、現地の結束が実現する。実事業そのものが「自立定着村構想」の基礎だといえよう。

ガンベリ沙漠の防砂林。幅100m以上、長さ4km(2012年4月)


3. 農業・ガンベリ沙漠開拓
PMS試験農場は現在、約45ヘクタールが開墾されているが、11年度は猛烈な砂嵐に見舞われて中断した。防砂林の拡張の必要が痛感され、植林に重点が置かれた。このために給水塔2基を建設、4kmに及ぶ林が保全・拡張されている。

ガンベリ沙漠の開墾可能地は、全体で約1千ヘクタール、隣接する村落間で一応の縄張りができ、現在のところ安定している。PMSぬきに開墾ができないので、他の勢力もPMSを介してまとまり、ナンガラハル州では最も治安の良い場所となっている。
なお、11年1月から12月までの植樹は117,028本で、03年から12年5月までの総植樹数は約70万本に達した(別表3参照)。そのうち、ほとんどが活着、枯れたものは補植している。

ザクロの挿し木。ザクロはアフガンの名物のひとつ。第二農場で6,000本を挿し木した(2012年2月)


4. ワーカー派遣・その他
11年度は、2名のワーカーが事業に参加した。しかし、治安情勢を考慮し、現場に中村1名、ジャララバード事務所に村井1名で臨んでいる。
12年2月18日、カシコート・サルバンド村の作業地で、米軍ヘリが突然旋回して女子学童を機銃掃射、16名が重軽傷(うち重傷6名)を負い、PMSが救援活動を行った。父兄や教師から懇請があり、防止のための校舎建設(約160名収容)が予定されている。今秋の用水路工事期間に資機材を輸送して始める。

■2012年度の計画
年度報告に述べた通り。
マルワリード用水路関係では、流域農民の結束で保全態勢を築くことが最大の課題となる。その他農地開拓、小水利施設、給排水路整備、植樹等、基本的にこれまでの連続。小水利施設の中では、シギ村落群へのサイフォン建設、流域の最貧困地帯のカンレイ村の揚水水車設置が大きなものである。
10年に予定したマルワリード取水門の全面的改修は、「カシコート以後」となる。13年度に実施される可能性が大きい。
全体ではカシコート取水堰・主幹水路1.5km、同護岸工事が規模としては大きく、JICA共同事業として実施される。これまでで最大の難工事となるが、実現すれば、マルワリード堰と一体化され、両岸の安定をもたらす。 女子学童校舎は、河川工事が難航すれば延期があり得る。