悲願の山田堰モデル、完成へ
―干ばつによる飢餓が蔓延するなか、カマ堰、9年目の完工

PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表
中村 哲
ペシャワール会報139号より
(2019年04月01日)
断続的に雨
お元気でしょうか。当地はまともな雨が3年間降らず、干ばつによる飢餓が蔓延、多くの国内避難民が発生していましたが、昨年暮れから断続的に雨が降り、北部山岳地帯は豪雪に見舞われました。このため、干ばつは一時緩和し、心なしか人々に安堵の表情が読み取れます。
しかし、過去にもこのような動揺をくり返しながら深刻化していた干ばつです、気を緩めず、備えを続けたいと思います。

PMS方式と堰完成の意義
現地事業の流れは、2003年から始まった「緑の大地計画」がほぼ予定通り進行、現在その後に備えて準備が進められています。多少の時間的ずれはありますが、具体的には灌漑事業を3期に分けると理解しやすいです。
1. マルワリード用水路建設 (2003〜2010)
2. ナンガラハル州北部穀倉地帯の復活・取水堰の研究と建設 (2008〜現在)
3. PMS方式の他地域への応用、普及活動 (2008〜現在)
現在、安定灌漑はナンガラハル州の3都
(クズクナール=シェイワ、カマ、ベスード)のほぼ全域、約16,000ヘクタールをカバーし、一部の地域で最終的な改修工事が行われ、水利施設がPMSの管理から離れ、地域(住民と関連行政組織)に引き渡されます。

他方、ミラーン訓練所建設(2018年竣工)に始まる動きが今後の普及活動です。
こちらはFAO(国連食糧農業機関)との共同事業で、2018年1月からPMS方式の紹介、実地見学が行われています。この1年で、地域農民指導者、各州レベルの技官、地域の伝統的水主(みずぬし)らを対象に、220名が受講、干ばつ克服の切り札として高い関心を集めました。
この普及活動の大前提が、「PMS方式の完成」でした。PMS方式とは、取水堰・取水門・主幹用水路・沈砂池からなる一連の取水設備(=頭首工/とうしゅこう)、および護岸方法です。とくに最大の構造物である斜め堰は多大の時間と労力をかけ、昨年から改修されたカマ堰を以て「完成形」となるに至っています。多少説明が要ります。

温暖化による河川の変化と村落の荒廃
2003年に建設が始まったマルワリード用水路は、初期の頃、殆ど取水堰に関心が払われていませんでした。それほど厄介なものだとは思わなかったのです。しかし、年月が経つうち、最大の難関は取水堰だと身に染みて分かってきました。大河川もまた気候変動の影響で、手のつけられぬ暴れ川になっていたからです。

マルワリード用水路流域は、かつて小河川からのジューイ(伝統的な小水路)、地下水由来のカレーズで潤されていましたが、小河川・地下水共に涸れ、残るは大河川からの取水以外にありませんでした。初め、要するに水を引けばよいと考え、用水路はどんどん伸ばされていきました。ところが、灌漑によって緑が広がり、村々が復活し始めるところまでは嬉しいのですが、取水堰は毎年改修が必要な状態で、とても村民へ譲渡できるものではありませんでした。住民自身の手で維持できることが絶対条件の一つだったので、この取水堰の技術的完成が大きな課題となりました。復活した村々が繁栄すればするほど、取水堰の不備が悪夢となりました。

用水路工事の際、ギリシャ系王朝時代の農村跡に何度も遭遇しました。何れも河川の変化で取水できず、遺跡となって埋もれていったものでした。
用水路は取り込んだ水を運ぶので、自在に作り、維持できます。しかし、自然の猛威と直接対峙する設備はそうはいきません。特に温暖化の影響はクナール河でも激烈で、渇水と大洪水が極端な形で同居していました。厳密には降雨減少ではなく、「降雨偏在」です。つまり、全体としては乾燥化でも、時間的・場所的に少ないスポットに激列な集中豪雨が襲い、降れば記録的な雨量でしばしば大被害が発生します。
このため、昔からあった川沿いの村落でも取水が困難となると同時に洪水被害が頻発し、廃村が広がっていたのでした。
悲願、安定した取水設備!

カマ第一堰土砂吐き(2019年1月24日)。取水門前に土砂が堆積しないように、大量に土砂を含む底水を急流で流すと共にクナール河の水位が異常に低い時は、堰板を入れ取水量を確保する。
カマ堰着工と試行錯誤
取水堰は2008年以降、次々と建設されましたが、実際には改修を繰り返し、泥沼の様相を呈していました。朝倉市の山田堰をモデルとすることが初めからの目標でした。電力が利用できず、土木資機材の搬入が困難で、単純機械による建設、地元住民自身による維持を考えたとき、これに優るものはないと思われたからです。

しかし、事はそれほど簡単ではありません。研究と建設が同時などとは日本では考えられませんが、作った堰を水理実験モデルのように扱い、改修を重ねながら改良、完成度を高めていきました。クナールの大河を相手に、要するに試行錯誤です。毎年夏の増水期に洪水が襲って壊し、冬の渇水期に弱点を見ながら改修するのです。

2010年に着工したカマ堰で、PMS方式が最初に組織的に導入されました。同堰は二つの堰からなり、流域は農地面積が7,000ヘクタール、30万人が住むアフガン東部最大の農村地帯です。しかし、ここも廃村が広がり、着工時は農地の半分以上が沙漠化し、住民の多くが難民化していたのです。この工事は過去多くの者が努力したものの成功例がなく、「取水堰は不可能」とされていました。旧ソ連(ロシア)、米国やアラブ系、国連系など、多くの者が挑んで結局失敗しています。夏の濁流が堰を壊すと同時に、大量の土砂が流入、水路を埋め潰してしまうからです。ダムを作るほどの技術はあるのに、取水堰はうまくゆきませんでした。

2012年、PMSは斜め堰方式を採用して一時的に成功を収めました。3年のうちに全流域が復活し、住民の殆どが戻っています。しかし、堰の不備を補うべく、地元への譲渡まで5年以上の観察期間を置き、改善を重ねていきました。作っては壊れ、壊れては直し、賽の河原のような努力が続きました。その間、気が気ではありませんでした。

石張り面積25,000m2の山田堰
PMS方式取水システムのモデルとなった山田堰(福岡県朝倉市)
山田堰モデル実現へ
それでも、経験を重ねるにつれ、PMSの施工技術が向上し、クナール河の動きが明らかになり、これまでの堰の弱点が少しずつ克服されていきました。自然河川を相手にする堰に厳密には完成はありませんが、やっと最近になってある程度の耐久性と機能を備えたものができるようになり、これを「標準設計」とするに至りました。詳細は割愛しますが、専門家筋とも協力しながら、図面上の標準化を進めています。

堰は鉄筋コンクリート製の砂吐と巨礫による人工河道(洪水吐)を持ち、異常渇水時には堰板で水門付近の水位調整を図ることができる、一種の「部分可動堰」です。堰幅は約220m、河道幅の2倍以上をとって越流水深を浅くし、水の破壊力を減らします。堰長は50〜140m、石張り面積14,000m2の強靱なもので、大量の巨礫を積み重ねています。堰に投ぜられた石量は、今回の改修では10トン積み大型ダンプカーで約4,500台分、過去のものを合わせると約8,000台以上となります。総工費の半分がこの石材輸送に使われ、その成否も工事に影響します。

「おお、これはヤマダの!」
高台から見るカマ第一堰全景。目指してきた「山田堰の生きたモデル」が実現した。治安の良いカマ郡は人々の往来も盛んで訪問客も多い。ナンガラハル州最大の穀倉地帯であるカマ郡の農地約7,000ヘクタールを潤す。写真右手が上流(2019年2月22日)
2019年2月、2つの堰は最終工事を終了、美しい姿を現しました。冬のクナール河は清流です。14,000m2の堰の表面は1枚の板の如く、透明な流水が洗っていきます。晴れた日は天空の色を映して青く、真っ白な荒瀬が躍ります。
「おお、これはヤマダの!」
既に朝倉の地を訪れて山田堰を見た職員、ジア先生やファヒム技師が思わず叫びました。山田堰の機能を徹底的に模倣したせいか、形が非常に似ています。この1年、彼らもまた普及活動に奔走し、現地で確実なPMS方式を公的機関に訴えようとしていたところでした。折よく最後の難関であった堰の標準設計が成り、これによってPMSの活動は1つの段階を超え、次に備えたと言えます。

カマ堰着工の2010年から、事実上の竣工まで9年の歳月が流れていました。事は技術だけではありません。普通、このような試行錯誤はよほどのことがないと許されません。この忍耐を支えたのは、住民たちの協力と日本からの支援でした。山田堰を造った先人たちの悲願がここに漂っている気がしてなりませんでした。
みなさんのご厚意にこころから感謝し、更に恩恵が広がるべく、力を尽くします。