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カシコート堰、最終段階でモンスーンの到来、泥沼化
~マルワリード流域水利組合長にセイロー氏~

■カシコート=マルワリード連続堰(=河道1~5まで)

予測はしていたものの、工事は雨中の強行軍、現場対岸では再び派手な交戦、此岸では米軍の演習です。
砕ける水の純白と連日覆う黒雲を背景に、さながら地獄絵巻です。「峠を越えた」と少しはしゃぎすぎたのか、あざ笑うように冷たい風雨が行く手を阻む。
12月5日第5河道(カシコート堰体)の遮水壁を切って確かに「見通しがついた」のだけれど、その後の工事はただ壮絶。少しゆとりができた時に語りましょう。天以外に、怖いものが無くなりました。

カシコート自治会の秩序は思ったより大きく、対岸で戦闘があっても、弾が飛んでこなくなりました。アフガン農村の地縁秩序の力を見る思いでした。たいていの人権問題は、道徳問題だと思いました。

連続堰の幅は実測で505m、文字通り、「クナール河・全面堰き上げ」の悲願を達成しつつあります。苦労はあるが報いも大きく、これで両岸の用水路流域を併せて約6000町歩以上、25万農民の生存が確実に守られます。これを希望というなら、ここに希望があります。
口先と宣伝が幅を利かす世情にあって、物言えぬ貧農層は期待に胸を膨らませています。

カシコート全域で、パキスタン側での難民生活を捨てて故郷に戻る者が急増、各戸の家族数は倍増しているようです。

■広がる干ばつ被害の認識

ジャララバード北部穀倉地帯の復活は半ば伝説化し、気候変化による農地の荒廃が少しずつ人々の間で知れ渡りつつあります。
復興の何たるかの視点が、徐々にでも核心に迫りつつあるのは、私たちとしては歓迎すべきことだと思いました。アフガンは階級社会で、一般農民の声が上層部に届くとは限らなかったのです。

最近の都市部の人口増加の多くは、農村から叩き出されたものです。少なくともジャララバードでは、ラッシュ時に押し寄せる者の大半がスピンガル山麓の干ばつ地帯からです。職を求める失業者で、ごった返しています。自動車の急増や華やかなショッピング・アーケードは、決して繁栄とは呼べず、実は普通の庶民とは無縁です。

■進む流域農民の結束

このところカシコートの報告ばかりでしたが、他の所も着実に進んでいます。

大きな進展は、

1 ) ガンベリ沙漠開拓地によって、貧しい職員の自活の保障基礎が成ったこと
2 ) 定着村の居住地が定まり、ベスードの一角に確保
3 ) マルワリード+シェイワ、カマ、ベスード、各用水路流域農民の協力と保全態勢が進み、行政側を含む各政治勢力の枠を超え、ベスードを除き、地域一体の結束が強固になったこと。これは事実上まともに機能しなくなっていた従来の水番制の、実質的改革を意味する。

マルワリード流域(3500町歩)では、「水利組合長」にセイロー氏が推挙されて就任しました。彼はPMS雇用でガンベリ開拓地を取り仕切っており、好人物。バランスのある人事となっています。今のところ、最善の落着です。

なお、シギ分水路は1.8㎞中800m地点まで、サイフォンは160m中130mまで完成、春までには開通します。「緑の大地計画」中、残るはベスードⅡ(タンギトゥクチー)と、カマ郡の小規模取水口、シギ堰となります。

タンギトゥクチーは、PRT(外国軍・地方復興チーム)の買収工作らで混乱していましたが、貧農層が買収された村の指導層や水番を突き上げ、多少の混乱を経て、結局PMSが落とし前をつけることになると思っています。ともかく今は、マルワリード=カシコート連続堰があと一押し。一時帰国前に何とかします。

平成24年12月13日 記

マルワリード側に達した堰の工事。第2河道カシコート側河岸の最終処置。敷設した交通路を通って、続々と巨礫が搬送される。
伏兵はモンスーンだった。冷たい雨は雪よりも堪える。鈍りがちな作業の手を緩めないのは、かなりの辛抱
2012年12月13日

埋めつぶされた第3河道と、マルワリード堰・復旧中州との接合部。中州で旧中心河道を割り、島の左岸に第4河道を造成、埋めつぶす第3河道の同水量を第4・5・6に流す計画。

接合部の下流側は2年前洪水で流されそうになったが、2007年の改修工事で用いた蛇籠600体が辛うじて堰全体の崩壊を防いでいた。後は簡単だと、タカをくくっていたのが誤りの元。

頭を塞いだ第3河道の下流は深く広く、蛇籠列の部分は約100m、計算が及ばなかった
2012年12月9日

前写真から3日後の状態。本当の伏兵は、実はモンスーンそのものでなく、自然の大きさをなめていたことだ。

延々10日、巨礫と砂利の超大量輸送。籠の壁は殆ど崩落寸前で、放置すれば夏を越せず、危機一髪の状態だった。

このため全輸送を同部に集中したが、籠の直下は深くえぐられ、並の物量ではなかった。最終的に籠を巨礫で掩蔽、不連続提のように鋸歯状に突堤を並べ、折り合いをつけた。深掘れを寄せ付け、第4河道と対岸交通路を保護するためだ
2012年12月13日

第4河道架橋地点から、堰の接合部を見る。
接合された中州の長径は最終的に160m、第2・第4河道を挟むマルワリード堰先端は約100mある。
第4・5河道の成功が楽観ムードを起し、距離感の狂いが輪をかけた。加えてモンスーン到来。ずるずると泥沼の工事に引きずり込まれたというのが正しい
2012年12月13日

第2河道、第4河道を隔てる島(カシコート堰体)の先端。
かつてマルワリード側からの対岸処置は、難航を極めた。交通路が確保できなかったのだ。

あれから8年経った今、対岸カシコート側から、悠々と輸送路が確保できた喜びと安堵は、たとえようがない。
寒さも和らぐ。
この無上の嬉しさに浸れるのは、工事最前線で働く者の特権だ。
両岸は互いに争わず、手をつなぐのが最善だ。河はそう告げる
2012年12月13日

第3河道の埋立てはまだ終わっていない。モノが大きいのだ。
しかし、再発生しても大きな河道とならぬよう、十分な措置が要る。巨礫を底に敷きつめ、その上に丈夫な砂利を敷く。河道3は消滅して復旧中州(カシコート堰体)と一体化された。
夏の高水位期は全体が急斜面の堰となり、島の表面を水が流れる
2012年12月11日

砂利は、カシコート堤防前の河道掘削で得た川底の礫石を輸送して使う。これなら表面を洪水で洗われても残る。
たくましい面構え。洪水でも残る粒径はある程度推測できるが、最終的には自然が選ぶ
2012年12月11日

造成中州を上流堤防側から見る。全長(堰幅)505mの堰の一部である、中州の上流側先端は、冬の水面からの高さ30~40㎝、取水門床面からの高さ1.5m、増水があれば容易に越流を許す。中州の長さ160m、傾斜約0.01(1/100)、増水期にかなりの急流を作る。要するに堰体の一部
2012年12月11日

河道5(カシコート堰体)と6の分岐部。河道6は幅約20mで、河道5が広がったものと考えてよい。
堰全体が放物線状の弧を描くので、カシコート取水口から対岸マルワリード堰が真向かいに見える
2012年12月11日

復旧中洲上流側を見る。浅い分水嶺が河の流れを二つに分けているのがわかる。
正面の谷が、日常化した交戦地。しかし、同じ所で劇場のように繰り返される戦闘は、何だか変だと皆思っている。だが、人の都合や思いを全く関知せず、河は流れる。人はだませても、河はだませない
2012年12月11日

カシコート取水門を中州から見る。
左右に堤防造成が進んでいる。これまで手掛けた取水堰と趣が異なるのは、岩盤を背にしたものでないことだ。アフガンと同様、日本でも、取水堰は岩盤沿いに作られることが多いが、岩盤の対岸の場合、浅く広い砂礫の河岸になるので多少違いがある。

取水門から下流側を堰き上げ、河岸全体を強化して幅広い急流を作り、土砂堆積を防ぐ構造になっている。そのため、これまでと平面形状が異なるが、従来の斜め堰と基本原理は同じ。
さしずめ、山田堰と大石堰が手をつないだと考えて間違いはない。大石堰との類似は全く結果的な偶然、意図して模したものではない
2012年12月11日

進む水門と周囲構造物の建設。用水路護岸の高さは4.0m、右岸側80mは堤防を兼ねるので、籠の間にコンクリートをうち、水門下部2.0mとは鉄筋でつながっている。
籠の高さは最下段1m、上5段は60㎝。上になるほど作業がやり易い
2012年12月11日

380m地点の架橋が開通し、現在776m地点までの用水路造成が進んでいる
2012年12月11日

第2河道を挟んでマルワリード側を見る。過去10年の激闘から言えることは同じだ。

身を低くして河に尋き、ただ天を畏れて祈れ。

人為を信じてはならぬ。

言葉で真理は作れない。

評論や想念で安寧は得られない。

人の一切の希望もまた、天与である。

生死もまた、河の流れと同じく摂理である

2012年12月13日

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