滅びは「文明の無知と貪欲と傲慢による」
30年で世界は激変 〜2013年度現地事業報告〜

PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報120号より
(2014年6月25日)

2013年度を振り返って
ペシャワールに赴任したのが、ちょうど30年前の1984年5月でした。その後、ハンセン病診療からアフガン難民の診療、アフガン東部無医地区の診療所建設、大旱魃を機に水利事業が中心となり、現在に至りました。
まさかここまで来るとは、初め思っていませんでした。その都度、逃げるに逃げられず、力を尽くしてきました。戦争、難民、飢餓、旱魃、そしてその渦中で生きる人々の生死……いろんなことが鮮やかに思い出されます。その中には、言葉で描けぬことも沢山あります。
分かりにくいのは、私たちをとりまく情報空間そのものが人工的だからです。この壁は容易ではありません。とくに戦争や政治などの事象が、いかようにも情報を加工して虚像を生むことを知りました。

それでも、敢えて声を大にして伝えたいのは、今も現地で進行する気候変化=大旱魃です。私たちを包む自然について目をそらすことは、もはや限界に近づいていると考えます。アフガニスタンは戦争で滅びません。旱魃で滅びます。もっと正確に言えば、自然を無視する「文明の無知と貪欲と傲慢」によって滅びます。

この30年で、日本と世界も大きく変わりました。アフガンで起きたことは決して他人事でありません。この間の象徴的事件では、ソ連の崩壊(1991)、同時多発テロとアフガン侵攻(2001)を間近に経験し、日本では東日本大震災(2011)がありました。経済的には米国で金融破綻、EU圏の東方拡大と周辺国の凋落、中東の混乱、アジア世界の急速な工業化、アフリカの大規模開発が同時期に起きています。今思うと、アフガンの悲劇が世界的な激変の余波であったことに思い当たります。私たちは自然さえ科学技術で制御でき、不老不死が夢でなく、カネさえあれば豊かになれ、武力を持てば安全とする錯覚の中で暮らしています。そして世の中は、自然から無限大に搾取できるという前提で動いています。疑いなく、ひとつの時代が終わりました。カネと暴力が支配する世界は、自滅への道を歩んでいるように思えます。

この中にあって、「文明の辺境」で見える悠然たるヒンズークッシュの純白の山並みは、私たちに別の道を告げるようです。バスに乗り遅れまいと急ぐ必要はありません。たかだか数万年、僅かな時間、地上に生を許された人間です。動かぬ現実は、逆らえない摂理と自然の中で、身を寄せ合って生きていることです。

変転する世情から距離を置き、動かぬものを求め、30年を現地で過ごせたことを天に感謝します。この事業に賛同し、様々な立場から支え続けてきた日本とアフガニスタンの良心と真心に感謝します。
そして戦争と飢餓で逝った無数の犠牲者の冥福を祈ります。これを節目に、改めて「緑の大地計画」の完遂と意義を訴え、人としての節を全うしたいと思います。

2013年度の概況
気候変動と自然災害
インダス河流域で2013年に発生した大洪水は、2010年を上回る規模のものであった。ヒンズークッシュ山脈南麓では、5月下旬から断続的、かつ長期に降雨があり、カブール河本川、クナール河流域の各地で溢水して決壊、数百名が犠牲となった。
6月、ジャララバード市内が浸水、クナール河流域の作業地でも、大規模な砂州移動と河道変化が発生した。これまで築いてきた各取水堰・堤防のうち、カマ堰と対岸付近に被害が集中した。洪水は8月まで断続的に起き、PMSでは全取水堰と護岸の改修を迫られた。
ジャララバード南部穀倉地帯(スピンガル山脈北麓)は早くから渇水に悩んでいたが、2014年1月、ソルフロッド郡の農業生産壊滅が伝えられ、人々の間で危機感が高まった。前後してアフガン北部のバダクシャンで大きな地滑りが起き、数百名が犠牲となった。
こうして荒廃してゆく農村から大都市に逃れる者が後を絶たず、失業者があふれ、社会不安の一大要因を成している。

外国軍撤退と無政府状態
大統領選挙をめぐって混乱が続いた。治安が過去最悪となる中、欧米軍の撤退が進められた。14年6月現在、五万数千名のISAF(国際治安支援部隊)が残っており年内完全撤退をめざし、続々と引き上げている。外国兵の戦死者は三千数百名とされているが、アフガン国軍・警察や民間人の死者はこれをはるかに上回ると見られている。
13年の外国兵の戦死者は減少しているが、これは犠牲者が減ったということではない。外国兵の数が往時の三分の一に減り、基地外に出る機会を少なくしたからで、無人機攻撃は収まる気配がなく、誤爆、内紛工作らによるアフガン人の死傷者はむしろ増加している。
14年4月に行われた大統領選挙には、混乱にも拘わらず多くの住民が投票に参加した。最終結果が6月中に明らかとなる。長い戦乱に疲れた人々は、決して多くを期待していない。最低限「治安回復と身の安全」が願いである。
国境付近では、米軍によるミサイル攻撃がパキスタン領内から行われ、パキスタン政府、米国、アフガン政府との間で緊張が高まっている。和平交渉では、11年以後、米軍がタリバン代表と直接交渉してきている。捕虜交換もアフガン政府抜きに行われている。米軍駐留をめぐって議論があり、政情は先行きが見えない。

低空飛行する軍機。PMSの水路工事現場上空は軍機の飛行路線である

危惧される撤退後の欠乏
我々が危惧するのは、撤退後の欠乏である。食糧自給率は既に半分以下に落ちており、農業生産は低下の一途をたどっている。元来アフガン国民のほとんどが農民である。旱魃は収束していない。何とか凌げたのは、軍事活動と海外援助による莫大な外貨流入で、国外から食糧を買えたからだ。それがなくなれば、国民の半分が飢えることになる。
戦争の罪は殺戮だけではない。実質的な生産よりも現金収入が重視され、消費が徒に煽られたからで、この十年で貧富の差が著しく拡大した。ある意味では、戦争以上に危機的状況を覚悟せねばならない。外国軍が去っても、アフガン政府は経済支援に頼らざるを得ず、諸外国から容易にコントロールされる危険性を抱えている。

PMS事業の概況
大洪水の後始末で、主要な各取水堰の抜本的な改修と護岸の強化が行われ、「緑の大地計画」の頂点と見たマルワリード=カシコート連続堰が完工した。これによって、PMSは一つの「取水技術体系」を完成したと思われる。今後、作業地域の完全な安定灌漑が実現すれば、復興というよりは「生存する方法」が実証できる。計画は総仕上げの段階に入った。
この気候変動は並みのものではない。農地の沙漠化は止まるところを知らない。我々は取水技術(PMS方式)の拡大を提唱する。少なくとも東部アフガンの大河川沿い(カブール河本川、クナール河)で相当な成果を上げ得ると信ずる。(詳細を次号で紹介予定)
マルワリード用水路は本格的な維持保全態勢の確立に力が注がれた。ガンベリ沙漠は4年を経た防砂林が効果を表し、ようやく農業生産に力を入れ、開拓事業が軌道に乗ろうとしている。ダラエヌール診療所は従来通り運営され、地域で重きをなしている。PMSは全体的に、勤倹節約を徹底、将来への自立を目指しつつある。

1. 医療事業
13年度の診療内容は別表の通り(別表1)。13年4月、職員宿泊所を診療所敷地内に建設した。感染症と小外科が多いが、菌検査や消毒措置など、基本的な技術は良く受け継がれている。猖獗を極めたマラリアは患者数が激減している。おそらく、栄養状態の改善と共に、流行が慢性安定期に入ったためと考えられる。


2. 灌漑事業
主な工事は別表2の通り。13年度は、大洪水の影響で過去最大規模の河川工事が行われた。

◎カマ取水堰と対岸の護岸
「緑の大地計画」の中で最大の人口を擁するカマ郡(約30万人・7000ヘクタール)を潤す二つの取水堰を改修・強化すると共に、対岸ベスード郡の護岸工事とタプー堰の改修が行われた。
クナール河は相当な暴れ川で、予期せぬ事態が頻発する。大洪水に伴う砂州と河道の変化は想像を超えるものがあった。分割した河道の一部に土砂が堆積して閉塞され、逃げ場を失った大量の流れが、堰を部分崩壊させていた。結局、カマ第二取水堰を新設に近い形で強化し、河道を再分割して中心へ主流を集め、土砂堆積で堰付近の河道が閉塞されぬよう、工夫が凝らされた(会報 118号参照)。

◎カシコート=マルワリード連続堰
既に前年度、大方の工事を終了していたが、カマ堰と類似の変化で部分的に決壊していた。予測されたことではあったが、上下流の経年的な変化から動向をつかみ、最終工事が行われた。堰長505m、堰幅50〜120m、石張り堰の総面積は約二万五千m2の長大な堰が14年3月、2年がかりで完工した。
上下流の護岸3・5kmを併せ、PMSの手掛けた取水堰としては最大の難工事となったが、これによって、PMSの提唱する「取水システム」の中で最も困難な取水堰の完成度が高くなった。小さな改修はあろうが、もはや大禍は当分ないと見ている。

別表3. 取水方式の比較




◎カシコート用水路の開通
主幹水路(約1・8km)は13年夏、既に送水を始め、両水路壁上段部の蛇かご造成と柳枝工が進められた。既存水路との連結部が鉄砲水の通過地点であったため、30mのサイフォンを含む約200mの送水路を新たに延長した。また堤防建設と排水路の造成で新たな耕地が拓かれるため、沈砂池(調節池)に送水門を加えている。14年9月までに全工事が終了する。
しかし、取水量(毎秒3〜5トン)に比べ、既存水路の容量が小さく(毎秒1・0〜1・5トン)、末端まで潤せる送水量ではない。これまで順番制で灌水してきたが水稲栽培は不可能である。PMSでは、既存水路約9・8kmの拡張を計画している。

◎シギ地域の安定灌漑
シギ地域は半沙漠の荒野と湿地が混在し、面積の割に生産性に乏しかった。PMSでは12年3月に計画を実施、マルワリード用水路末端から約260mのサイフォンで大きな洪水路を横断してシギ下流域を潤し、上流域は水量調整が可能な取水堰を建設する予定であった。
下流域については、13年6月までに全長約2kmの送水路(マルワリード延長路)を完成させたが、上流域は悲劇的な事態に遭遇した。13年6月〜8月、断続的に襲った洪水が、調節機能のないシギ取水口に流入、取水口から同用水路約2・7kmまで侵入、約60ヘクタールの耕地もろとも濁流に消えた。このため十月に予定した工事は不可能となり、急きょマルワリード用水路13km地点から分水して潤している。

◎揚水水車の設置
マルワリード用水路流域では、ポンプで揚水しなければならない村落がいくつかあった。ガソリン燃料は高価で、とても貧しい村落では手が出ない。長い懸案であったが、13年度になって着工された。福岡県朝倉市の水車を模したもので、二カ所に設置された。製作はPMS独自に行った。
詳細は別表4の通り、1日揚水量1200〜1600トン、二つの村が恩恵を受けた。水稲は無理だが、小麦やトウモロコシなら数十ヘクタールを潤し、村民の自給を保障した。
別表4. 設置揚水水車の比較

3. 農業・ガンベリ沙漠開拓
◎植樹と砂防林の効果

ガンベリ開拓地の悩みは突然襲う鉄砲水と砂嵐であった。このため、2008年秋に沙漠横断水路の建設開始と同時に、砂防林の造成が進められてきた。植林は主に乾燥に強い紅柳(ガズ)が使われ、開拓地を囲むように全長約5km (岩盤周りを含むと計7km)、幅100〜200mで植えられた。 5年を経て、ようやくその効果が表れ始めた。紅柳は高いもので十数mに成長、激しい砂嵐を避けただけでなく、鉄砲水も樹林をくぐる間に大人しくなり、破壊的な被害はなくなった。草地の拡大と相まって、厳しい沙漠の熱風も、樹間をくぐる涼風となり、土地が保水性を増して作物に好影響を与えるようになった。

◎ガンベリ農場の増産
これを受けて13年度は「食糧増産・自給態勢確立」を合言葉に、耕作地を飛躍的に拡大した。コメ、コムギらの穀類、柑橘類、ザクロ、モモ、ブドウらの果物、野菜、豆類、オリーブなど、ほぼ職員の自給を満たしつつある。小規模ながら畜産も始められ、乳製品が生産 されている。新たに造成されたオレンジ園やオリーブ園を入れると、農地は約80ヘクタールを超える。事務所内に「農業部」を置き、集荷された収穫物を職員に分配する仕組みが導入された。将来的にPMSの独立態勢をめざし、皆の士気は高い。

◎農業協力の結論
「緑の大地計画」の柱の一つであった農業協力は、幾多の試行錯誤を経て支援の方法を会得したと言える。アフガン農業の特性は、商品性でなく自給性を重視、地域の自然循環の営みに位置づける点である。
数百年、数千年の時間をかけて成った農業は、既に確立された伝統技術と文化である。PMSの目指すのは、新技術の導入ではなく、「復元」に近い。実際、アフガン人は全て有能な農業技術者であり、勤勉な農場経営者でもある。我々が持ち込んだもので例外的に成功を収めたのはアルファルファの普及だけで、かれらが述べるように、「水と土さえあれば生きられる」。農業生産は、全て彼らの流儀で行われるようになった。
単位面積の収量が多少落ちても、彼らは「自給性」を重視する。肥料も自分で作り、化学肥料は最低限に抑える。それで自活できれば、外国人がとやかく指導することはないと我々は考えている。
なお、13年1月から12月までの植樹は59、436本で、03年から13年12月までの総植樹数は78万本を超えた(別表5参照)。半分以上が水路や護岸沿いの柳枝工に使われたヤナギで、次に防砂林の紅柳やユーカリが多い。最近の傾向はシーシャムらの土着種、果樹が少しずつ増えている。

◎「ガンベリ村」発足に向けて
ガンベリ開拓地(約3km四方、900ヘクタール)には、周辺から様々な集団が移住して「棲み分け」が進んでいる。最も有力なのがケシュマンド山系から移住してきたパシャイ族の集団で、クナール州、ローガル州からのパシュトゥ族、定住化した遊牧民、隣接するシギ・シェイワ村落住民と、雑多である。14年1月、各集団が一堂に会し、今後が協議された。
これによってPMSは、より組織的に給排水路の整備を進めると共に、「ガンベリ地域共同体」の一角を占め、「土着化」の道を選んだ。他方、PMS農場(約200ヘクタール)を合法的に得るべく、「40年間借用」の契約が行政との間で取り交わされた。今後、PMSの事業を介して地域がまとまり、安定した農村共同体ができてゆく過程にあると考えられる。
合法性を維持するため、ガンベリに近いベスード郡の一角に職員居住地を「PMS私有地」として確保、計画は徐々に進められている。

4. ワーカー派遣・その他
13年度は、現場に中村1名が常駐、ジャララバード事務所に村井・石橋の2名が赴いた。
別表6. 2013年度 現地派遣ワーカー


カシコート・サルバンド村の女子校舎は、緊急の河川工事が再び難航し、治安の悪化で近づけず、着工延期を余儀なくされた。

2014年度計画
年度報告に述べた通り、14年度も「緑の大地計画」実現へ向けて更に努力は続く。
マルワリード用水路関係では、農地開拓、小水利施設、給排水路整備、植樹ら、基本的にこれまでの連続だが、全体に農業生産に大きく移行する。
河川・用水路工事では、
・ベスード第二取水堰(ミラーン地区)
・カシコート既存水路9・8kmの拡張
・ベスード郡タプー堰の改修
・ガンベリ開拓地の排水路整備
以上が成れば、ほぼジャララバード北部穀倉地帯全域の安定灌漑に見通しをつけることができる。
最大のものがベスード第二取水堰で、何とか14年10月に着工し、16年3月までに完工したい。とくに調節機能のない取水がいかに危険か、シギ堰で痛感した。既に14年5月までに工事に必要な調査と測量を完了した(詳細を次号で紹介)。
カシコートは現在、国道上の治安が悪く、数年をかけて少しずつ進める。女子校舎建設は、その段階で予定している。