受信日:2011年12月17日


シェイワ取水口、PMS管理下へ

河道回復を終了し、「湿害」をめぐる政治的動きを牽制
ベスード第一堰・護岸工事は最終段階へ

異常な少雨が続いています。クナール・カブール両河川とも水位低下、これまでの最低記録を更新しています。このため、シェイワ郡シギ地域がひどい渇水に陥り、全力を傾けたのは先の報告の通りです。治安上、PMSの活動は今でこそ必要とはいえ、慎重に事を進めています。

以下、今週の動きです。

  1. ジャリババ洪水通過路;構造物(暗渠36m)の建設を終了。背面20~30mにわたって巨石を敷き詰める工事を開始。

  2. カシコート河道回復工事;治安情勢と財政に鑑み、今年度は短絡路で破壊地点へかかる流水圧を減殺するにとどめる方針を決定。主力をガンベリ沙漠までの安全地帯に後退。

  3. ベスード第一取水堰;取水設備(水門、主幹水路、分水路、排水門ら)をほぼ完了。12月25日までに、排水路約500m、取水堰の最後の工事を確実に完了できる。

  4. ベスード護岸;調査の結果、開始点から2000m地点に中規模の取水門を置き、下手数ケ村の灌漑を図るのが最善。ただし、最終的な水位は一年を過ぎないと決定できない。
    低い位置でレベルをとって造成しておき、とりあえず一年間をしのぎ、改修工事で仕上げる。このため、ドレーン工を兼ねた側溝を約700mにわたって設置中。

  5. シェイワ取水堰;機械力を集中し、河道回復工事に全力をあげた。この結果、12月16日までにシェイワ・シギの双方に大量送水が可能となった。

    湿害の元凶であったシェイワ取水口は、再びPMS管理下に置かれた。同水門は、土砂が著しく堆積して荒廃、取水量調整機能が殆ど行われていなかった。

    住民にとって新しいシステムを導入する場合、一定期間、寄り添った指導と共同作業が必要である。シェイワの湿害例はPMSの反省点で、今後に生かされる。

  6. その他;12月13日、UNAMA(国連アフガン救援委員会)の主催で、外国軍と民間との間で初会合が開かれた。
    PMSとしては、改めて中立堅持と事業継続を表明した。
平成23年12月17日 記


ベスード第一堰の主幹水路遠望。対岸のジャララバード市やスピンガル山脈を背景に、期せずして美観を作り、公園化の話が持ち上がっている。PMSとしては行政当局に正式の許可を得たうえで、実現する。
間もなく植樹が始まる。水量管理は5年間行うので、少しずつ整備できる。「それどころか」という意見もあろうが、殺伐な世情にちょっぴり楽しみがあっても良いはず。
2011年12月15日



建設中の取水門。「浅い水位でいかに多く取水量を増すか」という点で、ベスード第一堰が最も完成度が高くなった。また、取水量を調整するうえで、水門番を特別にPMSが雇用して訓練、村落間のもめごとを収めるという点でも、学んだノウハウが生かされる。
2011年12月15日



シェイワ河道回復が最大の緊急事態と判断、12月11日、急きょ重機の総動員を行い、短期決着を図った。



シェイワ堰の河道回復工事の終了。上記と同じ場所。不穏な動きを念頭に置き、最低限の目的を達し、電撃的に切り上げた。完全な主流回復を図っていたが、クナール河の全水量の四分の一を流すにとどめ、シギとシェイワ間の抗争に終止符を打った。

湿害に対する無体な苦情は、シェイワ取水門の管理でいずれ消滅する。人と自然との狭間で、知られざる努力が続く。文字通り、神のみぞ知る世界。
2011年12月15日



シェイワ取水口へ滔々と流れる分流の復活。実は7年前まで主流であったが、上流カシコートの閉塞工事で河道が変わり、完全に途絶えていたものだ。PMSが2007年、2008年、2010年と三度の工事を行っている。今回は4度目だった。おそらく完成に近いと思いたい。
シェイワ取水堰の100m下流にシギ取水堰(2011年住民が新設)があり、一挙に両者を潤す。
2011年12月15日



河道分割地点から上流を望む。この一枚に多くの歴史あり。EC土木団体の左岸主流閉塞(2003年)後、当然右岸側の水量が増し、年々被害を出した。対岸数十ヘクタールの土地が流失、マルワリード用水路の決壊が頻発し、シェイワ堰が渇水に陥った。

PMSは、中心河道掘削(2004年)を皮切りに、石出し水制の設置(2006年、2007年)、シェイワ河道回復工事(2007年、2008年、2010年)と相当の物量を投入して、右岸側を護ってきた。
世の喧騒をよそに悠々と、絶えざる変転の中に不変の理を、覗かせるのが河だ。
2011年12月15日



湿害処理は、2009年3月から営々と続けられている。シェイワ用水路に排水設備がなかったためだ。交通路がないため、全て人海戦術で網の目のように排水路を張り巡らす。このような場所は、シェイワ村落群の半分以上を占めていた。事情を無視して過剰取水した結果である。
以前は水稲栽培を輪作で行い、湿地化を防いでいたが、無秩序な送水がアダになった悪例。村落同士の協力が重要になる。
2011年12月12日



シェイワ郡カラテック村。住民は一時避難していたが、現在戻ってきている。それまでも拡大傾向にあった湿地は、シェイワ堰建設(2008年)後から急速に村落が水没していった。
2011年12月12日



年ごとに耕作地は回復している。下流の古い湿地がここ数年で拡大し、土地が荒廃して住めなくなっていた。
PMSが回復した土地は700ヘクタールに迫る。湿地化の歴史は相当前からで、二年余にわたるPMSの努力で、排水路の総延長は数十㎞、既存水路を2~4m掘り下げ、湿地を一掃した。
用水路と異なり、目立たないので理解を得にくい。多くは数十年ぶりに復活したところが多い。若麦の緑が目にしむ。渇水と同時に湿害に終止符を打ったのが、今回のシェイワ堰河道回復工事と取水口管理だった。
2011年12月12日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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