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ミラーン村落、危機去らず
~シギ、ミラーン(ベスード第2)共に着工準備
  侵食続くが交通路なく、緊急工事と調査が難航~

当地もやっと暑さが去り、秋らしい季節がやってきました。イード明けの10月7日に交通路敷設を再開しました。今のところ着工式を10月15日に定め、カシコート堰の竣工と共に、ナンガラハル州知事らが参加する手筈になっています。

政情も以前よりは小康を得て、国がまとまることに皆が期待を寄せています。「もう暴力による軍閥支配は嫌だ」と誰もが思っています。そして、軍閥や武装団体を操作して混乱を増した外国人と外国のやり方に嫌悪を抱いています。

クナール河の水位は日に日に下がり始め、平年より二週間ほど早く低水位期が訪れています。イード(犠牲祭)で帰郷していた重機の運転手らが今週から出そろい、本格的に工事が始まりました。

月内には調査を終え、河周りの最終計画が成ると思います。しかし、低水位の現在も、被災地の侵食が続いており、異常な事態です。緊急工事を兼ねたスタートとなりましたが、ここは乾坤一擲、やらねば始まりません。

河を読むのは、臨床医学によく似ていると思いました。「測量・立案」と言っても、単に測定した数字をいじるのではありません。河の状態の記載は、流速、流量、傾斜、岩盤や砂州の位置と状態、屈曲角度、河床材料、等々と多岐にわたりますが、一枚の光景として頭に入れ、それを時間軸で追うことが必要になってきます。更に、「分かった積り」が誤診(設計ミス)となり、診断が正しくとも治療処置(施工管理)に不備があれば、人の生死に直結します。それが、経験則を重視する医者の仕事に非常に良く似ているので、最近驚いています。

ただ、相手が大きいので、手間がかかります。

肝心の対岸は散々苦労して渡れず、明日から重機と共に渡河、緊急措置を敢行いたします。しばらく連絡できませんが、便りのない場合は無事です。

先日送付した当面の方針を変えました(10月12日-2)。興味のある方はご覧ください。

どうぞみなさんも、お元気で。

平成26年10月11日 記


河道①による侵食。冬並の水位になっても侵食が続くミラーン村落。進めば進むほど、流れが深くなる。
2014年10月11日

河道①、河道②と取水口の残骸(砂州1)。新河道①は今夏7月以降に発生したもの。
2014年10月11日

今年発生して最大の河道となった①は、低水位期の今も、休みなく侵食を続けている。記録によれば、1960年代に旧ソ連が下流にカマ橋を建設した際には、クナール河の主流がここにあったらしい。橋建設の際に、主流を閉塞して対岸カマ側の岩盤へ移したと言われる。元河床であれば、今回の変化は致命的だ。
2014年10月11日

上記侵食地点から600m上流、護岸始点から600m下流で分岐する河道⑤,④,③。河道⑤は完全に干上がり、入口部の砂利堆積が確認される。河道④でも砂利堆積が起きているらしく、盛り上って見える。ショートカット形成・河道①の発生と一連の変化。
2014年10月11日

護岸始点から150mにある旧ミラーン取水門の直下の洗掘。水門端から約2.5mをフラスコ状にえぐり、河床が著しく低下しているのが分かる。
2014年10月9日

自ら削岩機で掘り崩して半切すると、音たてて河に沈んで見えなくなってしまった。半端な河床低下ではなさそうだ。
2014年10月11日

2日前の河道⑤の様子。2日間で水位がぐんと下がり、乾いてしまった。好機到来と見る。
2014年10月9日

真剣になっても、深刻にはなれないのがアフガニスタンだ。人の仕事などお構いもなく、悠々と通る。遊牧民クーチーと自然災害には、誰も文句を言わない。だがそれも、ここでは生きる術の一つなのだ。
2014年10月9日

河川工事には、必ずヤールモハマッド率いるブディアライ組、モクタール運転手が居る。
2014年10月9日

秋の気配が忍び寄るシギ下流域のトウモロコシ畑。マルワリード用水路の延長で、常に流れる水があり、荒蕪地は完全に消えている。2003年の着工から10年、「3000ヘクタール灌漑」は、目標でなく現実となっている。シェイワの湿地処理とシギ分水路がそれを実現したのだ。
2014年10月9日

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