受信日:2011年10月8日


事務局のみなさん、

今週は報告も目まぐるしいですが、ジャリババの土石流工事が加わり、しばらく通信するゆとりがないかも知れないので、大事な点だけ、早めに送っておきます。
もう一つの大きな課題、ベスード護岸工事の事です。


先週送りそこなったベスード護岸の進行状態、資料などをお送りします。河川の動きは、言葉にするとややこしいですが、事実は欺かずに目前にあります。分かりにくいかも知れませんが、今冬の仕事に大きな影響を与えます。

川の流れを観るのは、患者を診るより根気が要ります。何しろ喋ってくれないのです。しかし、無言で確実な応答をします。じっと知りたいことを温め、流れる様を見ると、いろんなことが分かります。最近は、計算高くもなり、流れ方を見るだけで、「どうも重機代が高くつきそうだなー」などと、ついソロバンをはじいたりします。でも手抜きは致命的なので、何を置いても優先し、やることをやらねばなりません。河は人の都合など無関係に動きます。


 知者は河を好み、仁者は山を好む
 知者は動き、仁者は静かなり
 知者は楽しみ、仁者はいのち長し


 論語の一節です。当方は知者どころか愚者というべきですが、確かに河を相手にしていると、目を凝らして常に動かざるを得ない。水の流れの理を知るのが面白いと言えば面白い。河と人間の付き合いは長く、人の営みは川沿いに開けたそうです。そこには深い歴史があったに違いない。三蔵法師はアフガニスタンを通って唐に帰ったそうだから、クナール河は必ず渡ったはず。とすれば、三蔵法師に伴う河童の沙悟浄は、あるいはクナール河出身。筑後川の河童の故郷なのかも・・・。そういえば朝倉の土地改良区委員の方の中に、たいそう熱心な支持者がいて、只者ではない動き。ひょっとして、人ではなく・・・想像できるのは、この程度の荒唐無稽なことで、明日からまた仕事です。

 皆さんもお元気で。


平成23年10月8日


(資料-1)

ベスード護岸地図 変化した河道(2011年9月)



(資料-2)

ベスード護岸地域の河道の変化と対策



ベスード護岸、連続堤防1600m地点。V字状の河道中心の切れ込みと急流化。根固めに残した巨礫層はえぐれていない。
2011年9月27日



2800m地点から上流を望む。第3分流点からしめきり堤を襲う流れ。これが主流化していたのだ。堤の上流側は砂利が堆積。下流側の第2・第3水制間は、激しく洗われている。
2011年9月27日



第2・第3水制間に新設中の水制。搬送した巨礫はダンプカー300台分。しかし、全部を使っても16m以上伸ばせなかった。それだけ深いのだ。さらに低水位を待ち、上流(第3分流)の流れを抑えてから、再開する。こちらは、しばらく休戦。
2011年9月27日



湾曲部(旧主流)の変化。2011年6月~7月にかけて、おびただしい土砂が堆積した。水制間を中心に埋めつぶされ、1700m~2500m区間の急流が途絶えた。クナール河では、通常数回の洪水期を経て、陸地化することが多い。流れを河岸から遠ざけ、土砂を堆積させたうえ、押しやった河を深くするためだ。スケールの大きな変化。
2011年9月27日



洪水進入路を閉塞する「しめきり堤」を上流側から見る。長さ約400m、主流化は完全に防止された。
2011年9月25日



しめきり堤を表法(河側)から見る。第1・第2水制間の土砂堆積。



直進河道と第3分流の分岐部に出現した砂利の堆積。礫石の粒径は5~20㎝、第1分流点で見られた巨礫ではない。直進河道は比較的早期に埋めつぶされ、より低い分流点を突き破って主流を右岸へ曲げさせたのだ。水位はまだ下がる。しばらく我慢。
2011年9月27日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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