受信日:2011年10月4日


事務局のみなさん、

今週は、ベスード本工事着工、カシコートと、二大ニュースです。
カシコート問題は、マルワリード用水路の「画竜点睛」。
詳しくは本文をご一読ください。
百鬼夜行の世界なら、自分も鬼の一匹ともなり、最貧困地帯に援助を打ち込みたいと思います。
日差しはまだ強烈ですが、寒さに向かうと戦闘が減るので、みなほっとした気持ちで秋を迎え、大いに意気軒昂です。

ベスード第一取水堰の本工事開始

7月から9月まで、臥薪嘗胆3ヶ月、準備工事を終了。10月1日を期して、重機・ダンプカー、作業員が一斉に現場に殺到しました。カブール河は、クナール河ほど荒々しくないものの、別の困難がありました。灌漑を確保しながらの作業であること、交通路がないことでした。

 現場の傍には、河の水面より8メートル高い崖沿いに、道路が走っています。村会に諮って耕作地を一部収用し、河原に下る交通路(約250m)を敷設しました。必要な土石、砂利は最低12,000立米、道路の法面は蛇籠をピラミッドのように積み、これと崖との隙間に砂利を埋めて道を作りました。8月段階で交通可能となりましたが、既存水路、新設水路の横断橋がないと通れません。新水路の架橋は一時的なものでなく、基準点を兼ねて建設、コンクリートが固まるまで一か月待ち、やっと使えるようになりました。また、9月に戻って、工事中も水を途切れさせないように、一時迂回水路を作りました。

 他方、堰の工事で欠かせない巨礫の運送を8月に開始、ダンプカーにして600台分を遥々ブディアライ村から運びました。酷暑の断食月の中です。この間にも2度にわたって洪水が襲い、苦労の挙句のスタートだったのです。かくて百戦錬磨の作業員、現場職員が手ぐすねひいて待つ中、あっという間に手際よく工事が始まりました。その様は、まるで獲物にとびかかる猛獣のようでした。小生も大半の時間をここに割き、直接指揮を執っています。「備えあれば憂いなし」という格言通りです。

カシコート長老会との和解成る

 今年は異常少雨で河の水位が急に下がり、各地で渇水が起きています。マルワリード用水路は今のところ大丈夫ですが、11月、12月になると分かりません。昨年の堰改修工事は伝えてきた通りですが、対岸の残余工事は懸案のままだったのです。

 この対岸がカシコート村で、陸の孤島です。人口はかなり多いのに、長いこと顧みられなかった地域です。1992年のマラリア騒動をご記憶でしょうか。私たちの活動の最前線がこのカシコートで、多くの村民は覚えています。

 アフガン農村の力関係は複雑で、ここで少し説明が要ります。自治の最小単位が家族、その上に氏族・部族と、血縁のまとまりがあります。カシコートではモハマンド部族とサーフィー部族が多数で、何れもパシュトゥンです。末端の村(ゴレーク)に例外的にパシャイ族の小さな村落が一つだけあります。これらの血縁を縦糸とすれば、横糸が地縁です。「アフガンの人間関係は地縁(ワタン)と血縁(カオミ)しかない」と言われますが、全てではないにしても、あらゆる抗争の背後に、血縁・地縁があります。どんな思想・政治運動も、これを無視して成り立つことがありません。

 血縁を超えて地域のまとまりを作るのがジルガ(長老会)です。ジルガの主要構成員は、有力地主、大家族の家長、村長、中立的な人格者、時に僧侶などで、ジルガの決定は強い拘束力があります。だが滅多に開かれるものではなく、普段は行政が派遣する代官(ウォルスワリ)が警察権力を握って小さな問題を解決します。しかし、直接介入することは稀で、マリク(村長)と呼ばれる部落の指導者を通して話がつけられます。

 こういった力関係の構造は外国人に難解です。村人たちは、集団に属する一員として生きざるを得ない運命を背負っています。だから、地域で活動するには、これを無視すると大変です。

 この農村社会を背景に、カシコートとの出来事を理解していただきたいと思います。今年1月1日(元旦)、大洪水で破壊されたマルワリード取水堰の改修工事が落ち着こうとしていた矢先、カシコート側から工事をしていた、掘削機2台、ローダー2台、ダンプカー6台が拿捕されました。重機を質にとって、同じく大洪水で壊れたカシコートの護岸工事を要求されました。

 小生が赴いて話をつけるという条件だったので、翌1月2日に現場を見にゆき、「ともかく重機類を返せ。行政や警察レベルに話が行けば事態がこじれる。善良な農民を巻き込んではいかん。その上で明日(1月3日)、話し合いで今後の事を決めよう」と提案、半ば強引に重機と作業員を引き上げさせました。

 この出来事に協力していたのが地元有力者。「シェイワ側ばかり恩恵を与え、カシコートは無視されている。吾々には権利がある」という無体な要求をします。

 カシコートからは100名以上の作業員がいます。それとなく尋いてみると、普通の農民は迷惑この上なく、「これで吾々は不名誉な住民になってしまった」と言います。当方としては、対岸カシコート側の安定を図らない限り、マルワリード堰の保全ができません。長期的には「緑の大地計画」の筆頭に挙がっていたのですが、超多忙の時期でもあり、住民の反応を注視して待っていました。地元有力者のいうことも一理あって、昔から誰も手をつけぬ場所だったからです。当方としては「住民の発意」を重視。

 はたして、夏ごろからカシコート各村からバラバラに陳情書が届き始め、9月までに5件が集まりました。PMSとしては、マルワリード用水路の保全だけでなく、最貧困地帯のカシコートを放置しては画竜点睛を欠くという判断でした。同地帯は、推定人口5~6万、川沿いのベルト地帯は、まだ開拓の余地があるのに、例によって渇水に悩み、満足に食を満たせぬ状態です。、多数の若者が傭兵、兵士となり「出稼ぎ」で人を殺傷する仕事につかざるを得ません。

 こうして10月2日、カシコートの各村長20名がシギ村のPMS作業事務所に顔をそろえました。「取水を十分にして耕地を拡大すれば、十分に自給できる」とは20年前に抱いた感想でしたが、「その頃より更に悪くなっている」と皆口をそろえて述べました。

 「物事には順序がある。突然権威を見せびらかして要求するような態度は、紳士的でない。カシコートの苦しいことは承知している。だがPMSは、見世物のような仕事をしない。できることを、着実に、時間をかけてやる。第一、君たちの息子や娘の将来を思うて見給え。年々荒れる田畑で、まっとうな暮らしが立つものか。カシコート長老会の全面責任で客人保護を順守するなら、当方も豊かな村作りを名誉にかけて協力する」

 これが2003年以来の長い対立の解消となりました。PMSとしては、直接民意を汲める村長・庄屋格と直接結び、長老会保護の決定下で事態を収めようとしたのです。行政側の協力者はいるので、合法手続きは紙切れの問題です。今冬に緊急な部分の工事を行い、来年度から本格攻勢に入りたいと考えています。

 暗いニュース続きで、職員の顔も曇りがちでしたが、ベスード堰の本工事開始に次ぎ、PMSがカシコート問題で不退転の決意表明、大いに意気が上がっております。

その他

1.ガンベリ沙漠給水塔は、来週にポンプを据えつけ、砂防林拡大を図る。

2.カマ対岸のベスード護岸は、河川敷の調査を行い、締切堤を襲う急流の最終対策を決定。

3.シェイワ取水堰の河道回復を完了。ただし、カシコート地域の緑化計画が視野に入った現在、更に主流回復まで行って、同地域の洪水対策の一つとする。
平成23年10月4日


崖沿いの道路から引き込まれた交通路。約300mで5mの落差。急坂だがダンプカーらの往来に不自由はない。
2011年10月1日、本工事の準備が整ったベスード第一堰工事現場。



一時仮水路で灌漑を続けながら工事。仮架橋。RCCパイプは、お家芸の井戸枠の頑丈なもので代用。
2011年10月2日



本水路の橋。ここを基準点に上下流のレベルをとりながら水路の造成を行う。2日目でモデルを造成。あとはひたすら掘り、ひたすら積む。今回の用水路の特徴は、浅い川の流れからいかに取水して必要水量を流すかで、幅広い水路となった。幅8mはこれまでで最大。
2011年10月2日



取水口基礎工事の開始。マルワリード用水路と同様、土砂流入を避けるため、流水方向に対して直角に取水門を置き、全面石張りの堰となる。
2011年10月2日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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