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現地ワーカー進藤陽一郎 弔辞

和也さんは私がペシャワール会現地ワーカーとして始めて着任したその日からずっと、仕事においては私の直の先輩であり、生活においては兄貴のような存在でした。そんな和也さんに私が最初に感じたのは、仕事場における鋭く強い緊張感や厳しさであり、新米だった私にはうかつに近寄りがたいという印象すらありました。
しかしやがてダラエヌールの農業計画に異動された和也さんの後を追って同じく農業計画担当となった後の3年間、仕事も生活も共にする中で、その印象は変わりました。

和也さんはダラエヌールからいつも、用水路建設の過酷な現場で働いておられる中村先生や日本人ワーカー達のことを心配されていて、「最近○○さん疲れてるみたいだから、今週末には何か栄養のあるものを作って一緒に食べましょうか」と気遣ってくださったり、毎週末になるといつもダラエヌール滞在者の私達に何も言わずにおいしいご飯を作ってくれたりしたものです。「趣味ですから」と本人は繰り返していましたが、それが彼の優しさでした。時には現地の人たちに対してあえて厳しくつれない態度で接することもありましたが、それもむしろ彼らの生活の辛さ苦しさを聞いてしまっては何かせずにいられなくなる人の好さから来る裏返しであったということも私は知っています。

そして、和也さんの周りにはいつも食べ物と人がありました。秋になるとソバやサツマイモが穫れるとソバ粉を現地のナンに混ぜて焼いてみたり、塩炒り菓子にしてみたり、サツマイモチップス揚げにしてみたり、芋かりんとうにしてみたりと、工夫して作った作品をいつも村の子供達や農家達と一緒に食べている姿が今も目に浮かびます。

また、ご本人も認めておられた通り、一度やり始めたことは熱心にとことんやり抜くタイプです。例えばダラエヌール試験農場のお茶の葉から製茶を行う時は、和也さんは茶葉の蒸し方、揉み方、茶の淹れ方(いれかた)などを様々に工夫され、そうしてできたお茶を二人で試飲しながら「このお茶は匂いが悪い」とか「このお茶は飲めますよ」と一喜一憂するうちに毎晩茶の飲みすぎで何度もトイレに行ったり、眠れなくなったりしたエピソードなども今楽しく思い出されます。

アフガニスタンの文化に対しての理解や、また自らアフガニスタンの人々の生活に近づこうとされる思いも強い人でした。イスラム教のラマザン(断食)も進んで実践され、特に昨年は途中で脱水症状を起こしたりもしたため「そこまでして断食を守り通す人はアフガン人の中でも稀(まれ)だ」と驚かせるほどだったのです。

そして和也さん、私はここにご来席されている皆様や日本にいる皆様にお伝えしたい。それは和也さんが決してあえて危険を冒して仕事を行う様な人ではなかったということです。 むしろ和也さんは、夕方に農場に出ようとする私を「遅いから行くな」と制し、ダラエヌール上流で住民同士のケンカがあれば「暫くあそこへは行かずに現地の農家に行ってきてもらった方がいい」と助言を下さったり、安全管理面で我々を指導してくださる立場にあり、その行動は常に誰よりも慎重でありました。しかし、そんな和也さんでも今回の突発的な事件を避けることはできなかった。そのことにはただただ無念であるとしか言いようがありません。

そんな我々日本人ワーカーにとっても現地の人たちにとっても兄弟であり良き隣人であった和也さんの死に、我々は勿論、大勢のアフガンの人たちが悲しみ、怒り、そして和也さんを誇りとしています。しかし、それ以上に我々の胸を埋め潰しているのは「こんなはずでは無かった、こんな場所で会うはずでは無かった。一緒にご飯を食べながらゆっくり話をするはずだった」、そんな無念の思いなのです。  せめて私達各々の胸の内で私達の一部となった和也さんをこれからも思い続け、和也さんが愛着を持って働かれたアフガニスタンの地に平穏な生活のともしびが戻る日を願いながら和也さんと共に生きていきます。
伊藤和也さん、ありがとう。

茶の生育状況を調べる伊藤さんアルファルファの種の選別を手伝う子どもたち
(左)茶の生育状況を調べる伊藤さん/
(右)アルファルファの種の選別を手伝う子どもたち


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