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ベスード第二堰とシギ堰、予定通り10月着工
~ミラーンで死者2・行方不明3、河川水位の急な下降~

10月になりました。ベスード第二堰(ミラーン )の河道変化は先に述べた通りで、応急措置をしようとしましたが、交通路が崩壊して近づけませんでした。準備工事として急きょ機械力を集中、交通路を復旧して期限通りの着工を目指したところで、本日(10月3日)犠牲祭のイードとなり、河の勢いも落ちてきました。この間、5名の村人が河に呑まれ、犠牲となりました。

そもそも「カシコート堰に比べれば造作なかろう」と、タカをくくっていたのが大間違いでした。人間の顔が一人一人違うように、同じ河でも地域差が著しいです。今回の場合、過去の人為的な介入(上流での突堤や護岸)で地形が複雑に変化し、読みにくかったこともあります。まさか工事予定地点が、平年以下の夏の増水で流失、河岸線が80m以上も後退するとは考えてなかったのです。

この一週間、同地点とシギ堰の調査に追われていましたが、見れば見るほど、人為の愚かさと共に、自然は畏れるべきだと思いました。ベスード第二堰の場合、その場の願望で所有地を守ろうと川幅を狭めたり、後先を考えない堤防や突堤らの構造物で流路が変ったりして、災害につながったと考えます。一昨年のシギ取水口流失も、元をただせば、手っ取り早い安普請で効果を得ようとしたことが、遠因の一つにあると思いました。この点については、また別の機会に触れたいと思います。

まぐれで助かるのは安全とは言えません。「幸いにして免れる」です。「河の地域特性」を強調していた河川工学の権威、高橋裕教授の主張が、印象的に思い出されます。「人相や手相のように、河にも『河相』というものがある。定められた基準で自然を一律に割り切って理解することは、厳密には不可能だ。河川工学というから、皆何か作ることだと勘違いする。河川の動きを定式化し、実地で理解する補助を与えるものだ」と、口を酸っぱく力説されていました。全くその通りだと、改めて思いました。多くの場所で成功したから、ここも成功するとは言えず、自然を人為の科学や技術で制御できないということです。

しかし、そんな人の思いや都合などお構いなく、河は流れます。他方で、人々の生存がかかる以上、厳しい作業の手を休められません。その狭間で、近道はないようです。ひたすら「河相」を読んで立案・準備を進め、「人に与えられた取り分」を計算します。

イード明けに激しい作業が始まります。嵐前の静けさです。

ベスードII、シギ堰共に、着工式をイード明けの10月10日前後とし、実際の工事は10月7日から進めますが、本格的になるのは10月11日以降です。濃霧の発生しやすい雨季の到来前、12月中旬までに、一気に見通しをつけ、増水の始まる3月までに決着をつけたいと思います。

事務局にはシギ堰とガンベリ排水路の案件で負担をかけますが、事情を理解いただき、宜しく御協力をお願い申し上げます。

平成26年10月3日 記

PMS方式の連続堤防。洪水の水位は場所によって異なるが、川幅が高さを決める主な決め手である。堤防幅はなるべく広くとり、交通路を兼ねる。表法の根固め工で洗掘の可能性があれば、適切な位置に石出し水制を加えるか、代用する。クナール川沿いでは、経験的に余裕高を決定できるようになっている。

主流だった河道⑤は高水位河道になって浅く、③④が主流化している。①は下流側が②と合して浅く広い流れに変化。今のところ、①②を閉塞して被害を減らし、③に堰を予定。水位がさらに低下してから堰と取水口位置を決定する予定。

ミラーン護岸始点付近。始点から約150mが旧連続堤防直下の著しい洗掘が起き、崩落していた。
2014年10月2日

傾いた旧い堤防は基礎として水中に沈め、巨礫で洗掘部を更に詰めて砂利を敷く。
2014年10月2日

巨礫輸送が工事のカギを握る。5日間で約200台分を投入したが、焼け石に水。10月から更に輸送のピッチを上げる。
2014年9月28日

ミラーン護岸始点の上流部。道路保護のために置かれた水制。PMSの仕事ではない。流れの下流側へ向かう「下向き水制」。この結果、右岸ミラーン側堤防に沿って連続した深い流れが発生、堤防を崩壊させたのが明らか。施工した交通局に申請、上向きの越流型水制へ改修工事を行う予定。
2014年9月28日

下ってきた遊牧民たち。わがもの顔にアフガニスタンの至る所に出没する。高地が寒くなると、温かいジャララバード方面へ流れて来る。到る所を熟知し、誰も彼らを敵に回せない。里にしがみつく今の吾々には、彼らの自由さがうらやましい。ただ植樹の際には困るので、一部を職員にとりこんでいる。
2014年9月30日

シギ取水口新設予定地。河の水位が下がると、見えなかった地形が現れてくる。旧取水口から約5㎞下流。ダラエヌール渓谷最大の洪水路(R1)の末端に相当する。交通路敷設は既に開始された。
2014年9月28日

洪水もまた恵み。ダラエヌール渓谷の洪水は、土砂、巨礫など、必要なあらゆる資材を運んでくれる。工事は決して小さくはないが、手近に素材が入手できるので小グループで建設が可能だ。かつ土石の浚渫を兼ねるから、防災にも貢献する。
2014年9月28日

水の力、恐るべし。マルワリード用水路開通から4年、無人の荒野が消え、年々活況を増すシェイワの日曜バザール。今年はイード直前まで連日開かれ、大盛況だった。場所は、PMSのモスク・マドラサの近くで、クナール国道とダラエヌール道路の分岐点。家畜が主に取引されるが、アイスクリームや駄菓子、おもちゃ売りなども混じり、地域の欠かせぬ娯楽場所としても完全に復活した。
2014年9月28日

人口が増せば、家畜も増す。牛と羊が主な取引で、イードが近くなると遊牧民も加わり、大盛況となる。以前は痩せ牛が多かったが、体格が良くなっている。
2014年9月28日

新しく植樹したオレンジ園で、果実を喜ぶ作業員。通称「ベラ(聾唖)」はカシコート出身で、植樹の鬼。内戦中はムジャヘディンとして勇敢に戦ったが、騒乱に嫌気がさし、PMS職員として活発に働く。用水路沿いの半分は、彼の指導下で植樹が行われた。
2014年9月30日

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