共に働く。人と人を結ぶ。
ジャララバード事務所
神戸秀樹
ペシャワール会報81号より
(2004年10月13日)
現地スタッフと中村哲医師(右手前)アフガニスタン 用水路工事現場
「ジャパンに感謝している」
アフガニスタンに来て3ヵ月が経つ。その3ヵ月間働いてみて思うことがある。それは、日本人ワーカーと現地スタッフの役割についてである。

それは、点と点、そしてそれを結ぶ線のような関係にあるということである。その関係とはどのようなものか。それは、どちらとも独立してではなく、共に存在することによってはじめて形をなすことができるということである。PMSの現地活動もそれと同じで日本人ワーカーと現地人スタッフの両方が存在してはじめてプロジェクトが実行に移せるのだと思う。それは、中村医師の「援助するのではなく共に働く場」という言葉に通じるものがある。

そのことは、言葉ではわかってはいたものの現場で働いてみて、あらためてそのことを実感している。ここでは、点と線に触れながら、私が短い間に感じた日本人ワーカーと現地人スタッフの関係について書きたいと思う。

アフガニスタンに来て初めの約1ヵ月間、私は井戸部門に配属された。そこでは、エンジニア(現地人スタッフ)とともに1日5ヵ所から10ヵ所の井戸をほぼ毎日巡った。ある日、訪れた井戸で住民がしきりに話しかけて来た。その相手は明らかに、同行したエンジニアではなく、現地語のわからない私に対してであった。その時、住民の熱意に圧倒されたと同時に、初めて行った場所で不安を感じた。その言葉の中で聞き取れるのは「ジャパン」と言う言葉のみ、あとは必死に何かを言っているという熱意しか、残念ながらその時点では理解できなかった。その後、エンジニアに通訳してもらうと、「日本人に感謝している」「PMSに感謝している」というものだったと聞かされた。それを聞いて、私の中で何かすっきりするものを感じた。

用水路工事現場。2004年10月
それはなぜか。それはその頃、井戸部門で働き始めたばかりで、この部門で日本人ワーカーの果たす役割とは何か、自分より井戸に関する知識のあるエンジニアが果たせない役割とは何かということを考えながら働いていた時期だったからである。その分この出来事は強く印象に残っている。それは、住民(点)と日本人ワーカー(点)が現地スタッフ(線)を通して結ばれる関係にあると気付いたからである。

仮に住民の立場に立って、感謝の気持ちを言いたいとしても、肝心の日本人が来なければ、まさにその感謝の気持ちを直接表すことはできない。また、日本人に伝えなければ、当然こうして、会員の方に直接伝わることもおそらくなかっただろう。まさしく線の役割の重要性を感じた瞬間だった。

井戸調査中の宮路ワーカ(右手奥)と現地スタッフ、地元の人々
アフガン版「点と線」?
また、日本人ワーカーが「線」の役割を果たす場合も当然ある。現在私は事務部門で、特にカナル(灌漑用水路)の物品購入の要請に基づき、ジャララバード市内のバザールでの物品購入を主に行っている。
カナル側の日本人ワーカー(点)から、「重機のこの部品が欲しい」、また、「この大きさのものを正確に作って欲しい」という要請を受ける。その要請を現地スタッフや店の人(点)に正確に伝えるのが私のような日本人ワーカーの役割である。つまり、線の役割である。

護岸工事中の現地作業員、橋本ワーカ(白い帽子)と中村医師(橋本ワーカの左手奥)
現在カナルで使う水門を作っている。ある日、その水門に使うフックを作りに鍛冶屋へ行った。そこでは、正確に要請どおりに鉄筋を曲げることが要求される。まさに、ミリ単位の仕事である。
曲げ終わった鉄筋を見て、店主と現地人スタッフは、「これでOKだろう」といった。しかし、実際メジャーで測ってみると曲げ幅が1ミリ大きかった。それで「これではだめだ」と言ってより小さく曲げてもらった。

その1ミリが、小さいものなのか大きいものなのかは私にも正確にはわからない。しかし、カナル側の要請を正確に伝える、つまり、点と点を結ぶのが線の役割である。そうした微妙な正確さを求められる点に日本人ワーカーが果たせる役割があるのだと思う。

点と線、推理小説の事件と犯人の関係を表すだけでなく、PMSのそれぞれの役割関係も上のように言い表せるだろう。その点と線の関係は、この会報にも当てはまるのではないだろうか。日本人ワーカーと日本にいる会員の方が点であり、そしてそれをつなぐ線が会報であると思う。
ワーカーとしてまだまだ未熟だが、この機会に会員の皆様に対して線の役割の一端を担うことができて大変うれしく思う。