飢饉がささやかれる中、送還難民流入
――予定を前倒しで「緑の大地計画」完遂急ぐ

PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表
中村 哲
ペシャワール会報130号より
(2016年12月7日)
2000年なみの異常気象
雪が薄く山肌が見える、積雪のケシュマンド山脈。しめきり堤工事現場から撮影(2016年2月16日)
みなさん、お元気でしょうか。当地は急に冷え込み始め、川沿いの水は冷たいです。
相も変わらず河の仕事ですが、今年は特別に寒風が骨身に沁みます。

異常気象です。昨年は降雪量が非常に少なく、春先に少し降ったものの、洪水となって消えてしまいました。5月から現在までほとんど雨がありません。そのため、川の水が極端に少なくなり、小麦の播種ができない地域が増えています。既に10月には、厳冬期並みの低水位を記録し、天水に頼る地域の収穫はことごとく壊滅、大河川沿いでは取水できず、飢饉がささやかれています。大干ばつが襲った2000年の状態に酷似しています。

難民であふれるジャララバード
悪いことに、パキスタンから送還される難民の問題があります。その数、100万から150万人と言われ、トルハム国境だけで毎日7,000家族が送還されると伝えられました。10月、アフガン政府は、これら難民をいったんジャララバードに溜め置く方針を打ち出しました。これに加え、北部のクナール州やナンガラハル州南部・スピンガル山麓からの国内避難民があります。

ジャララバード市内は人であふれています。難民キャンプから買物にくる人、職を求める人、知り合いを訪ねる人、物乞いをする人、借家を探す人、とりあえず動き回る人、これらを客にする露天商やリキシャが加わり、信じられないような雑踏が出来あがっています。

市の近郊、特に北部のベスード、シェイワ、カマ郡は、たちまち人口密集地帯となってしまいました。川沿いやガンベリ沙漠でも、避難民のテントが林立し始めています。

難民流入で治安が悪くなった訳ではありませんが、無政府状態です。麻薬生産は、「アフガン全体で約4割増加」と伝えられ、少しお金と教育がある都会の若者は、祖国を見捨て、欧米諸国へ逃れていきます。

PMSでは、この動きを危機的にとらえ、予定を前倒しで「緑の大地計画」完遂を急ぎ始めています。新たに着工したミラーン堰対岸地域(マルワリードU)だけでなく、計画が延期されてきたカシコート延長水路(9,8km)、バルカシコート堰らの早期実現を目指しています(写真4.5.参照 )。

難民が帰り、暮らせる故郷
ガンベリ沙漠に難民たちの小屋が見える。手前はPMSのガンベリ農場(2016年10月25日)
しかし、悲惨なことばかりでもありません。現在の作業地(ミラーン対岸地域)では、着々と取水堰と用水路の建設が進められ、800ヘクタールの農地回復を目指し、多くの村民に安堵感を与えています。多くの難民が帰農し始めました。

「いつでも帰れて、暮らせる故郷!」 この状況の中では、それが贅沢と思えるほど貴重なものです。パキスタンから戻った難民たちは、口をそろえて感謝します。

同地の4ヵ村(コーティ、タラーン、カチャレイ、ベラ)の3万人は、PMSに将来を託し、強い協力態勢が築かれています。特に、今冬に取水堰の仮工事が成れば、長い間苦しめられてきた洪水の危険が遠のき、耕作地が倍増、安定した農業が全域で保障されるからです。

この作業地の対岸では、マルワリード用水路の最後の仕上げとも言える工事が行われています。全長1,5kmの主幹排水路で、年内に開通予定です。既に数百ヘクタールの湿害地が一掃され、小麦の作付けが保障されています。足かけ6年の難工事でしたが、決着が近づいています。完成後に詳細を報告します。

堰板方式の砂吐きが威力
PMSが用水路建設を始める前は、干ばつ地でもよく育つ写真のようなケシ畑が多く見られた。用水路開通後は消滅し、米や麦が作られている。
去る10月に竣工したミラーン堰は、異常気象による渇水で、竣工直後に取水困難に陥りました。しかし、堰板方式の砂吐きが絶大な威力を発揮しました。わずか2段の堰板(40cm)でたちまち水位を回復、流域1,100ヘクタールが隈なく潤された上、新たに同流域に加わったタプー(500ヘクタール)にも行きわたったのです。これで、冬小麦の収穫に不安なく、ミラーン流域とタプー流域の水争いは消滅しました。見かけは野暮ったいけれど、これは紛れもなく「可動堰」、この時ばかりは、改めて先人の知恵に感謝しました。異常低水位にも拘らず、PMSの建設した8ヵ所の取水堰・用水路は、全て正常に機能し、住民に動揺はありません。

写真4. カシコート既存用水路。堰からの取水可能量に対して既存水路の容量は半分以下。外壁の傾斜が急で幅も狭いので拡張工事により容量が増大し、飛躍的に農業生産は上がる(2013年7月8日)
写真5. 洪水で崩壊したコンクリ―ト突堤のバルカシコート既存用水路。突堤の先端が洗掘され水が取水口に流れなくなり、村民による堰上げの跡が見られる(2015年10月14日)
写真6. ミラーン堰完工式典で「パキスタンからの強制送還難民があふれ、南部では戦火がやまず、北部ではクナール州からの干ばつ避難民、外国団体は引き上げ、我々は最悪の時を過ごしている。この中で、アフガン人自らの手で、自らの方法で、自らの命のために力を尽くす、そのことが偉大なのだ」と強調した中村医師(2016年10月3日)
写真7. ミラーン堰の隣に建設中の人材育成汲訓練校(FAO共同事業)
2万本のオレンジに希望
用水路現場付近の村の子供たち
ガンベリ農場のオレンジ園では、5年目にして、やっと、"結果"が始まりました。「2万本分が出荷できるようになれば、さぞ壮観」と、農業部は胸を膨らませています。

アフガニスタンといえば、爆破事件、治安悪化、米軍の誤爆、政局の混乱、テロ対策、国際支援の失敗、欧州への「難民」――等々の報道ばかりで、このところ辟易しています。大きな元凶である旱魃と飢餓は、余り問題になりません。
きっと私たちは、報道で合成される世界とは別のところに居ます。

飢えた人々に必要なのは、政治議論やテロ対策ではなく、パンと水です。私たちの仕事が、行き場もなく途方に暮れる人々にとって、一つの希望となり、励ましを与え続けることを祈ります。

ここで目にする水路も堰も、豊かな実りも、全て良心的協力の結晶です。それがどれだけ人々に安らぎを与えているか、貧しい言葉では伝えきれません。日本も決して明るい世相ではありませんが、ほとんど見捨てられた人々への、変わらぬ祈りと温かいご関心に感謝します。

事業は世代から世代へ、氷河の水が絶えるまで続けられます。現地PMS一同もまた、祈りを合わせ、この仕事を自らの励みとし、更に意気軒昂です。
良いクリスマスと新年をお迎え下さい。
2016年12月
ジャララバードにて