人と自然との和解を問い続ける仕事
―ミラーン堰の建設と新シギ堰の完成

PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表
中村 哲
ペシャワール会報123号より
(2015年04月01日)
みなさん、お元気でしょうか。
相変わらず、河辺の仕事です。今年は、これまでの大きな仕上げとして、「現地に適した取水技術の拡大」が大きなテーマになっています。治安も良くはありませんが、気候変化はもっと激しくなっています。

この数カ月は波乱万丈、今まで経験したことがない出来事に次々と遭遇し、何年も経ったような気がしています。何から述べていいか分かりませんが、思いつくままを報告し、ご理解いただきたいと思います。

ベスード第二堰
昨年の「マルワリード=カシコート連続堰」に次いで、現在ベスード郡のミラーンという所で取水堰の建設を進めています。
ベス―ド郡はジャララバードの北部で、西をカブール河、東をクナール河で接し、両川に挟まれる三角地帯を成し、耕地約3500ヘクタール、大きな農村地帯です。 2012年にPMSがカブール河沿いでベスード第一堰を建設、同郡の約6割以上が安定した灌漑の恩恵に浴しました。それまで、洪水が流れ込んだり、逆に取水できなかったりで、一見緑地に見えても農業生産の実が少しも上がらなかったのです。 近年の気候変動で、従来式の取水技術が追いつかなくなっていることは、これまで何回も述べてきた通りです。クナール河沿いの取水口はもっと悲惨でした。この途方もない暴れ川は、「狂った河」の異名があり、誰も手が出せませんでした。PMSの取水堰建設は、ベスード第一堰を除けば、すべてこの川沿いに集中していますが、このミラーン堰ができると、ベスード郡の8割以上が安定灌漑領域となり、「緑の大地計画」が大きく前進します。

取水口予定地が消失
ミラーン村落の侵食で家屋が破壊してゆく
昨年10月に着工する直前まで、実はタカをくくっていました。2013年秋に上流で難工事の末に「連続堰」ができたので、ミラーン堰がよほど容易に思えたからです。しかし、いざ着工してみて驚きました。

昨年6月の調査で確認した地形が、全く変わっているではありませんか。護岸予定線の岸辺、約2kmがことごとく激流に洗われて崩れ、取水口予定地が消滅しています。予定していた岸辺の交通路がなくなって、近づけません。おまけに、それ程の水量ではないのに、河の一部が大きく蛇行して村落に侵入しています。目の前で、家屋がボロボロと濁流に消えていきました。 ペシャワール会に緊急の追加予算を頼み、ともかく護岸線と交通路の確保に全力が挙げられました。最大1日30台ほどの大型ダンプカーが稼働し、やっと護岸始点から1,400m先の取水口建設予定地に到着したのは、11月も下旬のことでした。この間、村民に5名の死者・行方不明者を出しました。

その後の展開は速やかで、12月下旬には取水堰と取水門基礎ができ、今年2月初旬には主幹水路約450mの下段と沈砂池を造成、既存水路へ送水を始めたのが2月17日のことでした。まだまだ仕事は残っていますが、これによって、ベスード郡の約3分の1に相当する1,100町歩、4万人農民の生活が守られることになります。

みなへとへとになるまで働きました。通水を確認した時、作業員、職員、住民こぞって大きな喜びをかみしめました。短期間に達成した仕事としては記録的なものでした。図らずも、PMS職員・作業員たちの熟練を実証する結果となり、大いに意気が上がりました。

新シギ堰の完成と闘争の歴史
建設中のミラーン堰と新シギ堰
これだけではありません。これと並行して「新シギ堰」の建設が進められました。一昨年予定していた工事ですが、夏の洪水で取水口から約2.7kmが流失し、工事が遅れていたのです。以前に報告したように、マルワリード用水路の2km延長と組み合わせ、長い懸案だったシギ地域の安定灌漑を完成するものでした。工事規模こそミラーン堰より小さいですが、地域安定に大きな意義をもつものでした。

村落保護。堤防は最低10m以上の幅をとる(AとBの「崩れた家屋」は同じ家です)
まだマルワリード用水路が建設中の2007年、シェイワ郡全域が渇水に陥り、一時的に全郡が工事中の用水路に依存していた時期がありました。当時、ガンベリ沙漠開拓が現実味を帯び始めていた時期で、やがて水量が不足する事態が予測されました。そこで、完全に干上がった旧シェイワ用水路を復活すべく、「シェイワ堰」が建設されました。これによって、土地所有や高低差の問題で潅水できない地域を、隈なく潤せると考えたのです。

しかし、2010年夏の大洪水でクナール河の河道が大きく変化し、シェイワ堰の水が途絶すると、水争いが更に激しくなりました。PMSはこの時、水量を豊富にすれば解決すると信じ、同年10月、多大の労力を払って約2kmの河道回復工事を行いました。

マルワリードG分水路(手前)からシェトラウへの送水路建設(2008年3月)
だが既存のシェイワ用水路は、水系と土地所有が一体です。シェイワ村落は他地域への送水を拒否し、熾烈な水争いが起きました。渇水の恐怖に脅えるシェイワ、シェトラウ、シギの各地域は、シェイワ取水口付近に村民を集結して対峙、あわや流血の惨事寸前となりました。 結局、シェトラウ村落にはマルワリード用水路からの既存分水路の送水を増やして安定させましたが、シギ村落へは多量の送水で湿地が発生するため、別に計画を立てました。これが「シギ計画」(2012年)です。

シギ取水門前に蓄積された堰建設用の巨礫(2015年1月)
しかし、1年間も腹を減らして待てません。シギ上流の村民が勝手にシェイワ堰の下流直下に土管を入れ、自分たちで取水口を設け、送水を始めました。「取水量の調節がなくては危険だ」と、PMSが取水門を別に設置しようとした矢先(2013年)、夏の大洪水がシギ水路に侵入、同流域2.7kmもろとも濁流に消えました。PMSは当時、カシコート堰(連続堰)建設に忙殺されて動きがつかず、緊急に夏の仮取水路を設けて凌いだものの、冬までに涸れてしまいました。

神がPMSを遣わした
巨礫で造成したシギ堰。堰幅99m、堰長15〜20m、落差70m(2015年2月)
ミラーン取水門床面の打設作業は総動員の人海戦術で行われた(2014年12月)
ミラーン堰を掛ける中州の補強作業(2014年12月)
ミラーン用水路の沈砂池。送水門と排水門の床面の落差は約80cm。土砂は排水門へ引き寄せられる
このような泥沼の経過を述べると、「住民同士の協力のなさ」を嘆かれるかも知れません。でも人間とはそれほど強いものではありません。抗争の方が普通なのです。いつ襲うかも分からぬ渇水、いつ引揚げられるか分からぬ支援を思えば、誰も自分の家族を守ろうとします。干ばつの中の灌漑事業とは、時に飢えたオオカミの群に肉を投げ込むような事態を惹き起こすことを知りました。 ―こうして、今冬の「新シギ堰」建設が始められました。ミラーンの難工事を併せ、敢えて二正面作戦を決行せざるを得なかったのです。

2015年2月8日、ミラーン堰送水開始。送水直後水路内を歩くパチャグル現場責任者、中村総責任者、ジア所長、ディダールエンジニア、ディラウェルカーン全灌漑局長
2月8日、ミラーンに先立って同堰の通水試験が成功裏に終わったとき、飢えから解放された喜びだけでなく、長い抗争から自由になった解放感は、誰にとっても安堵を与えるものでした。

この時、同地域の長老たちが一堂に集い、作業員たちの労をねぎらって口々に礼を述べました。 「日本、万歳!慈悲深い神がPMSを遣わし、この地に平安をもたらしたのだ」
あながち間違いではありません。水を扱う仕事は、決して「テロ対策」や「平和運動」ではなく、医療と同様、人間の生命を扱う仕事です。そして、人と人、人と自然との和解を問い続ける仕事でもあります。
平和とは実体であり、観念の問題でないことを改めて知りました。

このところ、巷ではまるで劇場のような復讐劇が徒に憎悪と不安をかきたて、勇ましく拳を振り上げる人々が世界中で増えています。しかし、騙されてはなりません。その姿は芝居じみて見え、滑稽かつ危険です。少なくともここは対照的です。大地に根ざして動かぬ人と自然があります。そして、世を惑わす情報世界から自由であることに感謝しています。

(追記)
2月24日、あざ笑うように、渇水から一転、今度は「真冬の大洪水」が襲いました。この日、カブール河が記録的な瞬間水位で氾濫し、ジャララバード市内も浸水しました。上流では数百名が雪崩と鉄砲水で犠牲になりました。安定したと見られていたベスード第一堰が破綻し、水門番小屋が全壊して流失しました。このような災害は誰に聞いても初めてだそうです。しかも普段なら水不足に悩む真冬です。現在、緊急の復旧作業が続けられていますが、PMSの作業地だけは辛うじて護られています。

仕事は営々と続けられます。しかし、皆さんの理解と支援があっての話です。閉塞感の漂う暗い世相であればこそ、現地と力を合わせ、備えられた恵みに思いを致し、良心の気力をいっそう示したいと思います。