自然の恐ろしさも恩恵も思い知りました
PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村 哲
ペシャワール会報85号より
(2005年09月28日)
みなさん、お元気でしょうか。
暑い夏も去り、水路現場はこれから本番に入ります。しかし、世界中で起きているように、現地も今年は異常気象続きでした。
4月に事務局から訪問者が訪れたときは、この5年間になかった降雨や降雪があり、春の山々は美しい銀白の頂を青空にくっきりと浮かび上がらせました。「今年は旱魃が和らぐ」と誰もが期待していたのです。

至る所にお花畑が現れ、これが本当に沙漠だったのだろうかと思いました。だが、これが恐るべき天災の予兆だとは誰も考えなかったのです。
6月中旬から気温がぐんぐん上がり始め、6月23日、ジャララバードで摂氏53度、観測記録を更新しました。せっかく降った雪が急速に解け始め、インダス川の支流の一つであるクナール河流域も、30年に一度という大洪水に見舞われました。
私たちが建設中の用水路は、このクナール河から引く水です。川の水位が例年より1.5メートル以上増水、作業地沿いの村々だけで十数名が行方不明となり、上流で襲撃されて死亡した米兵16名のうち、一人が水没した村で見つかりました。

G地区の決壊(2005年6月27日撮影)
私たちも命が縮む思いでした。取水口の水門は堰板方式で、平年の夏の最高水位より1.2メートル高くとっていました。それがたちまち超えられそうになり、あわてて水門を高くする緊急作業を行いました。もし濁流が水門を超えたり、激しい流水圧で破壊さると、とんでもないことになります。濁流で水路が壊れると、道路や村々は大変な被害を受けた上、私たちの計画は非難どころか、莫大な賠償を請求されて終わってしまいます。生きた心地がしませんでした。

取水口。決壊を免れた水門(2005年6月27日撮影)
幸い、鬼木さんが偶然、水門の改修工事をしていて、間一髪、堰板を増やし、危うく苦境を切り抜けたのでした。その後、まさかと思っていた場所、地面の上に20メートル盛り土した地点で、下の村が水没して川の一部となってしまい、下からの洗掘で88メートルにわたって崩落しました。

必死の作業で一週間後には復旧しましたが、折悪しく4月の潅漑開始で、やっと砂漠化した地域に農作物の植え付けが行われたばかりです。これを枯らすと、信用をなくしてしまいます。さすがに慌てざるを得ませんでした。

灌漑用水路現場で汗を流す作業員(2005年8月撮影)
9月に入り、今度は現地でも稀だという局所的な集中豪雨で水路内が増水、造成中の土手に大きな決壊を起しました。非難があるかと思ったら、下手の村人から感謝がきました。
下流にシェイワという大きな農村地帯がありますが、ここを潤す既存水路の取水口が、6月の大洪水のとき3メートル以上土砂で埋まってしまい、復旧の見通しが立たぬまま、秋となって川の水位が下がり、取水が困難になって村人たちが途方に暮れていたのです。
そこに、私たちの用水路からの余り水や、決壊による雨水が枯れたシェイワの水路へ流れ込み、息もたえだえのトウモロコシの枯死を防いだのでした。工事は中途ですが、数千ヘクタールを潅漑し得ることが図らずも実証され、泣くべきか笑うべきか、戸惑います。

灌漑用水路の取水口(2005年8月10日撮影)
現在、私たちの用水路工事の先端は、8.5キロメートル地点を超えつつあり、報告ではいかにも順調のようですが、泣き笑いの連続です。改めて自然の恐ろしさも、恩恵も思い知りました。

都合の良いところだけつまみ上げて、人間だけ恩恵を受けるわけには行かないのが自然です。自然とは利用すべきものでなく、和解して恵みを請い、同居すべきだという人の分限を弁えるべきなのでしょう。

「天は良い者の上にも、悪い者の上にも、雨を降らせられる」という当然の事実を悟りました。私たちの仕事も、人間が決めた善悪の彼岸にあるのでしょう。水の恵みをひたすら天に祈り、川をにらむ今日この頃であります