食糧配給
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食糧配給

9.11同時多発テロ以降、経済制裁のため、殆どの支援団体が撤退し、干ばつが進行するアフガニスタンでは厳しい冬を目前に食糧難に見舞われました。そのため現地の主食であるナンの原料である小麦粉と食用油を配給し、15万人(最終的には27万人)の手に食糧が渡りました。

記録

現地報告
ワーカー達による現地での日々の記録です。食糧配給当時の記録は現地報告2001年をご覧ください»

食糧配給活動のあゆみ

2001年

9月11日、米国ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の民間航空機が突入。
10月8日、米英軍がアフガニスタンへの大規模空爆を開始。 9日、PMS副院長を中心としたスタッフが食糧配給計画の調査のため、アフガニスタンに入国。12日、ペシャワール会がアフガニスタンへの食糧配給計画「アフガンいのちの基金」を発表。20日、ペシャワールからの食糧輸送第一便が国境を越えアフガニスタン・ジャララバードに到着。23日、ジャララバードで食糧配給を開始。30日~11月12日迄、カーブルで食糧を配布。
2002年事業報告書は"迫り来る飢餓と無政府状態"»にて掲載
2002年

1月8日、ペシャワールからの食糧輸送便が再びアフガニスタン国内に入国
*** 同年2月までで約15万人に配給を完了しました。***