25,5キロ完工、開拓作業に着手
2月8日「用水路完工式・マドラサ譲渡式」無事終了

ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報103号より
(2010年04月01日)
くり返された土石流対策

 みなさん、お元気でしょうか。
 お陰さまで去る2月8日、「用水路・完工式」が無事終了し、後始末と次の段階に入っています。冬が去り、水路沿いに植えたヤナギやクワの木の新緑が鮮やかです。冬の雨季が止み、晴間が多くなった空からは、夏を思わせる陽射しが厳しく照りつけます。遊牧民たちは少しずつ、北の方へと移動し始めています。

 至る所で小麦畑が青々と広がり、用水路沿いの大地は緑のじゅうたんが敷かれたようです。さしものガンベリ沙漠も、私たちの祈りが通じたのか、人里の匂いがしてきました。難攻不落だった沙漠の岩盤周り(P・Q区域、約2km)は、2度の記録的な土石流を経過、4度目の改修工事を終えました。この地帯は、短時間の急激な集中豪雨に耐えられるよう、貯水池が沢山造られました。用水路中で最も大きな池が連なっています。

 ガンベリ沙漠に人が住めなかったのは、単に水がないだけではなく、気まぐれに襲う洪水だったのです。しかも、自然地面から18m以上の高さの崖を通すので、狭い蛇行路なら、一撃で流されてしまいます。そこで、狭い降雨流域なら貯水池にとりこむよう設計しています。といっても、池底の地盤が砂質なので、大がかりな漏水処置をこの一年間、くりかえし行いました。ダメ押しは、昨年9月、「数十年に一度」という集中豪雨がガンベリ沙漠だけでなく、用水路全域を襲いました。一部で落石や土砂の堆積が起きましたが、ガンベリ沙漠を除けば、殆んど無傷に近いものでした。



岩盤周りのQ3貯水池(写真奥がガンベリ沙漠)
紛争鎮めた洪水

   天災は人の罪ではありませんが、人の過ちを自覚させることがあります。洪水は土地問題の解決に大きく寄与しました。それまで、水路が開通したばかりのガンベリ沙漠は、土地争奪戦が華やかで、かなり殺伐たる様相を呈していました。同じく水不足に悩む隣のラグマン州から人々が押し寄せ、地元の村と対立し、地元は地元で内部抗争が絶えませんでした。境界線を勝手に引いて、時には工事の妨げになりました。この背景に軍閥の存在があり、一触即発の、肝を冷やすような出来事も稀ではありませんでした。

 でも、「所有権」とは、人の間の約束事です。水は水自身の理で流れます。大洪水は、語らずして紛争を鎮めました。人が引いた境界線をきれいさっぱりと流し去り、砂で埋めてしまいました。以後、軍閥からの威嚇、讒言の横行はピタリと止みました。

 自然は喋りません。また、悪人や善人も区別しません。良い行いをしていると思っていても、同じように報いを受けます。私たちとて例外でなく、間違った工事をすれば、せっかく造った水路を黙って破壊されます。昨秋、ガンベリ沙漠横断水路のうち、3分の1、約1,2kmが砂で埋まり、大がかりな改修工事と設計の見直しを求められました。そのため工期が延びたものの、こうして、用水路は年を経るごとに安定してゆきます。




開拓村第2農場と用水路からの分水路
静かに涙ぐむ職員たち

 本日(3月9日)、シギ村乾燥地に送水するため、新たに加えられた1,3kmが開通し、最終的な総延長25、5km、一日送水量40万トンの用水路が完全にりました。職員たちは、「遂に完成!」と歓声を張り上げることなく、目前に流れる水を眺めながら、静かに涙ぐんでいました。それは、七年間の苦闘を通じて、意のままにならぬことが余りに多く、ただただ感謝の気持ちにうたれたからです。自分たちが頑張ったのは事実ですが、「人の意を超えて祝福された」という実感に近いものだったと思います。

 かくてシェイワ郡3,000ヘクタール(約900万坪)を潤すマルワリード用水路工事は、二週間後に実質的な終止符が打たれます。開墾作業も決して容易ではありませんが、努力の分だけ結果が見える作業です。

 現在、大小の砂丘をならし、約25ヘクタールが灌漑に浴しています。新たな試験農場は合計約180ヘクタール(約55万坪)ですが、開拓作業が今後数年間、大きな仕事になります。これまで、用水路沿いでたちまち緑が広がったのは、沙漠化した「かつての農地」だったからです。ガンベリ沙漠は全くの新開地で、相当の努力が要ります。



新農場のよく見える場所に置かれた、伊藤和也さんを記念した石碑


期待の新・試験農場

 中断していた試験農場は、この沙漠で再開されます。麦まきの時期を逃したので、とりあえず菜種とシャフタル(アルファルファ原種)を植え、まもなく緑のじゅうたんになります。3月中にスイカ、落花生、野菜類を植え、6月にトウモロコシ、水稲などの穀類が主力になります。

 また、養蜂のため、ビエラという甘い蜜を含む乾燥地の灌木が大量に植えられます。また、アフガン農村が薪を使う生活を変えることはないので、砂防林とは別に、燃料用にガズという松に似た木で林を作ります。岩盤地帯にできた大池では、マスの養魚も計画されています。全て水の恵みにより、「こんなに色んなことができるのか」と、当のアフガン人職員自身が驚き、希望を膨らませています。一昨年亡くなった伊藤くんの石碑を、新農場の良く見える場所に置きました。

 あまり話題になりませんでしたが、ニングラハル州カマ郡(人口30万人、耕地7,000ヘクタール)を潤す二つの取水堰工事も仕上げ段階に入っています。足掛け3年の大工事でしたが、これも3月中に工事を終了、現在続々と人々が帰農しています。このことは、また別の機会に紹介いたします。

 この十年間、水の大切さを訴え続けてきました。だが今、どうしても先進国の人々に伝わりにくい、壁のようなものを感じています。騒々しい戦争は不要です。誰が勝とうと、興味がなくなりました。私たちの事業が平和への一里塚となり、自然との関係を問い直し、人が生きる上で何が大切なのかを知る日が来ることを祈ります。

 これまでの御協力に感謝し、新たな事業の展開に変わらぬ御理解をお願い申し上げます。
2010年03月10日
ジャララバードにて
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