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カシコート=マルワリード連続堰の造成始まる
~自立定着村の居住地確保~



カシコートの作業現場は、戦場のように激しい作業が続いています。最大の難所はやはり河周りで、堰の造成に手がつけられました。用水路は3チームの作業員グループが入り、全力で仕事が進められています。
何せ自然が大きいので、立案は紙上ではたやすくても、実際の作業となると、まるで巨大な壁画を描いているようです。
しかし、作業の手際は極めてよく、今のところ小さな修正を臨機応変に繰り返し、ほぼ予定通り進んでいます。

変更をやや詳述すると、
1.取水門から380m地点の用水路に架橋、交通路を確保して作業を円滑にする。
2.堰の上流側にある二つの高水位河道(夏に発生する河道)を同下流側へ移動する。


このため、a:取水門下流側へ低水位河道(幅100m、長さ150m、傾斜約100/1、流量は被移動河道の約3倍以上)を造成、砂吐きと余水吐きを兼ねる。
b:堤防高を4m以上とし、全長は立案時の0.4㎞から約2.5㎞に延長、2010年規模の大洪水に耐えうるものとする。
c:堰上流側河岸400mの掘削幅を平均45mから60mに拡大、かつ深くし、堤防壁面を巨礫で掩蔽、クナール河全体の主流を二分、洪水進入地点の堰上がりを解消すると共に、高水位河道部の流入水量を水門下流に導く。

なお、計測に基づけば、平年最高水位時、二つの高水位河道の流量は計80~120m3/秒(実測)、導かれる低水位新河道(造成中)では推定250~300m3/秒以上、堰上流側で川幅の拡大・掘削部(幅60m)の流れの容量は推定500m3/秒前後が増え、おそらく高水位期は洪水進入部で河全体の水位が少し下がり、取水部で低下します(地図参照)。

不安要因だったのは、カシコート橋の崩壊による輸送困難。カマ橋から約20㎞の悪路を通りますが、事務所の努力で定期補給を確立、重機、鉄筋・セメントらの資機材は遅滞なく行われるようになりました。人員配備も臨機応変、何とか予定をこなしています。これには、現場監督職員や作業員の心意気、技術向上と機転が大きく貢献しています。

10月16日、ナンガラハル州との正式契約が成立、東部のローカルニュースでPMSのこれまでの事業(マルワリード用水路、カマやベスードの取水施設ら)が詳しく紹介され、ようやく理解が深まってきたと思いました。

現在PMSは、カシコート以外にも、シギ村への送水路・サイフォン建設、ガンベリ沙漠開拓団の居住地建設、植林、農作業、鉄筋加工やコンクリート管・蛇籠生産(カシコートだけで最低4000個の蛇籠が必要)に追われまくっています。全体の進行と優先作業を眺め、人員配備を決定するのです。それも当然ながら、各部隊の得手不得手を考慮して行います。東部では最強チームです。

シギ・サイフォンは鉄砲水の季節が過ぎてピッチを上げさせ、半ばを越えつつあります。開拓団居住地は、ジア先生の努力で既に確保、建設が進んでいます。

少しずつ寒くなってきました。みなさんもお元気で。

平成24年10月19日 記

主幹水路と調節池の要図

カシコート主幹水路の断面図

取水門の鉄筋組立て作業。
高さは最終的に床面から4m以上、幅1.5mの水門が4門、マルワリード(1.2mが3門)より40%取水幅が広い。
これは低水位を意識したのと、地域が潤されることによって人口増加・耕地面積の拡大が見こまれるためだ。マルワリード側も来年度間口を広げる予定。
2012年10月17日

主幹水路、約400m地点からの水路内の様子。
先端のグループがレベルを正確にとりながら水路床面を仕上げ、次のグループが両岸に蛇籠を組む。
手前は架橋地点。水路幅は5m、傾斜0.0015で、かなりの流速を得る。
2012年10月18日

水路床面は自然地面を利用した厚さ40㎝のソイルセメント・ライニングが最善。但し、地域によって異なり、軟弱地盤の場合は厚め、砂礫層の場合は逆に粘土質のシルトを多量に運んで少量のセメントと混和する。
これで床面が割れたり、派手な漏水が起きることはなかった。用水路成功の陰の立役者。
2012年10月18日

用水路壁は、例によって二段の籠が置かれる。
ピッチが上がれば、一日30個以上(60m)を組む。例によって下段を先に造成して水を流し、水の上で二段目の工事を進める。
来年1月までに1.8㎞を開通しておけば、あとは植樹をしながら二段目を丁寧にできる。下段の籠のサイズは2×1×1m。
2012年10月18日

表は角石だが、カシコートのように豊富に巨礫があるときは、背面側に詰める。
こうすると砂礫の地面ともなじみが良くて強くなる。手近な調達が最も効率的。
2012年10月18日

380m地点の小さな橋(幅7.5m、長さ7.0m)。
この程度なら2週間ほどで建設できるようになった。
設計はもちろん、基礎うち、鉄筋加工、コンクリートうちまで、一貫して施工する。以前は最低6週間を要した。みな熟練してきたのだ。
2012年10月18日

上流側から400m地点を眺める。
籠に必要な角石や、ライニングのシルトなど素材は、前もって数メートル毎に置いておく。水は浸透水か、仕上がった上流から流す。以前は給水車が必須だったが、無い無い尽くしで得た知恵。工夫すれば、かなりの物が自然に得られる。
2012年10月18日

河の水位は、取水門基礎から110㎝、床面から80㎝高い。
土手を切れば、一挙に水がなだれ込む。昨年のベスード第一堰では、鉄砲水に泣かされた。
クナール河では、この時期の洪水による堰上がりは考えにくい。それでも、かなりスリルのある作業。担当のファヒム技師が冷や汗をかきながら進めている。
2012年10月17日

取水門付近の様子。正面が造成中の新河道(幅約100m、長さ110m)。
土砂吐きを兼ね、上流側で閉塞した高水位期(夏)の流れを通過させる。
傾斜1/100の全面石張りで、土砂堆積と洗掘を防ぐ。来週から巨礫輸送が始まる。
2012年10月18日

2010年の大洪水で発生した現中心河道(12日報告書参照)は閉塞しない。
流失した中州を低い位置で復元し、表面に巨礫を敷き、中州の左右両端を残して狭い河道を保持する。
こうすれば、夏の洪水が砂や小粒の礫を洗い流し、急流に耐える表面の巨礫だけが残る。水は敵に回すより協力してもらう方が良いのだ。
2012年10月18日

やっと始まった島の造成は、2011年1月1日に中断した工事の続きだ。
あれから1年10ヵ月、敵対していたカシコートが協力する。あのとき捕虜になっていた運転手たちも同一人物で、今は喜んで働く。
2012年10月18日

カシコート(スレイマン山脈山腹)で恒例化したISAF(国際治安維持部隊)の爆撃演習。雷が落ちるような音がして住民が怖がる。女子学童を面白半分に機銃掃射したのも彼らだ。何が女性の人権なものか。男女共々、敵意をかきたて、治安は更に悪くなる。
2012年10月18日

年々歳々河相い同じ、再々年々人同じからず。昼食後の作戦会議。
工事の現場指導者は毎日集まり、食事をしながら問題点を話す。妥当と思われることは即断即決、ジャララバード事務所にも伝えて協力を得る。
輸送、資機材の調達、住民交渉、工事の優先順位、重機の配置ら、現場が司令塔。そもそも図面など読めなかった者たちが、意外に優秀だ。
苦節十年、正直だけがとりえの者だけが残ったが、禿や白髪を見ると、やはり時の流れを感ずる。
2012年10月18日

400m地点から眺める週末(木曜日)の正午。
作業員のグループが入ってから丁度一週間が過ぎた。やっと用水路の形が見えてきた。イード(犠牲祭)まであと一週間。犠牲祭が日本の正月か西欧のクリスマスの感覚で、皆、それまで何とか見通しをつけようと頑張っている。ではまた来週。
2012年10月18日

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