事務局のみなさん、お元気ですか。
日本は大変な事態だろうとお察しいたします。
しばらく通信ができませんでしたが、近況報告を兼ねて、現地の模様をお伝えします。
現地に戻った直後の3月11日、悲報を聞きました。折しも河の工事の最中、日に日に水かさが増す中です。先に報告したように、「初夏には平年並みの増水で数千名の居住地に浸水は確実」という緊迫した状態でありました。旧河道の回復が、最後で最大の工事仕上げでした。
大震災の悲劇は連日アフガニスタンでも報ぜられ、職員・作業員ともども、わが事のように悼み、日本に同情を寄せてくれました。皆よく震災の模様を熟知していて、こちらが驚くほどでした。モスクでは「新年の祝日(アフガンでは春分の日が元旦)でも、めでたいと言うな」と自ら喪に服するような説教が行われ、地域長老会や行政の役人も次々と弔意を伝えに来ました。義援金を募ろうとした職員も居ました。しかし、どうしたら良いのでしょう。「今はただ日本の人々の無事を祈り、動揺せずに目前の責任を完遂せよ」としか伝えようがありませんでした。
その後も日増しに地震の規模と犠牲の大きさが明らかとなり、これからどうなるのか、日本に全面的に頼るPMS内でも、次第に不安と動揺が広がってゆきました。
しかし、自然は頓着しません。濁流が押し寄せ始めた中です。間もなく河の工事ができなくなります。現場作業の手を緩める訳にはいきません。異常な緊張感で連日突貫工事を続け、増水の始まる中、3月19日、危機一髪で中心河道の掘削、河道分割を終えました。普段なら無事に冬季の工事を終えた喜び、苦労話のひとつも伝えたいところですが、大震災に比べれば、大したことでもないような気がしています。でも、改めて思ったのは、人の命は数や国籍ではなく、目前の困窮した人々に思いを致して手をさしのべること、そのことで当方も救われるということです。
轟々たる濁流で声も届かず、大音声の叱咤で喉が嗄れてしまい、一段落した翌日から虚脱状態に陥りました。この間にも、やはり東日本大震災に即した現実的な備えを考えざるを得ず、来年度計画の大幅な見直しを始めました。3月21日を以って、暫定的に以下の態勢で臨んでいます。 |
既に麦の熟成期に入る。麦畑の間の畝は、スイカの作付けのため。種まきがもうすぐ始まる。
現在約30ヘクタールが灌水され、25ヘクタールに小麦。凄まじかった砂嵐も、
急成長する防風林が効果を表し始め、致命的な影響は受けなくなった。2011年3月19日