事務局のみなさん、
湿地帯の話題です。以前送られたガンベリ沙漠の沙漠の地図を共に参照すると分かりやすいと思います。(
2009年10月8日受信の地図を見る>>>)
湿地帯処理の顛末をお知らせします。湿地帯(沼地)は面積が約450~500ヘクタール、2009年3月から排水路の拡張工事をクナール河から始め、1年4カ月で耕地らしくなってきました。シギ村の農民は喜びもひとしお、沼地はここ数年間、拡大し続けていたのでした。
沼地そのものは「100年以上前からあった」との地元の話ですが、拡大していた訳は、排水路の浚渫がここ10年ほどされておらず、シェイワ取水口の無理な堰上げで洪水をとりこみ、排水力が追いつかなかったのです。村々の利害を調節する権威が不在だったことを示しています。
2008年3月、ガンベリ沙漠開拓が日程に上ったとき、排水が問題となりました。最初、沙漠の西端にある自然洪水路へ流せばよいと単純に考え、紺野くんに頼み、洪水路が貫通するシギ村を測量していました。しかし、末端はそれでよかったのですが、それまでに灌漑地を潤す水がどこに行くかです。
2009年2月、調査して驚いたのは、岩盤周り(P・Q区)の浸透水、O分水路、N区からの3つの分水路、シェイワ第一分水路、そして夏季に頻発する洪水、この全てが、同沼地に注ぎこんでいたのです。その上に、ガンベリ沙漠1,000ヘクタールを潤す水が常に流れ込むと、大変なことになります。さすがに慌てました。アフガニスタンのオアシス的な農村は、水を取込むのに熱心で、排水を余り考慮しないのです。
ところが、村人の話を頼りに見ると、意外にも旧い排水路がまっすぐにクナール河に伸びているではありませんか。このことを知らせてきたのは、シギ村出身のPMSの運転手でした。彼は30歳前後、運転が下手で危ないので、シギ村の作業監督に回していたのでした。「ものごころついた頃から沼があり、祖父が幼かった時にもあった」と言います。
この排水路は、沼地からクナール河に向かって、直線で約6㎞、明らかに人工的なものです。途中でシェイワ第一分水路、シギ第一・第二分水路と3カ所で立体交叉していて、小さな水道橋の下をくぐらせています。これらの小水道橋はアーチ型で、ずいぶんと年代物、セメントがない時代にレンガを漆喰で固めて作っています。この排水路をクナール河側から、村民を動員して人海戦術、シャベルで拡張と浚渫を進めたのでした。村人によると、最後の浚渫は前タリバーン政権時代に行われたが、充分ではなかったようです。
図らずも、この工事が湿地帯処理となり、水位が1.5
mほど下がると、乾いた草地に変わりました。ガンベリ沙漠からの排水を考慮し、機械力も使って掘り進め、更に2mほど水面を下げました。網の目のように分枝路をはりめぐらし、浚渫路、架橋、水道橋、洪水時の流路建設など、まだまだ作業が続きますが、沼地の大半が消え、広大な農地を回復しました。これは、予期せぬ大きな恵みで、シギ村は大変な喜びで沸きかえりました。
用水路などの土木工事は、どうしても本体が目につきますが、目立たぬところに膨大なエネルギーが費やされます。また使わせてもらった河の水は、同じ河にお返ししないと、下流側に影響が出ます。様々な意味で、排水路工事は「用水路建設の最後の仕上げ」というべきものです。灌漑も、沼地処理も、線の世界から面の世界へ展開し、時間と根気が更に必要とされます。今後は、今までのような派手さはありませんが、こつこつと辛抱強く続けなければならぬと思っています。
毎回皆に知らせたいのが、やはり水稲の発育。あと1~2週間でコメの花がつく。みな固唾をのんで見守っている。心配は砂嵐と熱風だが、熱風の方は、水田のせいか思ったほどでない。