いくさや目先の利にらずとも多くの恵みが約束されている
―2014年度現地事業報告

PMS総院長/ペシャワール会現地代表
中村 哲
ペシャワール会報124号より
(2015年7月1日)
欧米では預言者を揶揄することが流行り、それが表現の自由であるとされました。世界全体が、露わな暴力主義と排外主義の毒に侵されて行くように思われました。利権を主張して弱者を圧するのが当然のように言われ始めたのです。このような世界をためらいつつ歩んできた日本もまた、良心の誇りを捨て、人間の気品を失い、同様に愚かな時流に乗ろうとしているように思えます。先は見えています。アフガニスタンを破壊した同盟者にならぬことを願うばかりです。
2014年度を振り返って
カシコート竣工式で州政府主要閣僚からターバンを贈られた中村医師。ミラーン着工式も同時に行われた(2014年10月14日)
「緑の大地計画」が立案されたのが確か2002年でした。当時「アフガン復興支援」で世界中が湧いていましたが、私たちの訴え続ける干ばつと飢餓はあまり重視されなかったと覚えています。

2014年12月、破壊と大混乱を残して欧米軍が去っていきました。あの軍事介入が何だったのか、「対テロ戦争」とは何であったのか、心穏やかにはなれません。

「テロとの戦い」と言いさえすれば何でも正当化されるような狂気が、この十数年の世界を支配してきました。実際アフガニスタンでは、異を唱える者がテロリストの烙印を押され、容赦なく抹殺されていきました。その多くが国際テロ組織とは無関係な、弱い立場の人々でした。無差別爆撃による膨大な犠牲は、「二次被害」と呼ばれました。

イスラム教徒に対する偏見が意図的にあおられ、人々の間に多くの敵対が作り出されました。病的な残虐行為や拷問は日常でした。だが、欧米軍兵士もまた犠牲者でした。その多くは貧しい階層の出身で、社会的事情で志願し、半ば駆り出された人々でした。少しでも良心を持つ者の一部は、自殺に追い込まれました。

季節外れの大洪水。水門左側は護岸壁が洗掘され蛇籠壁のみが残ったが村への洪水流入は防がれた。ベスード第2取水門。(2015年2月25日)
これが現地で見た「テロとの戦い」でした。細々とでも保たれてきた人間の英知とモラルは、これによって一挙に後退しました。欧米では預言者を揶揄することが流行り、それが表現の自由であるとされました。世界全体が、露わな暴力主義と排外主義の毒に侵されて行くように思われました。利権を主張して弱者を圧するのが当然のように言われ始めたのです。

このような世界をためらいつつ歩んできた日本もまた、良心の誇りを捨て、人間の気品を失い、同様に愚かな時流に乗ろうとしているように思えます。先は見えています。アフガニスタンを破壊した同盟者にならぬことを願うばかりです。

しかし、現地事業のおかげで垣間見える世界は、全く逆のものです。少し目を開けば、戦や目先の利に依らずとも、多くの恵みが約束されていることが解るからです。
今、次の段階への飛躍に当たり、立場を超えて実に多くの人々が協力しています。ここに希望と平和の基礎を見るからです。
先は長い道程ですが、このオアシスこそ、飢餓に苦しむ人々だけでなく、私たち自身をも励ます力であることを訴え、変わらぬ協力に感謝いたします。

図1. PMSによる事業位置(2015年4月現在)

2014年度の概況
不安的な気候と災害

ベスード第T取水門―水門に嵌められた堰板でカブール河水深3m以上の洪水流入を許していない。(2015年2月25日)
2014年度もまた、不安定な気候に悩まされた。今回は、クナール河よりも比較的安定したカブール河本川流域で、洪水が多発した。2014年2月〜3月にかけての遅い降雪は、急速な雪解けで各地に雪崩を発生させ、カブール河の流域各地で氾濫した。翌2015年2月には再び遅い降雪・降雨があり、2月下旬、真冬にもかかわらず、記録的な水位がジャララバードを襲った。

ベスード第1堰の取水口付近も直撃され、流域(約2,500ヘクタール)の浸水が危惧されたが、取水門は持ちこたえ、惨事を免れた。洪水はスピンガル南麓でも猛威をふるい、ソルフロッド川が氾濫した。

だが、これによって大河川沿いの取水口と護岸の重要性が改めて痛感された。農地の荒廃は治まる気配なく、農村から叩き出された失業者で大都市があふれている。
2014年秋、WFP(世界食糧計画)らの国際団体が「760万人が飢餓線上」と伝えたが、大きな関心を集めず、戦争と政情だけが徒らに伝えられている。

外国軍撤退と総選挙・無政府状態
大統領選挙をめぐって混乱が続いた。2014年4月に始まった総選挙は、半年以上をかけて一応の落着を見た。ガニ氏とアブドゥラ氏との決選投票となったが、ガニ氏優勢と伝えられるや、対立候補が不正を申し立て、国家分裂の危機がささやかれた。国連の選挙管理委員会は投票結果を公表せず、結局、米国らの「仲介」で事実上の「混乱内閣」となった。旧政権の利権体質の一部が温存され、組閣の遅延で権力の空白が生まれ、治安はいっそう悪化した。

欧米軍は2014年12月、正式に「戦闘任務終了」を伝えて撤収したものの、米軍は約1万人の将兵を「支援」部隊として駐留させている。組閣を終えたのは、2015年春のことである。「初の総選挙」に希望を寄せた大方のアフガン国民は、深い失望に陥った。

欧米軍の撤退と前後して、勢力をふるい始めたのが「イスラム国」(以下IS)である。既に2008年前後からグァンタナモ収容所出身者を中心とする「パキスタン・タリバン運動(TTP)」が活発となり、各地で混乱が大きくなっていた。2014年、TTPによる学校爆破で多数の学童が死亡すると、旧タリバン(アフガニスタン)勢力はこれを避難、両者間で衝突が起きた。
過激化したTTPの一部がISを支持、2015年5月、アフガン旧タリバン勢力と軍事衝突し、多数の犠牲が出た。国境沿いの地区では米軍による無人機攻撃も続き、情勢はいよいよ混迷の度を深めている。

PMS事業の概況
カシコート=マルワリード連続堰建設は2014年9月に正式に完工、ベスード第U堰(ミラーン)が10月に着工した。
ガンベリ沙漠開拓も次第に充実し、農業部を発足、食糧増産態勢に入った。
だが、依然として作業地の周辺は食糧難が続いている。アフガン新政権下で「飢饉対策と水利事業の重要性」が漸く認識されるようになり、PMSと連携し、将来に向けて布石が打たれようとしている。

1.医療事業
別表1. 2014年度診療数及び検査件数
14年度の診療内容は別表の通り(別表1)。
大方の国際団体が撤退する中、ダラエヌール郡で重きをなしている。

2.灌漑事業
主な工事は別表2の通り。14年度は将来の広域展開へ向け、準備段階に入ったと認識、事業評価と技術の体系化が進められた。
2002年に立案された「緑の大地計画」は、多少の変更はあるが2020年までに予定地域をカバーし、安定灌漑面積16,500ヘクタール、人口65万人の生活を保障するモデル・ケースとなる見通しがつきかけている。

アフガン全国の耕地は360万ヘクタールで、そのうち灌漑地はわずか50数%といわれる。14年度は、アフガン政府やJICA(日本国際協力機構)とも協力し、大規模な広域展開が俎上にのぼった。
別表2. PMSによる事業実績(2003〜2015)

◎カシコート=マルワリード連続堰
カシコート=マルワリード505mの連続堰(2014年4月14日)
連続堰は、既に完成していたが、洪水期の観察を経て、最後の追加工事を行い、2014年10月、竣工式を行った。堰長505m、堰幅50〜120m、石張り堰の総面積は約25,000m2、これによって技術的に完成度の高いものとなった。
それ以上に意義があったのは、職員・作業員たちの自信と矜持である。難攻不落と思えた巨大な暴れ川から、安定した取水が可能であることを地域に印象付け、希望を与えるものであった。
堰、取水門、急傾斜取水路、沈砂池という一連の取水設備(PMS方式)が、ほぼ地域に定着したと思われる。

◎シギ地域の安定灌漑
巨礫を置いたシギ堰。全体が扇状で中央が窪んだ形、高水位時の流れを引き寄せ、堰をかけた中洲を破壊しないように取水門側から約20mを数センチ低くしている。(2015年2月7日)
シギ地域は半沙漠の荒野と湿地が混在し、面積の割に生産性に乏しかった。

PMSでは2012年3月に計画を実施、マルワリード用水路末端から約260mのサイフォンで大きな洪水路を横断してシギ下流域を潤し、上流域は水量調整が可能な取水堰を建設する予定であった。

下流域については、13年6月までに全長約2kmのマルワリード延長路を完成させたが、上流域の取水設備は13年夏の洪水で延期されていた。

2014年10月、予定地から約3kmの下流に取水設備の建設を開始、15年3月に完工した。この間6ヶ月、一連の取水設備は「PMS方式」である。施工は完全に地元技師に任せて試験例とし、ほぼ自力で出来ることを確認した。現在、シギ堰だけで500〜600ヘクタールを潤し、シギ全域約1,000ヘクタールが安定灌漑の恩恵に浴した。
これによってシェイワ郡全体の水争いに終止符を打った。

◎ベスード第U堰(ミラーン堰)
住民たちの嘆願から3年、2014年10月、JICA共同事業として、ミラーン堰が着工した。同取水口は度重なる洪水にさらされて年ごとに流失地が増加、流域の灌水が不安定で農業生産が低下し、水争いが絶えない地域であった。

予想外の出来事は、洪水による浸食が甚だしく、村落流失の危機の中で工事を開始したことである。住民の死者行方不明5名という緊急事態で、大幅に設計を変え、計2,670mの護岸と交通路確保を余儀なくされた(図2参照)。急きょペシャワール会の協力を得て、ダンプカー30台を含む機械力を総動員し、総力を挙げて工事が進められた。

この結果、翌15年3月までに基礎工事を終え、用水路を開通させた。堰や護岸などの河川工事は、増水期に入った夏も続けられている。堰の完成を16年3月までに予定している。

完成すれば、1,100ヘクタールの耕地を潤し、第1堰と併せると、ベスード郡の大半が安定灌漑の恩恵に浴する。難工事ではあったが、「洪水にも渇水にも強い取水システム」の本領を発揮した。これによって、河川工事でもPMSの護岸方法がほぼ定着した。
図2. ミラーンの護岸工事概要(連続堤2,250m)
◎事業調査と広域拡大の準備
JICA共同事業調査に協力し、PMSの過去の実績と評価が行われた。結果は15年6月以降に公にされる。
これを機に過去のPMS事業の「技術編」がまとめられて英訳され、近い将来の広域拡大へ向け、資料が整理された。また行政側の理解が深まり、2015年3月、アフガニスタンのドゥラニ農村復興開発省大臣が山田堰(福岡県朝倉市)を視察訪問し、飢饉対策の緊急性と灌漑の適正技術について意見が交換された。
だが、全国拡大は急にはできるものではない。
1. 文化や地勢・気候の類似した東部アフガンを中心に徐々に、かつ確実に拡大すること
2. 実事業を継続しながら、その中で「土着の実戦部隊」(現場技術者・監督)を組織的に育成すること
3. このため日本側事務局の機能を強化し、PMS事務所と一体化すること
4. 中央集権的な方法はアフガンに適さない。地域中心、かつ住民の自主性が尊重されるべきであること。
以上が基本方針、かつ絶対条件であるとPMSは考えている。「事業によって事業を養う」という方針は変わらない。現下の不穏情勢らを考慮し、「緑の大地計画」が区切りを迎える2020年頃までには態勢を整え、次の展開に備えたい。

別表3. PMS単独事業およびPMS-JICA共同事業の概要(2015年4月1日現在)

3.農業・ガンベリ沙漠開拓
◎PMSガンベリ支所の設立

2013年より砂防林計5km(岩盤周りを含むと計7km)の効果が現われ始め、開墾が急速に進んでいる。 新開地は約1千ヘクタール前後で、うち200ヘクタールをPMSが受け持っている。新開地は全て政府公用地であるため、PMSでは土地を貸与されるという形を取ろうとしている。

14年度は、オリーブやかんきつ類栽培の拡大、サトウキビ栽培の開始が行われた。水稲栽培は土地改良の目的で継続している。小麦は40ヘクタールで収穫された。牧畜では乳牛を増やし、チーズやヨーグルト等の乳製品も生産されている(詳細は次号で報告)。

ガンベリ沙漠ではこれまでの給排水路整備と共に、農業事業が大きな比重を占めるようになったので、農業部と灌漑部を統合して「PMS・ガンベリ支所」が開設された。以後、同地開拓の中心となり、将来的に「出荷センター」らの構想も上がっている。

◎ガンベリ記念公園と資材生産工房
資材生産工房が移転し、跡地に「記念公園」が造成中である。公園は、集会だけでなく近い将来の「オレンジ詩会」開催等を目的とし、ガンベリ支所は建設中の記念塔内に置かれている。
資材では、蛇籠やRCCパイプなどの需要が増してきたため、常時40名が工房で働いている。

◎その他
14年1月〜12月の植樹数は38,885本、大半が新設用水路沿いの柳枝工とガンベリ農園の果樹で占められる。15年3月までの総植樹数は846,049本である(別表4参照)。
別表4. 植樹総数(2003年3月から2015年3月まで)
4.ワーカー派遣・その他
別表5. 2014年度現地派遣ワーカー
現場に中村一名が常駐、ジャララバード事務所に村井・鈴木・石橋の3名が随時赴いた。
カシコート・サルバンド村の女子校舎建設は、更に治安が悪化したため延期した。

2015年度計画
基本的に2014年度の連続である。
河川・用水路工事では、ベスード第2取水堰(ミラーン)の完成に全力を挙げる。
カシコート既存水路9,8km拡張は治安情勢の安定を待って開始する。
農業事業では、州政府と協力、換金作物としてナツメヤシ数千本の大規模栽培が計画されており、既に準備段階にある。

広域展開の準備では、必要なら「養成所」も視野に入れ、現場を学校とする方針を崩さない。また、広く飢餓・干ばつ問題を訴える資料を整える。