どれも無骨であたたかみのある手ばかりなのです
ジャララバード事務所
馬場哲司
ペシャワール会報74号より
(2002年12月18日)
給料を手渡す馬場ワーカ
一日で百人以上と握手
私がアフガニスタンのジャララバードに来て、もうすぐ3ヶ月。風が吹き、雲をよび、季節は夏から秋へそして冬を迎えようとしています。町から見える山々はすでに雪をいただいており、朝焼けに照らし出されたその姿にしばし心を奪われます。ごつごつした岩峰は、雪雲をすくいとり、恵みの水をもたらしてくれます。無愛想におもえた岩山の風景も、どこか、硬くて無骨なアフガニスタンの人の手を思い起こさせ、親しみがわいてきます。

現地スタッフや建設作業員の人々にお給料を手渡しに行くとたった1日で100人以上の人々と握手することになります。子供からご老人まで、小さな手から大きな手まで、様々な手と、何百回と握手を繰り返します。相手の反応は人それぞれです。せめて握手だけでもと思い、力強く握ってみると、さも迷惑そうな表情をする人もいれば、両手で握り返してくる人もいて、その正直な反応は、嫌味が無く、どこか人間くささを感じる瞬間です。

ただ一つ言えることはほとんどと言っていいほど柔らかい手の人がいないということです。ぎゅっと握り返してくる、ふしくれだった手は、硬くて無骨ではあるけれども、あたたかみがあり、かえって私をはげましてくれます。

これが本物の「ババ」です
”人間を信じあうなら、人間と人間とが接触する事がまず必要なのである”とは私の恩師の言葉です。そうはいうものの、はじめてみるアフガニスタンは、人も自然も計り知れない何か異質なものに感じられ、”まったくえらいところに来てしまった”というのが臆病者である私の正直な気持ちでした。町から見える岩山には草木一本生えておらず、どこか無愛想で無表情に思え、緑豊かな日本の山々が懐かしく思えてなりませんでした。アフガニスタンへ来た当初、国境の町でぼろをまとった人の群れを兵士がムチで追いたてる様子や、農夫が用水路で大根を洗うその直ぐ隣に地雷原が広がる光景が、戦争で傷ついた人々が、しばらく頭から離れませんでした。はじめてみるジャララバードの町は埃が舞い上がり、ぎらぎらした目の人の波に飲み込まれそうで
、圧倒されるばかりでした。
サイロ内の気密を高め空気の侵入を防ぐ為に短く切った牧草を足で踏み込んでいます
「ババ」違い?
不安な思いでジャララバードのオフィスに出た初日、髭の濃いぎょろりとした目の現地スタッフにかこまれ、「私はババです。よろしくお願いします」と挨拶してみると、一同何かニヤニヤした様子。聞き取れないパシュトゥー語の会話の中に”ババ””ババ”という単語が出てくるので、訳を尋ねてみると、「ミスター、”ババ”と言うのはこっちの言葉で、”おじいちゃん”という意味なんだよ、全く傑作な話だ、あっはは」と笑っている。まさか私のご先祖さまも、遠く離れた異国の地で、子孫が「おじいちゃん」と呼ばれるとは思っても見なかったことでしょう。

それ以後、私の顔を見るなり現地のスタッフは「おじいちゃん元気ですか」と必要以上に呼びかけてくる始末。一見強面の男達は、実は冗談が大好きだと言う事を、私はこの時初めて知ったのです。

たとえ時間はかかっても
「おじいちゃん元気ですか」。ほこりが舞い上がる夕暮れのジャララバード、以前は恐ろしくさえ思えた風景の中にもよく見てみると、道脇の小さな木陰で大柄のババ(おじいさん)が小さな赤子を膝に抱いて寝かしつけていたり、子供達がまるで土から生まれてきたかのように泥んこになって遊んでいる、そんなやさしい風景に出会います。

何かが異なるというのは前提としても、ことの本質はいであり、たとえ時間はかかったとしてもどこかしら互いに通じ合うものが感じ取れる、そんな当たり前のことを再確認する3ヶ月であったように思います。

人のあたたかみを感じながら仕事が出来る事に感謝して、アフガニスタンでの時間を大切にしていきたいと思います。