アフガニスタンにおける水事情と灌漑の重要性
―2010年の提言(会報105号より)

PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表
中村 哲
ペシャワール会報138号より
(2018年12月05日)
2003年から始まった水利事業における大きな転機は2010年でした。中村医師はさらなる干ばつを前に警告を発するとともにPMSが進むべき方向性を示されました。この文書は2010年8月に「アフガニスタン支援検討会議」で日本政府に提言されたものです。アフガニスタンのナンガラハル州という一地域を基点にして、JICAとの共同事業として、水利事業を安定して拡大することの大切さを問いかけ、現在も微動だにしない確かな視点で記されていますので、再度掲載いたします。
(ペシャワール会会長 村上優)


アフガン難民と干ばつ PMSの試みから
PMS(平和医療団・日本)は、元来医療団体であったが、2000年夏以降に顕在化した大干ばつに遭遇し、水利事業に勢力を注いできた。2007年まで井戸・カレーズなど、1600カ所の飲料水源を確保し、2003年からは農業用水路の建設に努力を傾注してきた。これによって数十万人の帰農を実現し、今も活動は続けられている。しかし、非政府組織としての限界も痛感している。

PMSでは、復活した村落の調査によって、マルワリード用水路灌漑域で15〜20万人、カマ郡の灌漑路復活で10万人以上が帰農したことを確認している。その殆どは、パキスタンで難民生活をしていた者たちであった。

すなわち、少なくとも東部アフガンでは、戦乱や政治的迫害を避けて逃れた者も少なくなかったが、難民の大半が国際機関の指摘する「環境難民」であったことを裏付けている。このことは、WFP(国連世界食糧計画)やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ら、国連機関の信頼できる調査と一致している。戦乱の与えた影響は、唯に政治的混乱や国民の死傷にとどまらず、国家機関に依らざるを得ない水利工事が等閑視されがちであったことも、難民発生や治安悪化と無縁ではないと思われる。

荒廃する農地、減少する食糧自給
取水門を乗り越える2010年の大洪水。気候変化は渇水だけでなく、突発的かつ局所的な洪水を引き起こす(2010年7月30日)
中小河川に頼る農地の荒廃は、3,000〜4,000m級の万年雪の減少と密接に関係しており、用水路流域の調査によって30年以上前から徐々に進行してきたことが確認されている。アフガンの伝統的灌漑法・カレーズは地下水を利用するものであるが、地下水位もまた下がり続けており、吾々の作業地で2000年8月から現在まで、10年間で平均約10〜16m低下している。かつて豊かな穀倉地帯ナンガラハル州・スピンガル山麓の村落は、この10年でことごとく廃村に帰した。

WFPは、2006年、アフガニスタンの食糧自給が60%を割ったと警告している。一昨年から続く世界的な穀物生産不足は、更に苦境を強いる状態となっている。

国家的規模の支援の必要性
水利・灌漑施設の整備は、確かに長い年月を要するが、国民の8割以上を占める農民たちの死命を制する問題である。PMSが8年をかけて数十万の農民たちの生活を保障して地域の安定に寄与したとはいえ、これはナンガラハル州のごく一部のできごとにすぎない。

国家再建は短兵急にはできない。時間をかけ、広範囲に実施されるべきである。吾々非政府団体の限界はここにあり、願わくばPMSのモデル的な試みが、然るべき国家機関の手によって大規模に実施されることを望むものである。

灌漑事業の可能性と日本の役割
乾燥化と気候変動が問題にされてはいるが、ヒンズークッシュ山脈の降雨・降雪の絶対量が極端に減ったわけではない。完全ではなくとも、以下のアプローチで臨めば、かなりの農地回復ができると思われる。少なくとも試みる価値はある。

1.中小河川の緩流化(多数の中小貯水池の建設、洪水路の植林ら)による保水力の増強
2.大河川からの取水(中小規模の堰と用水路建設)

なお、夏のクナール河の流量は毎秒1,000〜1,500トン、このうち3,000ヘクタールを潤す必要量は夏期で毎秒4〜6トン程度である。しかも再び河に戻す排水路を置けば、たとい多数の取水口を整備しても、下流に及ぼす影響は殆ど無視できるものと思われる。

アフガン農村は山間部でオアシス的な農業が営まれ、基本的に循環型自給自足の共同体であり、農業生産の大前提は灌漑である。水を制する者が根底から地域を制する。「水は生命線だ」とは、アフガン人なら全て、政府・反政府を問わず、知識人から一農民に至るまで、自明の認識がある。日本がこの面で大きく寄与すれば、食糧自給率を飛躍的に上げ、必ずや多くの国民の生命を保証し、以ってアフガン社会安定の強力な柱を提供できるものと確信する。

さらに、年々増大する気候変動、洪水と渇水の極端な同居は、アフガニスタンとその下流・パキスタンを貫くインダス河流域全体の問題の一部でもある。環境問題=人と自然との関わりについて、日本が一つの先鞭をつける意義は、測り知れない。都市空間と農村地帯との寛容な共存もまた、水問題に依拠していると述べても過言ではない。

規模が違うとはいえ、アフガンと日本の河川は共通点がある。河川の勾配が急で、夏冬の水位差が大きいことである。これに対して、わが国では昔から多大の努力が払われてきた。旧くは古代から現代に至るまで、営々と培われてきた豊富な経験と技術がある。これを生かすことの国際的な意味と日本の存在感は、今後も増加するであろう地球環境の激変の中で、決して小さくはないと思われる。現地PMSとしては、政府による灌漑計画の実施に全面的な協力を惜しまない。官と民、それぞれが相補い合いながら実施すべき日本の課題だと考えている。