中古車購入の急務帯びカーブルへ
PMS現地連絡員(ジャララバード事務所)
黒澤 力
ペシャワール会報75号より
(2003年04月16日)
日本からの中古車も多く走っています
一大イベント
現在、アフガニスタンにおける我々の活動において、カーブルというのはやや遠い地域である。地図で見るとジャララバードとは州として隣り合わせなのだが、活動現場としてのクリニックや女性ワークショップは既に終了したし、日本人スタッフのアフガンヴィザ延長手続きも、今ではジャララバードで行うことができる。

そんなカーブルへ、3月の頭に急遽派遣されることとなった。新計画に際して必要な、中古車の購入のためである。その仕事を担当するようになった2月以降、トルハムを含めジャララバード中の中古車店を探し続けてきたものの、空爆以降の物価上昇とあわせ、我々の予算内に収まるものはなかなか見つからなかった。

中古車の購入は、こちらでは一大イベントである。滞在が半年のひよっこ日本人の私に務まるはずもない。自動車を選定するドライバーのアブドル・ハミッド、タフ・ネゴシエーターのジア副院長、そしてドライバーのワヒードに私、というメンバーで、これでも随分良くなったというデコボコ道を、カーブルへ向けて発った。

3時間ほどの道を経て、いよいよ首都が近いというところで、なお山岳地帯が続き戦車の残骸がゴロゴロしているのに驚かされる。アフガン出身のジア先生いわく、地元の人が戦争を伝えるために敢えて残しているのだ、という。山からスーっと平野へ降りて行き、気がついたら市内に入っていた。

カブールのバザール(2002年6月)
物価は軒並み急騰
中国の地方都市を想起させる旧共産圏的な整然とした街並みも見られるが、成程噂に聞いていた交通渋滞と、あちこちに張り出したバラックのような建物、そしてどんよりした天気のせいで、どうにも雑然とした印象を受ける。ともあれさすがの首都、やはり大きい。

われわれ一行は宿を求めこの大都市をさまよった。が、世界の注目を浴びてからこのかた外国人がお金を落として行った結果、首都の物価は軒並み急上昇したという。一般的なホテルでさえ一人40米ドルを取るというところにあって、我々は結局4人で800円ほどの大衆宿に身を投じることとなった。若い私やドライバーはともかく、副院長までがこの4人部屋というのはいかがなものか、という私の心配をよそに、ジア先生は「外国人がいなければ4人で400円だったそうだぞ」とお茶目な笑みすら浮かべておられた。

出発前にスタッフ達から「カーブルは寒いから気を付けろ」といわれただけのことはあり、翌朝は雪が降った。ぬかるむ道を一軒一軒探し、何台もの車を試乗してみたが、結局目が高いアブドル・ハミッドを満足させる車を見つけることはできなかった。これでは致し方あるまい、とりあえずは日雇いのレンタカーで始めるしかなかろう…予想外の結果に肩を落としつつ、昨晩と同じ大衆宿に帰る。

あまりの短い滞在のせめてもの記念にと、現時点では国内で唯一機能しているという郵便局へいってみた。手紙を投函すると、なんだかかわいらしい切手を貼るので、何枚かみせてもらった。破壊されたバーミヤン遺跡追悼のものから1964年のザヒルシャー元国王のものまで、そのまま現役で供されているのが興味深い。

ブルカを着用せずに闊歩する女性も、洋服をまとった若者も、そして外国NGOの人々から21カ国よりなる国際治安部隊の兵士まで、この街はすべてを受け入れている感がある。報告等を考えパソコンとともに持ち込んだ電流安定器が無用の長物となるほどに電力供給が極端に不足していたが、このような混沌とした中から、新しい平和と安定が生み出されて行くことを祈念してやまない。