平和を耕すPMS
灌漑用水路は年内6キロ完了、「沖縄平和診療所」開所

PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村 哲
ペシャワール会報77号より
(2003年10月15日)
用水路掘削現場。2003年9月10日
9月29日に一時帰国しました。8月下旬に北海道からマニラ、福岡、ペシャワール、ジャララバード、ダラエ・ヌール、再びペシャワール、カラチ、さらに引き返して、ジャララバードへ戻り、ダラエ・ヌール、ダラエ・ピーチ、ワマの各診療所を回り、水路や灌漑井戸、飲料井戸の計画を再編成して来ました。まる1ヵ月、(マニラを除き)1ヵ所に2泊以上しないというすさまじい強行日程で、さすがにダウンしました。

しかし、いくつも嬉しいことがありました。現地の「緑の大地」計画は、多少見直しが必要なこともありますが、全体に成果はすばらしく、予想を超えるものがありました。

2000ヘクタール超を潤す用水路
沖縄平和診療所の開所式で地元長老とともに祈りを捧げる中村医師。2003年9月22日
規模として大きなものは、やはり用水路ですが、これは砂漠化した耕地が意外に広大で、これに合わせて川幅を思い切り大きくとり、2,000ヘクタール以上灌漑を目指すようにしました。最も難所である最初の6キロメートル区間はほぼ年内に掘削完了の見通しです。

取水口の工事は、最も水位の下がる12月を目指して、全力を挙げて準備されていました。伝統工法を大幅に取り入れているため、用水路の基本要素は、石と土と植林です。柳の木が水路保護の主役となるので、とりあえず約5,000本の柳、その外側には同数の桑の木を植えます。

数年後にはおそらく見事なグリーン・ベルトが、砂漠の中を延々十数キロ続くことを思うと、愉快でもあります。取水口には、大量の蛇籠1,500個が使われますが、これも既に生産を完了していました。

沖縄平和診療所、10月より診療開始
掘削中の灌漑用井戸。2003年9月10日
診療の方では、ダラエ・ピーチの「沖縄ピースクリニック」が最大の懸案でしたが、同診療所のあるクナール州では米軍への襲撃が最も活発なところです。国連や外国NGOが「危険地帯」に指定して寄りつかぬため、とりあえず日本人は小生単独で赴き、9月22日に開所式を地元長老会と共に行いました。10月1日をもって移転、診療が開始されます。

また、これも大きな動きですが、縮小気味であったハンセン病診療を強化致します。最近、医師や看護師、検査技師が高給を求めて大量にカーブルへ移転、医療スタッフが半減しました。その上、一般内科診療に比重が移りすぎ、障害を抱える患者のケアが薄くなっています。

加えて、パキスタン政府の「難民完全閉め出し」が徹底してきてプロジェクトへの注文が厳しく、アフガン人職員が働きにくくなってきています。また近頃、診療よりも現体制維持の膨大な事務仕事に忙殺され、本末転倒になる兆しがあります。何事も程度というものがあります。今後の事態を見据え、組織維持の努力はそこそこにして、密なケアを障害患者に集中、いざとなれば基地病院の閉鎖・移転も辞さずとの強力な覚悟で臨みたいと考えています。
この一弾として、新任の外科医・柴田医師を訓練のためカラチのセンターに送りました。

トルハム国境井戸、予想上回るニーズ
飲料水源は、着実に拡大、既に作業地は今年6月に1,000ヵ所を超えて、さらに増えています。8月に始められたダラエ・ヌールの新たな灌漑井戸4ヵ所は、うち2ヵ所で水を出し、麦の作付けに間に合いそうです。これで、既存井戸を合わせ、砂漠化したブディアライ村の7割、9,000名以上が生活可能になります。

一方、国境の町トルハムでは、2基のボーリング井戸が思わぬ重要性をあらわし、1日6時間給水で全バザールの需要を満たしていました。完全な住民自治管理で、国境問題も絡んで、歴史的に画期的なことであったようです。通過する度に、住民たちが嬉しそうに挨拶します。
少しずつ、造園や植林も進んでいて、3年前の渇水地獄が嘘のようです。最近では、水をパキスタン側に持ってゆく者もいるそうです。

収穫された見事なサツマイモ
しかし、何といっても今回の最大の希望は、農業関係でしょう。これは他でもなく、サツマイモの意外な成功です。見事な大きさだけでなく、土地の人々の嗜好に非常に合っていることが確認されたのです。

担当の橋本くんからの報告を待ちたいと思いますが、昨年のサイレージによる飼料改善=搾乳量の著しい増加に次ぐクリーンヒットです。いや、場合によっては満塁ホームランになる可能性があります。

以前ペシャワールで試したことがありましたが、いずれも貧弱で、実はさほど期待されてなかった作物でした。やり方に問題があって、高橋=橋本コンビが日本式の畝で過剰潅水・過剰肥料を避けて適切な方法で行ったからです。やはり、専門家です。サツマイモはツルで簡単に増やせ、しかも水が少なくて済みますから、この大干ばつのさなか、広まれば大変な貢献になるはずです。

援助騒ぎは屁のようなもの
用水路作業現場。2003年8月27日
一昨年、拙著『医者井戸を掘る』が話題になったことがあります。橋本君いわく、「さらに『医者川を掘る』を綴った後、『医者芋を掘る』の三部作にしてはどうか。緑の木陰の水路沿いで、焼きいも屋を開いてはどうか」と提案。
小生答えていわく、「その際は、君に『青木昆陽之介・芋の守・橋本康範』の号を与える。用水路完成のあかつきはイモ数百石の禄高に封ずる。『医者芋を掘る』の大団円は、芋を食って腹の張った我等が、おならを落としてスカッとする。
即ち、全ての援助騒ぎは屁のようなものであったということを悟って、終わるのだ」。
かくて、ワーカーの間で楽しい話がはずみました。

アフガンの情勢は、日に日に緊迫しているように見えます。
来年6月の総選挙は今のところ、東部アフガンで見る限り机上の空論で、米兵への攻撃が次第に増加、相当数の外国軍の投入が計画されています。最近の趨勢は、復興支援に携わる多くの外国団体が、積極的に外国軍隊の地方展開を主張していることです。これは地元には奇妙に映ります。外国軍に守られてやる復興がいったいあり得るのかと思います。政治・軍事上の動きを見る限り、出口がないと言えるでしょう。
しかし、暗い政治の動きとは無縁に、生きるのに必死、かつ共に汗を流すことによって、人を安堵させる平和な世界があります。

巌流島の決闘で、佐々木小次郎に対し、宮本武蔵は「汝、白刃をとって其の妙を尽くせ。吾は木戟を携えてその秘を顕わさん」と述べたという有名な話があります。
武蔵ほど偉くはありませんが、「汝、金と武力を駆使して勝手にやれ。対する吾らは、鋤と鍬、水と植樹でその偉大な恵みを顕わそう」と述べたい心境であります。
今後とも、ご支援を心からお願い申し上げます。