素人技術者の挑戦
灌漑用水路担当
鬼木 稔
ペシャワール会報82号より
(2004年12月15日)
用水路工事現場
ホコリ高き男?
アフガニスタンに来た6月初旬、すでに酷暑の最中であった。
用水路現場に着くと、もうもうと砂埃が舞っている中を、ダンプカーや各種重機が行き交い、この初対面の光景に圧倒されてしまった。想像以上の規模で進められている用水路工事の現状に、私に何か出来る仕事があるのだろうか? イメージしていたボランティアによる用水路建設というより、一大プロジェクトによる公共工事の観を呈している。不安は募るばかりであった。

まずは道路拡張の埋立工事に配属され、ダンプカーの誘導が仕事の手始めとなった。容赦なく照りつける炎熱の下で、ダンプカーが吐き出す土石から立ち昇る物凄い土埃の洗礼を浴びつつ、全身埃まみれの日々が続く。
かつての不安も何処へやら、すっかり“埃高き男”となってしまった。

工区先端は4.8キロメートル地点
貯水池の水門工事現場(右から川口ワーカー、現地作業員、鬼木ワーカー)
それにしても暑い!
昼前には50度まで目盛りが付いた温度計も最上部に達してしまう。いったい何度になっているのだろう。脳ミソが沸騰しそうだ、肌はミイラ化し、常に全身が水分の補給を要求している。

この乾き切った砂漠地帯で動物も植物も人も、万物が生活していく上で、水が命の根源である事を痛切に実感する。と同時に我々の取り組んでいる用水路建設が、重要な鍵を握っている事も認識させられた時期でもあった。

用水路の進捗状況は、すでに取水口より約2キロメートル、遊水池までが通水可能である。それからさらに4.8キロメートルまで工事の先端は伸びていて、さらにその奥の砂漠地帯に触手が伸びつつある。その間に私達日本人ワーカー5名が、同時進行で8区間を分割担当している。

涸れ川を渡る水道橋と道路を横切る埋没地下用水路が2ヶ所。膨大な埋立量を必要とする、岩稜基部の裾巻工事。強固な岩盤掘削もダイナマイト使用の発破作業により、幾多の難所も最早峠を越えている。あと2ヵ月の工期で、取水口より4.3キロメートルまで通水出来る予定である。

灌漑用水路概略図(H地点付近まで。全長14キロ)
現在私が担当している場所は、我々の区分図ではD地区と呼ばれている所で、遊水池の横の水門作りに専念している。ここはクナール河より導水する取水口を経て、一旦大きな池に水を溜め、泥を沈澱させて綺麗な上水を用水路に送り込む、また水量を調節する為の排水口と一体となった、本格的な水門の建造である。

担当を始めた7月初旬、上流のヒマラヤ山塊の雪解け水でクナール河が増水し、池の水位も1日20センチ位の上昇が続いた。大変である!
あと2週間もすれば、溢れた池の水で道路の決壊を招く最悪の事態が予測された。中村医師の号令一下、急きょ排水門の突貫工事を開始、連日の残業と休日出勤のお陰で、仮工事の水門が出来上がった。道路決壊は免れたが、その代償として、次々と日本人ワーカーの体の方が壊れて、入院者続出の犠牲を払わねばならなかった。

建築中の四連水門。手前は用水路に導水する三連水門。奥がクナール河へ排水する排水門(2005年2月撮影)
アーチ橋の完成に執念
完成した排水門は仮工事とは云え、私の“力作”のレンガのアーチ橋は見事な出来栄えであったと自画自賛しておこう。これが過去形の表現なのは、ヒンズークッシュ山脈からの雪解け水による増水も落ち着き、ぐっと水位が減った8月中旬に、本格工事に着手する為、水門全ての取り壊しになったからである。最後に残ったレンガ部分のアーチ橋は、さながら凱旋門の如く威風堂々と突っ立っていたのが、非常に印象的であった。

さら地となった場所を掘削し、湧き出る水とのせめぎ合いも、次第に落ち着いてきた9月初旬、本格工事の基礎の鉄筋組みと厚さ1メートル以上のコンクリート打ち工事へと移行した。

完成の青写真は、我が郷土が誇る福岡県浮羽町の三連水車に因んだ訳ではないが、用水路に導水する三連水門と、それに隣接する排水門で、四連水門の圧巻が現れるはずである。
貯水池側から見た四連水門。排水門(左)と三連水門(右)(2005年2月撮影)
全用水路を通じ、最大の物量を投下するこの水門現場に張り付いて、足かけ5ヵ月、11月に入ると、北風が吹き抜ける朝の間は身震いする程寒くなって来た。まだ酷暑の名残りで、日焼けならぬ“日焦げ”の跡が首筋にくっきりと痕跡を残している。あの太陽に痛めつけられた炎熱地獄の日々が、何だかなつかしい気もしてくる。
勝手なものである。

三連水門(2004年12月撮影)
スケール片手に指示も綿密
用水路予定地の背後には岩稜が連なっていて、草木一本とて見当たらぬ岩山は、いわば採石場に隣接した現場でもある。各種の岩質やサイズと、お好み次第、無尽蔵の石は取り放題である。現に、地元は新築ラッシュ。基礎に使用する石を、あちこちで採っている人達を毎日見かけない日はない。我々の現場も、このタダで入手出来る岩石をふんだんに活用している。無論、水門も例外ではない。

石組みからレンガ積み、全ての工程を私流でやり通している。スケール片手に、いつも細部に至るまで指導して廻る。きっと現地の左官達も、あきれているに違いない。大雑把な現地人の感覚と、日本人の細かい感覚のズレ、この溝を埋めるためには、絶対に目を離すことは出来ない。

四連水門が完成するまであと2ヵ月、きっと今回の工事が彼等にとって技術的に役立つ事が、あとでわかる時が来る筈だ。そして、後世に残る建造物として、私の夢も残せれば幸いである。
今日も、ド素人で博多弁丸出しの、ひとりの変な日本人が、水門現場にいる。