受信日:2010年07月16日



事務局のみなさん、

湿地帯の話題です。以前送られたガンベリ沙漠の沙漠の地図を共に参照すると分かりやすいと思います。(2009年10月8日受信の地図を見る>>>)

   湿地帯処理の顛末をお知らせします。湿地帯(沼地)は面積が約450~500ヘクタール、2009年3月から排水路の拡張工事をクナール河から始め、1年4カ月で耕地らしくなってきました。シギ村の農民は喜びもひとしお、沼地はここ数年間、拡大し続けていたのでした。
 沼地そのものは「100年以上前からあった」との地元の話ですが、拡大していた訳は、排水路の浚渫がここ10年ほどされておらず、シェイワ取水口の無理な堰上げで洪水をとりこみ、排水力が追いつかなかったのです。村々の利害を調節する権威が不在だったことを示しています。
 2008年3月、ガンベリ沙漠開拓が日程に上ったとき、排水が問題となりました。最初、沙漠の西端にある自然洪水路へ流せばよいと単純に考え、紺野くんに頼み、洪水路が貫通するシギ村を測量していました。しかし、末端はそれでよかったのですが、それまでに灌漑地を潤す水がどこに行くかです。
 2009年2月、調査して驚いたのは、岩盤周り(P・Q区)の浸透水、O分水路、N区からの3つの分水路、シェイワ第一分水路、そして夏季に頻発する洪水、この全てが、同沼地に注ぎこんでいたのです。その上に、ガンベリ沙漠1,000ヘクタールを潤す水が常に流れ込むと、大変なことになります。さすがに慌てました。アフガニスタンのオアシス的な農村は、水を取込むのに熱心で、排水を余り考慮しないのです。

 ところが、村人の話を頼りに見ると、意外にも旧い排水路がまっすぐにクナール河に伸びているではありませんか。このことを知らせてきたのは、シギ村出身のPMSの運転手でした。彼は30歳前後、運転が下手で危ないので、シギ村の作業監督に回していたのでした。「ものごころついた頃から沼があり、祖父が幼かった時にもあった」と言います。

 この排水路は、沼地からクナール河に向かって、直線で約6㎞、明らかに人工的なものです。途中でシェイワ第一分水路、シギ第一・第二分水路と3カ所で立体交叉していて、小さな水道橋の下をくぐらせています。これらの小水道橋はアーチ型で、ずいぶんと年代物、セメントがない時代にレンガを漆喰で固めて作っています。この排水路をクナール河側から、村民を動員して人海戦術、シャベルで拡張と浚渫を進めたのでした。村人によると、最後の浚渫は前タリバーン政権時代に行われたが、充分ではなかったようです。

 図らずも、この工事が湿地帯処理となり、水位が1.5 mほど下がると、乾いた草地に変わりました。ガンベリ沙漠からの排水を考慮し、機械力も使って掘り進め、更に2mほど水面を下げました。網の目のように分枝路をはりめぐらし、浚渫路、架橋、水道橋、洪水時の流路建設など、まだまだ作業が続きますが、沼地の大半が消え、広大な農地を回復しました。これは、予期せぬ大きな恵みで、シギ村は大変な喜びで沸きかえりました。

 用水路などの土木工事は、どうしても本体が目につきますが、目立たぬところに膨大なエネルギーが費やされます。また使わせてもらった河の水は、同じ河にお返ししないと、下流側に影響が出ます。様々な意味で、排水路工事は「用水路建設の最後の仕上げ」というべきものです。灌漑も、沼地処理も、線の世界から面の世界へ展開し、時間と根気が更に必要とされます。今後は、今までのような派手さはありませんが、こつこつと辛抱強く続けなければならぬと思っています。



2009年5月27日。沼地末端から北側を見る。重機が入らず、手掘りで掘り進んだ。下の写真は、なんと1年後の同じ場所から撮ったもの。



2010年7月15日。上の写真と同一地点から見た状態。沼底が渇き、
草地になっている。排水路に沿って浚渫用の道路を作っている。
これは土地所有の問題が起きる前に、公共物としておき、先手を打っておかねば
ならない。緊急の仕事。地価が2,000㎡当り20万ルピーに跳ね上がっているが、
これは要するに「売らない」という意思表示。
PMSが道路や橋を架けると、更に上がるという。



旧沼地は、集中豪雨の際、洪水がたどり着く場所でもある。6月の大雨で
水浸しとなり、「人工洪水路」の建設を行っている。
もちろん、普段は排水路として機能し、P地域の湿害を平らげてしまった。
2010年7月25日



洪水は塞ぐべからず。大きな逃げ道を与えておかないと、行き場がなくなり、
暴れまわる。集中豪雨のとき発生する洪水を、排水路に落とす橋の工事。
対岸は蛇篭2段で掩蔽し、耕作地の崩落を防ぐ。 2010年7月25日



排水路で分断された場所を橋でつなぐ。基礎は水底の粘土層を深さ2~3mで
砂利で置き換え、両岸に蛇篭を乗せる。その背面を鋳型にして、厚さ30㎝の
鉄筋コンクリートを「コの字」型で置く苦肉の策。つまりは「大きなどぶ板」だが、
案外いける。このような橋が7カ所に作られた。2010年2月17日



離村していた農家が戻り、少しずつ耕作地が広がる。沼底だった所は、
家畜の草地となり、次いで耕作が行われる。沙漠の開墾より容易で、
予想しなかった嬉しい副産物。沼地が消え、魔法のような変化。
PMSの讒言を中央に行っていたある村の村長は、もう出てこなくなった。
2010年7月10日。




 毎回皆に知らせたいのが、やはり水稲の発育。あと1~2週間でコメの花がつく。みな固唾をのんで見守っている。心配は砂嵐と熱風だが、熱風の方は、水田のせいか思ったほどでない。


あと1~2週間で花が咲く、水稲。2010年7月15日。


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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