連続堰の完工、両岸の安定灌漑を保障
〜名状しがたい焦燥の中での用水路工事〜

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報119号より
(2014年4月1日)

再沙漠化の懸念
みなさん、お元気でしょうか。
私たちは相変わらず河の中です。増水期を前に、工事を急いでいます。
この一年間はまた特別でした。「緑の大地計画」の最大の山場と見たマルワリード=カシコート堰を完成し、昨夏に大暴れした大洪水の爪痕を修復するのに追いまくられてきました。職員・作業員共々にへとへとになっていますが、もう一息です。
「連続堰」については二年前からしばしば会報でも触れてきました。マルワリード用水路に年々用水が乗らなくなり、再沙漠化の懸念が重くのしかかっていたのです。2010年の大洪水で堰をかけた中州が流失し、深刻な状態が続きました。これが以前の沙漠化した状態であれば、さほど問題にならなかったでしょう。今や用水路流域には十数万の人々が帰農し、生活しています。それが無くなるのです。いくら長大な用水路でも、水が流れなければ無用の長物です。あれほど希望をかきたてた「ガンベリ沙漠の緑化」の努力も、露と消えます。「アフガン農村の復興のカギは取水技術の改善にある」と叫んでも、肝心のマルワリード堰が機能不全に陥れば、取り返しのつかぬことになります。

洪水の激流を交わす水制を造る中村医師。カシコート取水門から上流1km地点/2014年2月

カシコートという壁
その時の焦燥は名状しがたいものがありました。他方でカマ郡、ベスード郡の主な取水堰と水門を手掛けながら、カシコート側との和解を進めてきました。
堰の完成は、どうしても対岸からのアプローチを必要とします。しかし、対岸カシコート地域との対立がそれを阻んでいたのです。カシコートは陸の孤島と呼べるところで、閉鎖的な世界を作ってきました。もっともアフガン農村社会はどこもそうで、険峻な山岳地帯の隙間で、まるで荒波に洗われるカキ殻のように村落群がはりつき、それぞれの世界を作っています。同地域は交通の便が乏しいことも手伝って、特にその色彩が濃厚でした。誰も恐れて近づこうとしません。
この近づきがたい壁に転機をもたらしたのが2010年夏の大洪水でした。長くなるので、以下出来事を羅列していきさつを伝えます。表を見てください。


2003年3月
マルワリード用水路着工
2004年6月
ECの団体がカシコート側の要請でクナール河主流を閉塞、右岸マルワリード側に主流が移動
2005年〜
河沿いのマルワリード用水路が各地点で決壊
2006年夏
沈砂池が決壊
護岸工事をめぐって両岸が対立
マルワリード堰、第四次改修で河道全面堰き上げを敢行
2007年
主要河道の変化でシェイワ堰取水困難
同用水路全域で渇水
マルワリードG区間が部分崩落
大規模な河道回復と護岸工事
2010年2月
マルワリード用水路全長開通
ガンベリ沙漠開拓が始まる
8月カシコート全域で洪水被害甚大、クナール河の主流が蛇行進入し、広範な地域が水面下に没す
マルワリード用水路、洪水で一部決壊
取水堰のかかる中州が消失
流域で深刻な水不足
2011年1月
マルワリード堰第5次改修のためカシコートに渡った重機・ダンプが拿捕され、一部指導者が「支援」を要求
PMS、要求を拒絶して車両を奪回
10月カシコート自治会が謝罪、PMS側と和解
復興を約す
2012年2月
PMSと自治会、州行政の首脳をカシコートに招いて「行政側の指示」として着工
第一期工事を開始、以後3カ月間総動員態勢で蛇行河道を旧に復し、取水堰工事の基礎を置く
10月連続堰建設が開始される
12月カシコート取水門完工
中洲を復旧して第一期基礎工事を完了
2013年夏
断続的に大洪水来襲、堰の一部決壊
10月第二期取水堰工事を開始
主幹水路1.7km通水
12月連続堰を通過する河道の分割・固定と交通路確保を完了
2014年3月
連続堰完工
主幹水路2km、堰前後の護岸4kmをほぼ終了


クナール河左岸の主流閉塞のため、右岸へ流れが押し寄せ洗掘され国道が崩れた。国道の右側にPMSの用水路E地区がある。

長年の悲願だったマルワリード堰内河道Aの改修が始まった/2013年12月

和解の果実
最終的に完成したのは、3月に入ってからでしたが、その決定的瞬間は、去る12月19日のことでした。夏の洪水時に大量の水を吐き出すため、復旧した中州の中に河道を造成、交通路を設けた時でした。これでマルワリード側の堰改修が容易になり、取水量を制御できるに至りました。専門的なことは割愛しますが、暴れ川を六つの河道に分割して固定、各河道に橋をかけ、改修時に資機材を輸送できます。巨大なクナール河の水を分け、一つ一つを処理する方法でした。
堰長505m、堰幅50〜120m、全面石張りで面積2万5千m2、夢のような構想がここに現実となりました。
「再沙漠化」の脅威が消え、両岸の安定灌漑が保障され、恵みが約束された瞬間でした。しかも、汗と泥にまみれ、彼ら自身の手で成し遂げた仕事です。当日、全ての現場職員は涙を流し、抱き合って喜び、互いに労苦をねぎらいました。尋常でない喜びの様子は、知らぬ者が見れば、気の狂った集団かと思えたでしょう。それ程、みながこの連続堰の大切さを知り、一丸となって仕事に当たったということです。この瞬間に垣間見た輝きは、どんな対立も忘れさせる圧倒的なものでありました。和解から二年、マルワリード用水路着工から十年余の月日が流れていました。

カシコート堰内河道Cの改修工事。昨夏の大洪水による決壊部。河の中での作業は厳しい
2013年12月

年月をかけて既存水路を拡張
本連続堰が「緑の大地計画」の頂点と呼べるものでした。これによって、地元勢自身の手で「安定した取水灌漑」、「気候変化に適応できる技術」が完成に近づいたと言えるからです。用水路末端にあるガンベリ沙漠の開拓は、不動の基礎を得ました。一方、最貧困地帯のカシコートには、緑が押し寄せようとしていて、人々が続々と帰郷しています。PMSでは、これから年月をかけて既存水路9・5kmを拡張し、耕地を更に増やし、水稲栽培を一般化する試みを実行しようとしています。

15pの超低水位でも潤せるよう設計されたベスード第一堰だが、河川の増水期に3pまで低下。臨時改修を行った/2014年3月3日

マルワリード=カシコート連続堰完成図

知られない「国内難民」
この間、アフガンの戦局や政局はめまぐるしく変化しました。そして今、外国軍の完全撤退を控え、著しい混沌と治安悪化に多くの者が脅えています。その背景には、進行する農地の乾燥化と、農村から叩き出された膨大な「国内難民」の存在があることは余り知られることがありませんでした。実際、ジャララバード南部に拡がっていた一大穀倉地帯が消滅し、人々は不安に駆られています。でもそれはずっと前から予測されていたことです。だからこそ、私たちの努力があったのです。「もう、だまされない。」みな、そう感じ始めています。

今冬のアフガンの少雨は政局以上に暗雲です。高山に雪が余りありません。気候変化は年々規模が大きくなり、未曾有の洪水が頻発すると同時に、河川の冬の低水位は、2002年に記録を始めてから最低となりました。飢饉が2000年を上回る可能性もあります。政変と重なれば、手におえない状況になるでしょう。

降雨がほとんど無く、たとい高山に雪が積もっても暖冬ですぐに解けてしまう。
作業地から見るダラエヌール(ケシュマンド山脈)

知の傲慢は暴力
人も世も様々です。今さら無理解の壁を嘆いても悲しいばかりです。せめて東部アフガンの一角で人々が生き延びる望みを得たこと、その実証に祈りを託すのみです。
確かに私たちはアフガン人に成れないし、アフガン人は日本人に成れません。だが、その壁を厚くするような昨今の風潮―自然を無視して宗教や文化、生活様式まで裁き、そのためには戦争も肯定しかねない流れ―は危険です。知の傲慢が暴力ともなります。
違いや矛盾をあげつらって拳を上げるよりも、血の通った共通の人間を見出す努力が先だと思います。私たちの活動が、このような壁を超えようとする努力と、温かい他者への関心の結実だとすれば、これに勝る喜びはありません。そして、これが譲れぬ一線でもあります。
仕事はまだまだ続きますが、これまでの支えに心から感謝します。
2014年3月
ジャララバードにて