イーハトーブ賞(宮沢賢治学会主催)受賞に寄せて
わが内なるゴーシュ 愚直さが踏みとどまらせた現地
PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村 哲
ペシャワール会報81号より
(2004年10月13日)
* 本文は、去る2004年9月22日、岩手県花巻市で行われた宮沢賢治学会主催イーハトーブ賞授賞式において、欠席した中村医師に代わり出席した福元広報担当理事によって代読されたものです。
イーハトーヴ賞は、『宮沢賢治が“理想郷”の意味で名付けた』ことで知られています。その他、2003年受賞のマグサイサイ賞»は、『アジアのノーベル賞』と呼ばれています。
セロ弾きのゴーシュ
みなさん、お元気でしょうか。
まず授賞式に出席できなかったことを深くお詫び申し上げます。現在アフガニスタンでは未曾有の旱魃が更に進行し、数百万人が難民化していると言われています。この旱魃で数え切れぬ人々が飢餓に直面していました。実際、多くの人々が私の目前で命を落としました。

しかし、4年前の「アフガン空爆」以後、華々しい「復興支援」の掛け声にもかかわらず、 徒に政治情勢や国際支援のみが話題となり、人々の本当の困窮はついに国際世論として伝わらなかったのです。そこで私たちとしては、国民の8割以上が農民であるアフガニスタンで、何とか現地の主食である小麦の植付け前に、多くの土地を潤そうと、1年半前から用水路建設に着工、今この挨拶を現場で書いています。小生が居ないと進まぬことが余りに多く、どうしてもここを離れられません。おそらく
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ」
というくだりをご記憶の方ならば、理解いただけるかと、非礼をば省みず、書面で受賞の辞をお送りします。

小生が特別にこの賞を光栄に思うのには訳があります。
この土地で「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。

私の過去20年も同様でした。決して自らの信念を貫いたのではありません。専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。

天から人への問いかけ
幾年か過ぎ、様々な困難―日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、という現実を突きつけられると、どうしても去ることが出来ないのです。無論、なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります。

よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことの方が普通です。賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません。

私たちは、現地活動を決して流行りの「国際協力」だとは思っていません。地域協力とでも呼ぶ方が近いでしょう。天下国家を論ずるより、目前の状況に人としていかに応ずるかが関心事です。

世には偉業をなした人、才に長けた人はあまたおります。自分のごとき者が賞賛の的になるなら、他にも……と心底思います。しかし、この思いも「イーハトーブ」の世界を心に刻んだ者なら、
「この中で、
馬鹿で、まるでなってなくて、
頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ(「どんぐりと山猫」)」
という言葉に慰められ、一人の普通の日本人として、素直に受賞を喜ぶものであります。
どうもありがとうございました。