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ベスード第二取水口の主幹水路、洪水で決壊
~依るべき機関なし。一時措置で復旧を急ぐ~

東部アフガンでは、逆に3ヶ月以上、雨らしい雨がないうえ、急激な雪解けで川沿いは2年前に迫る洪水です。河川の増水は7月10日頃をピークに、今度は急激に減っています。

先週まで作業地では大過なしと判断し、一時帰国するつもりでしたが、PMSが長年関わってきたベスード第二取水口(タンギ・トゥクチ)付近が濁流に洗われ、国道が呑み込まれる寸前となりました。国道が崩れると、作業地への輸送が難しくなります。そこで、7月15日、急きょ国道保護の護岸工事を始めました。

同堰は、水門だけ某団体が作ったものの(2004年)、水門間口が狭く、無理な堰き上げを余儀なくされていました。住民自身の手で堰は毎年改修されていましたが、遂に人力による対処が不可能となりました。2006年にPMSが緊急復旧をくり返し、2009年、完成に近づいたところでPRT(地方復興チーム)が介入、事実上指導層の買収で終わり、PMSが手を引くという経過がありました。

その後は荒れ放題、2012年春、見かねた英国のNGOが建設を申し出、PMSに依頼してきました。悪意はなかったのですが、基金団体なので技術的なことや、これまでの経過が分からなかったようです。農民層はPMS以外の業者を拒絶しました。だが、カシコートが始まったばかりで当方にゆとりなく、「しばらく待て」と住民を説得していました。

しかし今回、国道沿いにある主幹水路土手が約200mにわたって流失し、高水位にもかかわらず、流域11ケ村、約980ヘクタールが渇水状態に陥りました。2年前のカシコートと類似の被害です。住民たち独自で傍流を作って一時的に凌ごうと、さんざん苦労していましたが、公用地を通過する許可が下りず、匙を投げていました。(某政府高官が通過地点の土地を売却して私有地となり、新地主が農民の計画を阻んだのです。)

外国資金で私腹を肥やす者が少なからず、貧農層の困窮は痛々しく、目に余るものがありました。村によっては井戸水が涸れ、コメはほぼ全滅に近い状態となっています。2014年予定の外国軍撤退が一つの転機と見ていましたが、国際社会の復興支援が利を貪る者に延命の機会を与えたことは、何とも皮肉でした。怨嗟の声は強まっています。

天道是か非か。当方も我慢忍耐の限界に達しようとしているものの、ここは人を生かすが先決、やむなく一時しのぎで緊急取水のため、復旧工事を始めざるを得ませんでした。

平成24年7月18日 記

流失した主幹水路と崩壊寸前だった国道。河の水かさは7月10日前後を境にやや下がっていた。水面下は見えないが、国道直下の地層はもろい砂質層で、フラスコ状にえぐられている。
2012年7月15日

PMSの介入で、流域11ケ村に動員がかけられ、復旧が全力で行われている。決壊間際に水路内に流入した土砂は膨大、無力感に陥っていた住民を叱咤、必死の作業が続く。邪魔になっていた水門を撤去。
2012年7月18日

仮架橋で交通路を確保。流失した用水路土手を回復する。流失部の水深は、7月18日現在、2.0~2.5m、相当な石材輸送を覚悟。「助言」に来た政府関係者が罵声を浴びて追い帰される場面もあった。「会議に諮って善処」という。普通数か月かかるので、それまでに主幹水路は消滅する。口先で復旧作業はできないのだ。法的なバックアップはジア医師以下が公的筋に働きかけ、後で名分を作る。直接行動の現場と事務方の絶妙なコンビが緊急作業を可能にする。
2012年7月18日



PMSの水利事業で灌漑された地域(2012年7月18日更新)

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