2008年度上半期報告
農村復興事業は最終段階−課題は診療機能の再建

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報98号より
(2008年12月17日)

1. 医療関係とワーカー派遣
1)PMS病院(パキスタン・ペシャワール)
 7月以来、ペシャワールの治安が急速に悪化。伊藤君の事件(8月26日)の前後から、それまで既に北西辺境州全体に蔓延していた反政府諸派の活動が活発化、同時に欧米軍の越境爆撃が激しくなった。病院周辺でも警察に対する襲撃が日常化し、要人と外国人の拉致事件が多発した。
郊外は完全に無政府状態で、この状態が続けば北西辺境州全体が内戦の渦に間もなく巻き込まれる。
 このため、女性ワーカー2名を9月中に帰国させ、10月末までに、村井、杉山、藤田の3名を残務整理に残して、全員が引き上げた。残る3名も11月5日までに帰国した。アフガン人職員13名がジャララバード側へ転出、それまで会計など重要な役を果たしてきたパキスタン人キリスト教徒職員らも3名が辞職、これまでの病院機能は事実上マヒ状態に陥った。
 既に管理不可能になっていたラシュト診療所(チトラール)は、9月、正式に閉鎖されて人員を整理、パキスタン州政府のBHU(マスツジ地方診療所)に譲渡された。

 この態勢で残し得るのは、外来機能のみと判断し、現在パキスタン人医師2名、看護士6名、薬局2名、検査2名で、辛うじて外来診療だけが行われている。当面この態勢を続けるが、主力であったアフガン人医療職員が去りつつある現在、質の低下は否めない。
「日本人ワーカーが戻れるまで続けて、いずれ復興」という意見もあろうが、余りに悪条件が重なっている。仮に日本人ぬきで一般診療が続けられても、ハンセン病と類似障害の診療が等閑視されるのは明らかである。そうなると、ペシャワールに林立する一般病院と競合して存在することが、どれほどの意義があるか疑問で、もはや初志が失われる。いずれ思い切った処置が必要とされよう。(次項B参照)

2)ダラエヌール診療所
 新政府の方針で、家庭出産が通常の農村部で分娩室設置の要請をするなど、無体な要求が多々あったが、何とか折り合いをつけ継続されている。ペシャワールの基地病院にいたアフガン人医療職員の転出で、機能的に強化されることが期待される。

3)ハンセン病診療機能の見通し
 いずれ建て直しが図られる。ペシャワールは上述のように余りに悪条件が多いので、ジャララバード側で現在準備が進められている。来年の最大懸案のひとつとなる。

2. マルワリード用水路
 6月30日にダラエヌール渓谷で記録的な土石流が発生、同渓谷を横断する主水路を約400メートルにわたって埋めつぶし、120メートルのサイフォン管を閉塞、逆流が水路上流内約1キロメートルに及んだ。一時は絶望的と思われたが、盛り土水路の一部を切り崩して排水し、難を避けた。これによって工期が遅れたものの、工事の際に不注意で自然土石流路を閉塞していたことが判明、作業と共に、抜本的な大改修が2ヶ月をかけて行われた。

 また、今夏は局所的な集中豪雨が各所で起き、災害予防対策に重点がおかれた。結論的には、大土石流はサイフォンまたは幅の大きな橋で水路上を通過させ、岩盤沿いの中小規模のものは水路内に取り込むのが最適である。このため、設計を大幅に見直し、貯水池・遊水地を増やし、防災林の造成を各所で行った。中小の土石流路はいったん緩流化して取り込む方式を採用、有効性を確認した。これで長期使用に耐え得るものとなった。
 なお、昨年度に築造されたシェイワ取水口と関連河道の回復は、夏の洪水と冬の渇水に耐えうることを確認、同用水路の村々は安定した。ベスード用水路の取水口も2度目の改修を行い、農業用水の安定供給が行われている。

 今年の河川の異常低水位は、長老たちも経験したことのないもので、アチン郡、ロダト郡、ソルフロッド郡、ツァプラハル郡など、かつてアフガン東部で豊かな穀倉地帯をなしていたスピンガル山麓は軒並み沙漠化し、鬼気迫るものがある。
11月末現在、水路工事の進行状況と成果は以下のとおり。(詳細別表)

1. 主水路P区間(取水口から約19,5キロ地点)が難工事の挙句に11月中に完成、次いでQ区間(約1キロ)が12月中に完成予定。Q区間は実際には大貯水池の連続となり、集中豪雨対策を兼ねている。
2. K分水路(シェイワ第2分水路):計約1,8キロが7月初旬に完成、約600町歩が回復した。
3. O分水路(シギ分水路):約1,6キロが11月20日に完成、推定約500〜600町歩が新たに灌漑に浴する。同地はガンベーリー沙漠の末端に当たり、シギ村の生産力は倍増する。更に分水路延長が進められている。
4. マルワリード用水路の取水口改修:最終工事から2年を経て安定しているが、将来予測される異常低水位に備え、11月15日から12月2日まで最後の改修工事を終えた。
5. 第3期工事のガンベーリー沙漠横断水路は、10月最終測量を完了、ルートを決定した。2008年12月から着工する。主水路の長さ2,8キロ、分水路を張り巡らせて1000数百町歩の開墾を可能とする。(詳細別表)

3. 農業
 12月に農業計画はいったん中断予定であったが、担当の伊藤和也氏が8月26日に武装した4人組に襲われて死亡、予定を早めて関係者を帰国させ、11月15日を以て五年半続いたダラエヌール農業試験場を閉鎖した。
 次に述べる「自立定着村」が今後、PMSの農業事業と灌漑事業とを一体化して継続される。これまでの主な成果は、茶の栽培の可能性を実証したこと、サツマイモの普及事業、日本米の導入による収量の増加、簡単なサイレージの普及や燕麦による冬の飼料増産の試み、ソルゴーやアルファルファの普及など、多岐にわたる。

4. 自立定着村
 来春にも潅水が可能となるガンベーリー砂漠地帯での開拓事業である。これによって灌漑・農業事業を事実上統合し、かつ最後の仕上げとなる。また用水路の維持・補修は、世代から世代へと受け継がれるもので、きわめて長期のケアを要する。訓練された作業員や職員を定住させ、一種の職能集団を置かねば20数キロに及ぶ水路保全は不可能だと思える。
2003年に始まった用水路建設・農業事業の最終的な段階であり、25年の総仕上げだと考えてもよい。

1. 2008年11月までに約350町歩の農業予定地を確保、現在境界をめぐらし、職員を優先して開拓農家をPMS内部で募っている。
2. 11月30日、200所帯(約2000人)の居住区(T地区:Q地区末端より2,8キロ地点、取水口から23、3キロ地点)を決定、隔壁の工事が開始された。
3. 砂防林なしにガンベーリー沙漠の開拓はできない。そこで、現地固有種のガズ、ユーカリなど、乾燥に強い高木を約15万本、幅50〜100メートル、長さ2,5キロにわたって植樹する。7月から育苗を始めて準備、11月30日、植樹が開始された。

5. その他
1. マドラサ(寺子屋)建設:再々会報で述べてきたように、アフガン農村共同体はマドラサなしに成り立たない。建設中のマドラサは、併設のモスクで600人以上の礼拝ができ、学校で600名の学童たちが学べる。地域のもめごとの解決にも不可欠で、人口が急増したクズクナール全域を束ねる地域の中心となる。
本格的な工事は3月に始まったが、9月までに基礎及び床面工事を完了、10月から壁面工事が急速に進んでいる。天井の仕上げが12月に始まり、来年1月から内装の段階に入る。2009年3月に開校する。これによって、ジャララバードにあふれる孤児たちや極貧の家庭の子弟たちにも、教育の機会が与えられることになる。

2. 帰国した日本人ワーカーのうち、松永が11月25日ジャララバードに戻り、会計・事務作業の整理に当たっている。

3. クナール河の対岸も渇水が深刻である。特にジャララバード近郊でベスード郡に並んで大きなカマ地域(約4000町歩)は、冬小麦の生育が絶望的だと見られている。今のところPMSは静観しているが、他団体やアフガン政府の動きがなければ直ちに取水口の緊急補修にのりだす予定である。

第二期工事要図