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砂州1・2の上流端の保護。砂州の前縁(上流側)に幅12m以上、厚さ1.2~1.5mの巨礫層を置き、冬季の交通路を兼ね、背面に植生工を施す。巨礫層は大小の砂利を敷いて何度も大量の水をかけ、巨礫間の隙間を根気よく詰める。「剣山状粗朶柵」は、次図参照。6~10mの隙間で千鳥に埋め、広く砂州に設置。

大小の玉石や砂をまき、水を流し込む。巨礫層の隙間を詰めて安定させる。
2015年11月30日

剣山状粗朶柵の平面模式図。
 PMS独自方式。生け花が好きな人なら分かります。柳枝の粗朶柵を環状に作り、一塊として叢生させるもの。砂州に浸透水レベルまで穴を掘り、2×1×0.6mのふとん籠2個を連結して底部に設置。四方の壁に長さ2m以上の柳枝を結わえつけ、一単位とする(柳枝約60本)。6~10mの間隔をあけて千鳥に埋設すれば、浅い砂州表面の流れなら、理論上、巨木に匹敵する抵抗を期待できる。
「浅い洪水」とは0.5~1.0m以下を想定、砂州の表面保護だけを目的とする。河床材料の玉石が20~30㎝以上の粒径、深さ1.0m以上なら、籠なしでも十分固定できる。
 実際の結果を見ながら、改良を重ねる。上手くいけば河川堤防法面にも使え、コスト面でも、アフガン東部で案外役立つ可能性があります。

ヤール・モハマッドとそのチーム。籠の設置と柳枝の扱いは一級で、重鎮の一人で温厚、正直。出身のブディアライ村(ダラエヌール)はパシュトゥンのサフィ部族で、戦乱の縮図。ソ連侵攻に激しく抵抗、一時全村が激しい空爆で消滅し、残る全農民が難民化した。大干ばつで再難民化し、PMSの水利工事で帰還、辛うじて生き延びた。最も忠実で屈強なグループ。2015年12月1日

「剣山籠」の埋設。ただし、このように大きな玉石の層なら、籠なしでも強く固定できる。2015年12月1日

砂州2と柳枝工。砂州の前縁は幅12m、厚さ1.5mの巨礫層が埋設されている。
2015年12月1日

河道②の遮水壁を切る。砂州Ⅲから対岸を見る。2015年12月1日

河道②へ向かう水。2015年12月1日

河道②左岸と砂州3の柳枝工。「剣山粗朶柵」の一種。2015年12月1日

巨礫→籠埋設→柳枝工(粗朶柵)と二重・三重の防御、砂州の浸食防止が今回の大きな課題だった。気の早い柳枝が芽吹き始め、「PMSの奇跡」をささやく住民も少なくない。本当は暖冬のせいだが、それほど信ぜられているということだ。現場は更に活気づく。迷信も悪いことばかりではない。2015年12月1日

河道③B分岐部。遮水壁を切られて形を現わす河道②。河道③Bを開放した後、水位・流量を確認して砂吐きⅢの幅、堰の高さなどを再検討する。コンクリート構造は変更できないが、巨礫なら自在に処置ができるのが強み。2015年12月1日

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