困難を友とし、ユーモアを糧として工事完遂
PMSワーカ
石橋忠明
ペシャワール会報79号より
(2004年04月14日)
オボ ラジー!水路に水が通る
「オボ・ラジー(水が来る)!」
オボ・ラジー!(水が来る!)。裸足の子ども達がこちらに駆け寄りまとわり付く。
セイーダ・オボ・ラジー! 手を挙げて応える。

足下を見る。水路ではスタッフが心の何ものかを抑える様に流れ来る水の半歩先を歩く。一歩ずつ、ゆっくり、ゆっくり、と。そう、水が通ったのだ。今までの様々のモヤモヤ、シガラミが一挙に晴れた。水が元気と勇気をくれた。やっと十万人の命を救う水路に水が通ったのだ。

ユンボ(油圧ショベル)のオペ(操縦技術者)としてペシャワールに飛んだのは去年の10月。それから数カ月、様々あった。小生と共に到着したユンボは中古とはいえ電気系統、タイヤ等が故障。工場は発電機に頼り道具は不充分。アフガン人の仕事の荒っぽさに加えて、言葉と習慣の壁。もう困難を友としてやり抜くしかない、と腹を決めた。とはいえ4,000メートル級の山々と眼前に広がる砂漠、そこに点在する泥の家、ロバ・ラクダ・山羊・羊の群、子どもや老人の明るい笑顔…。珍しさも手伝ってか堪らない魅力もこの地は放っていた。

ユンボ(油圧ショベル)で作業中の石橋ワーカー
早朝ユンボで現地に赴く。子ども達がこちらを向いて手を振る。足の悪い男が頭を下げる。ラクダがユンボと競争する。羊が横切る。昔沃野であった砂漠土漠がずっと続く。よく見ると向うにクナール川が見える。

我々の水路は、この川から砂(土)漠へ水を引き耕地化を可能にして十万人の難民の帰還帰農を促そう、というものだ。ヒンズークッシュ、スレイマン、…山々の雪が解け雨季と重なって川が増水する前に取水部の水門・堰を完成せねばならない。間に合わないと工事は来年の冬まで待たねばならない。ことは十万人の命に係わる大事である。即ち自然と人との「時」をかけた死斗という訳である。

堰の工事現場で水浸しで働く現地作業員と中村医師(左)
斗いの中にも常に笑いが…
「斗い」の中にも笑いは絶えない。現地スタッフ・レイバー(作業員)・日本人スタッフ・ドライバー皆握手し抱擁し合う。生を確かめ合う様に。パシュトゥー語・英語・ファルシー語(ペルシャ語)が飛び交う中我々日本人は「落語」で話し合う。活力を得る為に。

落語的日常の中で、しかし「時」は待ってくれない。暖冬のせいか、日中は真夏の日が身を射る。水門と水位を上げる為の堰作りを急がねばならない。現地特有のスローペースと折り合いをつけつつ。

とにかく今冬は「取水部」が優先課題である。もう時間切れ、とばかりに堰を流れに直角に作り出す。水流調節の為、パイプ・聖牛を埋めつつ進む。が、対岸に近づくにつれ川幅が狭まり洗掘も起きて激流となる。なかなか進まなくなる。中村医師が泥まみれ水浸しになりつつ最先端でパイプを埋め込む。レイバーが心配して代わりになって泥々になる。もう皆一体である。真冬のクナールである。落ちたらひとたまりも無い。水の冷たさは身を切る。
ジッカ(上げろ)!、タオカ(曲げろ)! 叫びつつ、命懸けの作業が続く。

「水の道」は「人の道」
斜め堰の工事現場取水口からクナール河上流を見る。右手が中洲
だが、皆で身体を張って延ばした堰も結局激流に阻まれて中止。急遽日本古来の斜め堰に方針を変え激流を作らずに進むことにする。自然相手の仕事である。臨機応変、朝令暮改は日常茶飯事である。苦労して埋めた土石を笑い乍ら掘り返し斜めの方向へと埋め直す。途中蛇籠で円形の補強物を作りつつ、右背面に巨石を入れて支えながら進む。ダンプの誘導も一仕事である。「時」の遅れは巨石ハンターがローダーを以て穴埋めしてくれた。
バケットより大きい数トンの巨石を先端と背面に次々と放り込む。一挙に水位と長さをかせぐ。正に一石二「長」である。水位が上がり、盛り土を超えて工事中の水門に入る。水門作りの担当者から睨まれる。しかし水門作りもザルザル(急いで)やらざるを得なくなる。全く巨石様々である。

取水口周囲の風景 奥に中洲、対岸の風景。中央には斜め堰。
山々の雪は申し訳程度にはりついている。川中の見え隠れしていた石が視界から消える。自然は雪解けを告げていた。水門も堰も、しかし完成していた。間に合ったのだ。

今こうして水路の静かな流れをみていると、様々な絵が脳裡を去来する。荒っぽいがメシ、チャイをいつも誘ってくれたレイバーたち、今の日本では稀有ともいえる明るい、やさしいスタッフ、…そして、どうしようも無く貧しいのに必死に明るく生きている子ども達。
又来ようと思う。彼らに会う為に。そして、この水路が、荒漠たる人類現代史に真珠の如き光を放つことを願って。
道がある。
水の道である。
命の道である。
無償の支援…
人の道である。