受信日:2011年1月7日


カマⅡ用水路、試験通水近し! カマ郡7,000町部全域が水郷

事務局のみなさん

 ついに1週間遅れの謹賀新年を送る日が来ました。渇水に悩むカマ郡の広大な農地が間もなく、安定給水を得る日が近づいています。思えば2008年12月、「なにびとも成功しない」と云われたカマ取水口建設の試みが始まりました。

 この2年間の努力については報告済みですが、着工当時、マルワリード用水路工事では、ガンベリ沙漠の岩盤工事が難航する中の出来事で、主力部隊を投ぜられませんでした。カマには二つの大きな取水口があり、同郡耕作地のうち、第二取水口が全体の7割、第一取水口が3割の水供給をしていると言われています。

 最大の目標が第二取水口完成にありました。しかし、河の傾斜や分流などの地理的条件に制約され、第一取水堰が完成してからでないと手がつけられません。2つの取水口は、ちょうど急傾斜の谷に段々に置かれたような並び方で、階段状に水を落とさねば、夏の激流がたちまち堰を壊してしまうからです。

 これは技術的には、PMS最大の挑戦と言えました。作っては壊れ、2回の夏を経過し、しかも2010年夏は、世紀の大洪水で遭えなく潰えました。今まで手掛けた堰は一年で出来たものは、シェイワ取水堰以外になかったのです。そこで、これまでの努力を「仮工事」と位置づけ、本格的な建設は資力を蓄え、観察を続け、周到な準備の下に行うべきだとの構想を持っていたのです。でも過去二年、仮工事とはいえ、四季を通じて水を確保することによって、カマ郡の田畑がことごとくよみがえり、パキスタンに難民化していた十数万人が帰農したと言われています。大喜びの帰還難民を見ると、いまさら引けなくなりました。2009年の第一取水堰改修の際に将来に備えて第一用水路に架橋し、崩壊した既設の第二水門をやむなく改造して一時しのぎをしていました。

2010年8月、大洪水の直後から本工事の準備に入りました。洪水が引き始めると同時に、交通路1.4㎞を敷設し、本格的に着工したのは2010年10月でありました。

 これにはおまけがあり、対岸ベスード郡の護岸工事4㎞がつけ加わりました。大洪水による対岸の被害が惨憺たるものとなり、緊急に同時進行で進めねばならなくなったのです。かくて二正面の大作戦となり、確かに苦労は増えましたが、対岸護岸を他団体に任せるとややこしいことになります。私たちの作る堰の影響を被らぬよう、特別な工夫が要るからです。普通、対岸同士は仲が悪いので、利害が対立致します。夫々が恩恵を得るように設計するには、両者の工事を同じPMSが同時にするのが最善でした。

 この間の苦労話は報告してきた通りですが、動かせないのが自然の決める時間です。河川工事が可能な期間は10月から2月下旬までで、増水が始まる春3月は、もうできません。かつ麦の熟成期に次いで水田の準備が来ますから、送水を早めにすべきです。そこで、増水後でもできる工事を後回しにし、用水路や護岸工事の上部施工を春以降に持ち込むことにしました。具体的には、大洪水に備える護岸天端部分、植樹、小分水路、主幹水路余裕高部分の工事などを残し、河の水につかる所を先にすることです。

 他方、カマ郡長老会もまた、安全を保障するだけでなく、「ひと冬分の収穫を潰してもいいので完成してくれ」と協力を申し出てきました。これは貧しい農村にとって容易ならぬ決定でありました。カマ郡はニングラハル州でも特異な立場にあり、殆んどがパシュトゥ民族のモハマンド部族で、血縁と地縁が一体となり、結束が強固、昔ながらの半独立地帯です。長老会の決定は絶対的です。

 かくて、実戦部隊のPMSは、日本側ペシャワール会、政府筋、現地住民、州行政(灌漑局)の力強い協力の下、「やらねば、やられる」という緊迫感で施工に臨みました。万難を排して春以前の通水を目指し、総力を傾けました。なにせ、30万人の生存がかかっていたのです。

 くどくなりましたが、間もなく水が通るという喜びは、たとえようがありません。その成果が目の前で見れるだけでなく、過去8年間をかけて会得した技術の総決算でもあります。同時に、内外、官民を問わず、多方面にわたる地味な協力の、大きく美しい結晶でもあります。正式の竣工はまだ先ですが、間近に迫った通水を以って、先ず確実に成功が保証されると信じていただいて結構です。戦乱と飢餓がはびこる暗い世相にあって、一縷の希望を与え、平和的手段による安定につながることを祈ります。

 みなさんの御協力に、心の底から感謝し、喜びを分かち合いたいと存じます。

平成23年1月7日





慣れているとはいえ、寒風の中を冷たい水につかり、丹念に布団籠を連結する作業は
つらいもので、やはり作業員・職員の努力なしに工事は成り立たない。
汗を流す人々を下に見る最近の風潮は良くない。
用水路事業は彼らの労働の結晶でもあるのだ。2011年1月3日



カマ第二取水門正面。マルワリード用水路の苦い体験は、
取水門の幅を大きくとらなかったことだ。「浅い水位で多くとる」ためには、
水門の幅を広げるに優るものはない。こうすると、無理な堰上げをしなくて済む。
もっとも、アフガニスタンでは取水を川際で調節する着想がなく、一旦洪水を取り込んで
余った水を捨てるのが普通だった。日本では、おそらく木材が豊富なため、
堰板で調節する方法が行きわたった。その意味では、画期的な方式を持ち込んだことになる。
カマ第二取水口は日本とアフガンの水利技術の融合、堰=水門=主幹水路=沈砂池=調節門
という一連の設計の完成した形である。スライド式ゲートは沈砂池の排水門だけで、
底水を排出すれば浚渫の手間を大きく省ける。2011年1月3日



調節門。上記沈砂池の出口に置かれ、堰板式で上水を下流に送り、余水(底水)をスライド式で
排水門から流す。水路底から0.6m低くして急傾斜にすると、多少の土砂は
猛烈な流水の勢いで排出される。1月15日までに試験送水を行い、
流量を確認する。2011年1月3日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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