基地病院移転は半年延期、既存水路の救済が焦眉
第三期工事は「砂漠緑化」と「農地開拓」

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報95号より
(2008年04月01日)
右肩下がりに進む旱魃
ローダーに乗って用水路を渡る中村医師
 みなさん、お元気でしょうか。
 現地情勢は、アフガニスタン・パキスタン共に、まさに修羅場です。空爆、暗殺、反乱、100年に一度といわれる大旱魃と飢饉、外国軍の横暴、麻薬、強制送還しても減らない難民、述べれば暗い話ばかりです。かつて、「東洋平和のためならば、何で命が惜しかろう」という軍歌がありました。日本中で60年以上前に歌われました。現在、ここで進行していることは、その拡大版に過ぎません。「世界平和のために」、戦争しようというのです。ただし違うのは、自分の命は惜しいらしく、上空から爆弾を落としたり、未熟な軍隊が恐怖でやみくもに攻撃するので、罪のない犠牲者が増えるばかりです。
 政情を語るのは疲れますので、少し元気の出るできごとを伝えましょう。

 アフガン大旱魃に着いては常々お伝えしている通りで、今年も最悪です。毎年「最悪だ」を連発していますが、誇張ではなく本当です。つまり、年々常に右肩下がりで進行しているということです。自給自足の農業国で、食料自給率は過去最低、おそらく半分以下に落ちていると関係筋は述べています。今年は特にひどく、東部アフガニスタンで小麦の作付けができぬ農家が多く、食糧は数ヶ月で2倍の値段となりました。WFP(世界食糧計画)も、危機を訴えています。私たちは、農業生産の向上がなければアフガン復興はあり得ないと訴えてきました。今冬は餓死、凍死が各地で発生、分かっているだけで数千人規模に達しています。

 用水路完成を急いでいるのは、このためでもあります。その上、治安悪化でいつ「邦人退去」の指示が出るやも知れず、「2年分の予算をつぎ込んでも第二期工事、8,5(総計21,5)キロを完成せよ」と、こちらも空前の規模で突貫工事が進められています。3,5(総計16,5)キロ地点までは既に灌漑が始まり、間もなく5,8(総計18,8)キロが完成します。工事の先端は標的であったガンベーリー沙漠に達しました。

死のガンベーリー沙漠
 この広大な沙漠は、幅5キロ、長さ20数キロに及び、ニングラハル州とラグマン州の境にあります。旅人が度々死亡するので有名で、現地のことわざで「ガンベーリーのように喉がからからだ」といいます。18年前、わがPMS(ペシャワール会医療サービス)の職員が殉職した場所でもあります。ここに水が注がれますと、最低でも2000町歩を潤すことになります。折から、パキスタン政府の強制送還政策で、ジャララバード周辺は満足な食さえ満たされぬ帰還難民であふれています。このような状態の中で、難民生活から突然、以前よりも豊かな水に恵まれる住民の喜びはたとえようがありません。「ガンベーリーの水」は象徴的な響きを与えるでしょう。東部アフガンで恐れられた砂漠が豊かな田園地帯になることを、想像してください。

 今冬の渇水は、各地域に大被害を与えました。クナール河沿いの取水口は、のきなみ水が絶え、「1ヶ村でも、2ヶ村でも、ともかく生存を可能に」と、分水路の整備や昔からるある取水口の改修も積極的に進めています。最大の工事はベスード用水路(3000町歩)の復活、シェイワ取水口の全面改修です。特にシェイワ用水路(2000町歩)は、現在100%をPMSのマルワリード用水路(通称Japan Canal)に依存しており、将来私たちの用水路がガンベーリー沙漠を潤し始めると、既存の用水路へは十分な送水ができなくなります。これまでの5年間の経験と技術の粋を集め、長期間使用できる頑丈な堰と取水口が間もなく完成します。既に我がマルワリード用水路から送られる豊かな水量で、農業生産が倍増しましたが、それ以上の恩恵を被ることになります。年々進行する取水量の減少で、末端の分水路には水が行き渡らなかったからです。

誤解される「マドラサ」
マドラサの建設予定地
 さて、どうしても付け加えなくてはならないのが、「マドラサ」の建設で、現在シェイワ郡に用水路と並行して作られています。マドラサについては、少し説明が要ります。通常、「イスラム神学校」と訳され、「タリバーンの温床」として理解され、外国軍は支援どころか空爆の対象としたほどです。一昨年、国境付近で「80名のタリバーンを殺した」と米軍の発表がありました。何のことはない。死んだのは、全て年端もゆかぬ子供たちでした。住民たちの憤激に、後に「誤爆だ」とされましたが、日本では報道で取り上げられませんでした。
 実態は、西側筋の伝えるものとかなり異なります。マドラサは、地域共同体の中心と言えるもので、これなしにイスラム社会は成り立ちません。イスラム僧を育成するだけでなく、図書館や寮を備え、恵まれない孤児や貧困家庭の子供に教育の機会を与えます。アフガニスタンがこれほどひどい状態なのに、いわゆる「ストリート・チルドレン」が少ない理由の1つがマドラサでしょう。

 また、マドラサはモスクを併設し、「ジュンマ・プレイヤー(金曜礼拝)」に、地域全体の家長らが集まります。地域にとって大切な知らせや協議、敵との和解などは、ここで行われます。何も「テロリストの温床」ではなく、政治性がある訳ではありません。ここで学ぶ学童を「タリブ」と呼び、複数形が「タリバーン(神学生)」です。コーランの学習だけでなく、地理や数学などの一般教科も教えます。つまり、地域の文化センターであり、恵まれぬ子供たちの福祉機関であり、人々が協力する場所であり、地域を束ねる要なのです。運営は地域あげて行い、時々アフガン政府からの援助があるといいます。

 その重要性がどれほど人々にとって大きいか、改めて認識を新たにしました。昨年、用水路の第一期工事13キロが開通したとき、近くに14000平方メートルの大きな空き地がありました。マドラサの建設予定地だそうです。村人に尋ねると、「作りたいが、この貧困な状態で誰もできない。国際支援団体は、マドラサとモスクの建設だけは援助項目から外している」との話でした。州の教育大臣は、「マドラサなくして地域の安定はない。共同体に不可欠の要素なのに、政治勢力の『タリバーン』という名前だけが誤解を与え、誰も協力したがらない」と溜息をつきました。

「これで自由になった!」
 幸い、当方は水路工事の真っ最中、資機材は豊富にあったので、「誰も怖がって作らないなら、当方が建設だけ、ついでにしましょう」と申し出ました。ジャララバードの町には、物乞いをする子供が増え、1000名以上の孤児たちが居ると言います。その子たちを吸収できる福祉機能に注目したからです。
 ところが驚きました。住民たちも地方政府も、沙漠化した土地に水が注がれた時以上に、喜んだのです。着工式には近隣の村長たちが顔をそろえ、中には「これで自由になった!」と叫ぶ長老たちもいました。はて、「自由とデモクラシー」の「自由」とは何だろうと、考えさせられました。彼らには宗教心の篤さと共に、伝統や文化に対する強い誇りがあります。それが否定されるような動きに、抑圧感を覚えていたのでしょう。
 図らずも、サウジアラビアを除けば、外国人によるマドラサの建設支援は初めてだそうで、大きな朗報としてアフガン東部一帯で話題となりました。「マドラサは公徳心を教える。これでぐれた若者やならず者が減る」という人もいました。「やはり、日本だけは分かってくれる。兵隊も送らない」と、日本国に対する大きな賞賛、悪い気はしませんでした。眉をひそめた西側の国際団体もあったでしょうが、アフガン人の殆どが狂喜したのです。

 「人はパンのみに生きるに非ず」。単なる理想や教説ではありません。かつて謙虚に天命に帰した日本人のはしくれとして、人間の事実を知ったのは幸いでした。
 仕事は山場を迎えています。日本にあって物心共に祈りと希望を以って協力してくださる皆さんに感謝します。