悲憤超え、希望を分かつ
―オキナワ平和診療所、来春完成へ

PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村 哲
ペシャワール会報74号より
(2002年12月18日)
試験農場周辺の風景
アフガン空爆とタリバン政権の崩壊から1年が経過した。何から述べてよいか分からない。ただ、テロ戦争と言う名の国家的暴力による、取り返しのつかぬ結末の中で、人々とおろおろするばかりである。アフガニスタンは過去最悪の状態となっている。

本年開かれた「アフガン復興支援・東京会議」は、空爆と同様、その見直しを迫られている。帰還難民は11月現在で170万人と報ぜられたが、その大半が寒風の中で依然として餓死や凍死と隣り合わせに暮らしている。ISAF(国際治安支援部隊)はカーブルにだけとどまり、米軍は増派を余儀なくされ、新政府の整備も遅々として進まない。地方軍閥の抗争は、私たちペシャワール会=PMSの現地事業に多大の影響を与え、新情勢の中でさまざまな困難に直面している。

とはいえ、指をくわえて傍観している訳にはいかない。「緑の大地」計画は、長期的な視野で継続されている。作業地は883ヶ所(2002年11月末現在)、年内に900を超える。これによって、約50ケ村で35万人が故郷につなぎとめられている。灌漑用井戸の建設、カレーズの再生は、ダラエ・ヌール渓谷で計2万人以上の人々の定住を可能にした。

試験農場
崩壊する秩序の中で
医療面では、6月に復興援助ラッシュを見届けてカーブルから全面撤退し、東部の診療所に力を注いでいるが、苦戦を余儀なくされている。PMS診療所は非パシュトゥンの山岳民族が住む地域が多いが、軍閥同士の抗争によって、奥地まで秩序の弛緩が始まり、ジルガ(長老会)の統制が弱まっているからだ。

また、ペシャワールのPMS基地病院でも、大量のアフガン人職員が他のNGO・国連事業に高給で引き抜かれ、奥地の診療所勤務は殆ど隔月になっている。その上、追い詰められた住民たちは気がたってきて、いざこざが絶えず、医療職員は安全性に不安を抱いている。10年前と同様、PMS連携の自衛団の組織化さえ考慮せざるを得ない状態である。

しかし、この悪条件にもかかわらず、古参のアフガン人医師を中心に、診療そのものは淡々と続けられている。さらに日本人ワーカー候補が次々と到着し始め、PMS基地病院の質の改善が行われようとしている。ダラエ・ピーチ渓谷のオキナワ平和診療所は4月までに完成の見通しとなった。

農業計画は、年内に試行段階を経て、次の飛躍に備えようとしている。灌漑用水整備に伴う試験農場の地味な取組みは、やがて底力を地域に与えるだろう。

タリバーンの立場に立たされた米軍
アフガン情勢は、いよいよ複雑である。諸外国がアフガン問題に消極的な態度をとり始め、米軍が自ら地方の治安維持と民政への関与に引きずり込まれている。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、「東京会議で過剰な期待を持たせて、膨大な難民帰還を誘ったが、後はどうなるのか」という批判的なコメントを発している。各国NGO、国連機関は米軍の民政関与に批判的である。だが、肝心のアフガン民衆の声はどうなのか。実は彼らは、タリバンを受け入れた時と同様、「誰でもいいから平和にして食えるようになればよい」と考えている。「軍閥よりは外国軍の方がマシだ」という声が多くなっているのは事実である。誇り高い「耕す狼たち」も、それほど追い詰められているのだ。

一年前、ひとつの秩序を破壊した後に何が来るのか、国際世論の考えが余りに浅はかだったと言わざるを得ない。旱魃で逃げ出していた人々の突然の帰還で人口が増え、民心が著しく動揺し始めている。出稼ぎ失業者の群が突然村々に戻ってきたからである。そして、米軍の支援で力をつけた軍閥が、彼らに影響力を持っている。共産政権が崩壊した九二年の状態によく似ている。

事態を切実に感じる外国人は、おそらく前線の米兵たちだろう。彼らは93年のタリバーンの立場に立っていることに気づき始めている。ただタリバーンと異なるのは、米兵が外国人の異教徒たちで、やがては去る行きずりの宿敵だということである。

ダラエヌールの子供
復興ブームの帰結、薄れる親日感情
無責任な「報復爆撃」と「アフガン復興ブーム」の結末を、今こそ率直に見るべきである。今この火急の事態で、もはや敵・味方を問わない。官・民・軍を問わない。安全と生存を保障するものなら、「誰でもよい」のだ。明日の命も分からぬ者にとっては、「反米」や「親米」も、同様にうつろなスローガンに響く。

あれほど親日的だった一般庶民の間で、少しずつ日章旗の輝きも色あせ始めている。「アフガン復興支援・東京会議」への期待感の反動である。そして、心ある人々の思いをよそに、顔のない「国際的関心」は次の標的に足早に移ってゆく。国家は広告代理店ではない。日本もまた「東京会議」によって、無責任な「顔なし」ではあり得なくなった。事態を虚心に総括すべきである。

この間の激変を思うと、やり切れぬ思いにとらわれる。いったい我々はどこに向かおうとしているのか。いったい誰がこの責任を取るのか。悲憤を抱えることにも疲れた。

確かに私たちが関われるのは、広大なアフガニスタンのごく僅かな地域である。それでも、このような情勢であればこそ、心ある人々の真心を集めて力とし、最後まで踏みとどまって事実を見つめ、変わらぬ希望を分かち合いたいと考えている。先は長い。