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マルワリード=カシコート連続堰と意義

■ 堰の重要性とマルワリード堰被災

マルワリード用水路建設(2003年3月~2010年1月)が全線25.5㎞を完了し、流域の村々が復活し始めたとき、終始吾々を悩ましたのは取水堰の度重なる改修であった。用水路そのものは、第二期工事(2007年~)以降、水路のライニングと護岸、貯水池・植林・サイフォンらによる鉄砲水対策が技術的にほぼ完成し、大きな困難は克服された。

絶えず巨費を投じて努力を強いられたのが、取水堰の保全であった。当然のことながら、水が流れなければ用水路は血液のない血管と同じである。マルワリード堰は、2005年以来、2009年を除いて毎年改修を要した。殊に2008年1月の大改修は、筑後川・山田堰の完全再現を企図し、主要河道約300mの全面堰上げを敢行、巨礫を幅50mにわたって敷き、完成に近づいたと思われた。これに要した石材は巨礫ダンプカー2500台分、面積約12,000㎡である。

だが、2010年8月、カラコルム=ヒンズークシ山脈に巨大モンスーンが到来、インダス川全域が数百年に一度という大洪水に見舞われた。この時の大氾濫でマルワリード取水堰は、堰は無傷でも中州の流失で用水が十分に乗らなくなり、冬の取水機能を失った。主要河道が右岸マルワリード取水口側に寄りついていたが、径100m前後の中州の流失部に中心河道が発生、主要河道が二分されて堰の水位が著しく低下した為である。

■ 対立と和解

同年12月2日、左岸カシコート側から中州の復旧作業にかかったものの、一部の住民指導者が妨害工作に出た。2011年1月1日、ダンプカー5台と重機3台が拿捕され、工事が中断した。扇動者は同じく洪水被害をこうむったカシコート側の護岸・復旧を要求した。PMSは運転手の解放と車両の返還を条件に現場で話し合いに応じ、各村会代表者にPMSガンベリ支部に公聴会を約した。しかし、首謀者は住民の突き上げとPMS側の報復を恐れ、姿を現さず、話はうやむやのまま中断した。

PMSは当時、カマ第二取水堰・主幹水路、対岸ベスード護岸3.5㎞の工事でも忙殺されており、カシコート復旧は手が出せなかった。その後、カシコート各村からバラバラの陳情が集まり始め、同年10月、カシコート全長老26名が深刻な事情を訴えて深謝、PMSの支援を求めた。会合はガンベリ出張所で行われ、PMSへの非礼を詫び、当方も同情を示し、「カシコート再生」を約した。しかし、調査段階で相当の難工事が予想されたので、「時間が必要なこと」を説き、ここに和解が成立した。

この時点で、カシコート全住民のおよそ半数以上がパキスタン側に難民化しており、安定灌漑のない農地は至る所で荒廃していた。荒廃はかなり以前から徐々に進行し、2010年の大洪水で更に致命的な打撃が加えられた。残る住民も多くがパキスタンへ逃れる準備をしている状態であった。こうした最貧困地帯は援助の手が届かず、たとい届いても政治的なショーや利権あさりの色彩が強く、住民は反発を強めている。生き延びるには傭兵、警官・国軍兵士として武力衝突の矢面に立たされ、事態悪化のひとつの環を成してきた。

■ 連続堰着工までの経過

一方PMSでは、単にマルワリード堰の保全だけでなく、このような事態の解消こそが大目的であり、見捨てられた陸の孤島、カシコートこそ「緑の大地計画」の筆頭にあげられるべき地域だと考えていた。過去の衝突も、元を正せば、「窮した末の強訴」と言うべきである。2011年10月、PMSはカシコート側の謝罪を受け入れ、2012年度の最大標的とするに至った。

折から財政難に直面していたペシャワール会への負担を減ずるため、PMSは「JICA共同プロジェクト」継続を打ち出し、最も費用を要する河川周りの工事(堰造成や護岸、主幹水路、調節池など)を実施することが決定された。ODAについてはとかくの論議もあろうが、現場が最も重視するのは政治的議論でなく、目前の地域復活と貧民救済である。一旦取水設備さえ整えれば、用水路の延長、面倒な手続きを要する付帯工事は時間をかければ自力でできる。

だが河川工事は予期せぬ事態が多く、緊急の工事支出を迫られることが稀ではない。ペシャワール会の財政基盤なくして500名の作業員・職員を抱えるPMSなく、共同事業も成り立たないというのが現地側の認識である。

調査段階になると、改めて実際の工事が生やさしいものでないことを知った。復旧すべき主幹水路そのものが蛇行した主要河道のど真ん中に消えていたのである。クナール河は大洪水で河道がカシコート側へ大きく蛇行・侵入し、年々拡大していた。住民は恐怖を抱き、数ヶ村は既にパキスタン側へ村ごと避難を決定した矢先であった。2011年10月、民心を収めるため直ちに小規模な工事を始めていたが、2012年2月、正式に行政の同意を得て、本格的な予備工事を開始した。

この費用は全面的にペシャワール会側の協力を頼み、相当な重機・ダンプカーを動員、巨大砂州を掘り崩して移動、蛇行河道を埋め、溢水部の川幅を広げ、洪水侵入を封じた(2012年2月~4月)。主要河道埋め立てに要した砂利は延べ数十万台分に達し、PMSが過去行った工事中で、ガンベリ貯水池(Q2・Q3大池)造成に次ぐ規模となり、短期物量投入の記録を更新した。住民はこの大規模な着工を見て、難民化を取りやめ、逆に帰郷するものが急増した。かくて、9月までの予備工事が10月の本工事を可能にした。

■ 現況

2012年10月から12月までの3ヶ月間で、連続堰造成の第一期工事は主な工事を終え、主幹水路は800m地点まで作業が進められた。

最終的な堰の概要は以下のごとし(別図参照)

●越流長;505m
●堰の幅;マルワリード側で20~60m、カシコート側で65~100m
●総石張り面積;約35,000㎡(約1万坪)
●通過流量;
    冬季(最低水位期)で約300~500m3
    夏季(最高水位期)で2,500~3,000m3
●堰による安定灌漑面積;総計5,500~6000ヘクタール
    マルワリード流域で3,000~3,500ヘクタール
    カシコート流域で2,500ヘクタール以上

以上は来秋まで観察して更に強化されるが、基礎部分は2013年3月中に成る。これによって両岸の安定灌漑が保障され、マルワリード流域15万名、カシコート流域10万名以上の農民の自活ができることは疑いがない。「緑の大地計画」は頂点を迎え、数年を経てカマ・シェイワ・ベスードの北部三郡は、耕地約16,500町歩(ヘクタール)、農民65~70万人を擁する穀倉地帯を実現することになる。また、難攻不落の暴れ川クナールからの取水技術は、連続堰の建設を以て、完成の域に近づいたと思われる。

もちろんPMS単独でこれ以上の拡大は無理でも、これが範となって東部アフガン全域で安定灌漑地域が広がり、農業生産が飛躍的に増加する可能性を示すものである。2001年に始まった「アフガン復興支援」の中で、気候変化による取水困難=農業生産の著しい低下は余り問題にされなかった。本計画がこの最大の危機を内外に認識させると同時に、解決策をも提示する上で、大きな役割を果たすことを祈るばかりである。

今後、「緑の大地計画」総仕上げの時期に入り、現地PMSの働きの上でも、ペシャワール会の存在意義は大きい。皆さんのこれまでの協力に感謝し、現地で今何が起きているか理解いただき、今年もいっそうの努力を期待します。

平成25年1月6日 記

主幹水路780m地点の架橋と造成

取水門下流側堤防の造成と第5河道

第5河道上流側からマルワリード取水口を望む

復旧中洲の全景(総石張りで夏は越流する堰の一部)

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