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ガンベリ沙漠、平和ヶ丘頂上。植樹活動の立役者、ベラ(聾)というあだ名の人気者(前列右から2人目)。10年間、植樹作業の厳しい推進者。内戦中はクズクナールで勇猛果敢な戦士だったが、曲がったことが大嫌い、正直一途で妥協しない。彼のジェスチャーによる意思伝達は飾り気なく、どんな言葉よりも明快。
2012年7月10日

紅柳(ガズ)の砂防林。3年を経過した地域。
2012年7月10日

樹木の生長はしょっちゅう見ていると分からないが、かなり急速だ。同拡大率で比較。木の下の両名共に、身長170㎝。

昨年5月の砂嵐で、砂丘に埋まっていた紅柳。3メートル前後に成長していたのに、上の小枝だけが頭を出していた。埋まった幹から地中に根が生え、砂丘の上に成長、砂丘が固定されている。これがまた壁となって、風下を守る。白砂青松の、日本の海岸の砂丘の成り立ちも、こうだったのだろう。
2012年7月10日

第二農場を埋め尽くすザクロの苗、6000本。冬に挿し木したものだが、ほとんどが活着している。高さは今のところ約50㎝前後だが、二年目から急速に成長し始め、三年目には実をつける。数年後にはPMS独自で大量出荷、利益を開拓に充てることができる。
2012年7月10日

作業場で三年前に植えたもの。樹高、約2メートル。9月~10月に収穫できる。ほとんど肥料を使っていない。土がよく合っているのだ。
2012年7月10日

成長したビエラ。約2000本が植えられ、2メートル以上に成長、花や実をつけ始めている。アフガン種はミツバチの木として知られる。乾燥にめっぽう強く、大干ばつでダラエヌールが壊滅したとき、ビエラだけが生きていたのが印象的。トゲがあるので子供や動物を寄せ付けない。この蜂蜜は逸品。現在、養蜂を研究中。
2012年7月10日

アルファルファ(日本種)。現在、種を集めているが、原種(シャフタル)に比べて、種の採取率が著しく劣る。飼料としては優れているが、土地を肥やすなら落花生の方が優れているという印象。まだまだ研究の余地がある。野生化は難しいとの結論。
2012年7月10日

水稲。今年は2ヘクタールしかできなかった。3ヶ月降雨がなく、途中の分水路が多く取水し、主幹水路の水がガンベリまで十分に届かなかったためだ。このことが発端で用水路全体の見直しを図り、天候不順に対応できるよう、流量増加と水の配分を考えるようになった。
2012年7月10日

マルワリード用水路・T区域、取水口から約25㎞地点。此処までで全取水量が約5~6分の一(毎秒1~1.5トン)に減り、シギ村落へサイフォンを通して送水される。昨年は砂嵐で5回も浚渫。しばらく観察して不適切なら、1.5㎞の位置を変え、砂を流しやすい流路に改修する。
2012年7月10日

用水路末端から砂を急流で流す浚渫・排水路。1200mは賽の河原みたいな作業だったが、根気で開通した。
2012年7月10日

シギ・サイフォンと第一農場を遠望。この自然洪水路は、年に1~5回、信じられない水量の洪水が短時間に流れる。沙漠180町歩開墾は、どうも並みの仕事ではなさそうだ。だが基礎はできた。あとは気力だ。
2012年7月10日

砂防林をはさんで原野を見る。水が絶えれば、たちまち緑野が消え、この曠野に帰する。人の富も生殺与奪も自然の手中にあり。世の詐術・詭弁、闘争や富貴の夢もまた蜃気楼。
2012年7月10日

モスク・マドラサ(写真右手)近傍の現在。取水口から約13㎞地点。左手にK池(約250m)。植樹は4列、上から、ヤナギ、クワ、クワ、ヤナギの順で、法尻は分水路が走っている。樹齢はいずれも4年半、樹高はヤナギ4~6m、クワ3m前後。クワは甘い実のなる枝を接木してあり、皆を楽しませる。
2012年7月14日

下の写真は、上写真周辺の以前の景色
2008年4月24日

L区域(取水口から13.0~14.1㎞地点、1100m)の現在。二つのサイフォン、トンネル水道を持つ難所の一つだった。全域が村落で埋められ、かつて数キロの道のりを水運びする女たちの姿も消えた。住民の難民化は早くから起きていて、1992年頃には無人地帯になっていた。開通は2007年12月。
2012年7月14日

サイフォンの浚渫。N2サイフォン(14.4㎞地点)。現在最も水が要るが、5年間浚渫してなかったサイフォン管が狭くなり、あわや溢水。2日間全線の水を止め、総動員で浚渫する。水路を挟む両地主の争いで、誰かが巨石を大量に放り込んだためだった。流域の受益人口が圧倒的多数となり、旧地主たちが文句を言えなくなっている。今後石の投棄者は、PMSが手を下さずとも村八分にされよう。こうした作業一つ一つが水路維持態勢になってゆく。
2012年7月14日

保全は言葉ではない。多数の人員を集中し、実力で皆の生活を守ることだ。このサイフォン建設に携わったのも同じ作業員。各村の貧困層が多く、多様な背景を持つが、水路を守って一体である。屈強で勤勉な者が残り、用水路に対する愛着が強い。やがて、より強力な集団として水路保全の原動力となる。
2012年7月14日






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